針の上には天使は何人?

グローバル化と専門化

いろんな業界のグローバル化が喧伝された今年。

電話回線は国境を軽々越える。シリコンバレープログラマの競争相手がインドにいるとか、もう滅茶苦茶。

自分達の業界は、幸いにしてまだ大丈夫。それでもフィリピンから看護師がやってくるとか、 安価な中国人医師が解禁になるとか。

免許仕事は保護されている。学生時代、たまたま受験校にいて、医学部を出たから今の暮らし。 もちろん忙しいし、社会的な地位は地に落ちたけれど、それでもまだまだ余禄は残ってる。

ネットの医者は、みんな愚痴って世の終わりを叫ぶ。それでも、「じゃあ、免許いらない?」と聞かれたら、 10人が10人、間違い無く「No」という。みんな世間知らずだけれど偏差値高いから、免許がなくなったら「どう」なるのか、 それぐらいは分かってる。

日本語で授業を受けてる中国人医師とか、石原都知事の「文系のマインドを持った医師」構想というのは そんなわけでものすごい脅威。

できるもんならやってみろ、とは思うけれど、技術的には十分可能。簡単な病気、ただの風邪とか、 誰かに診断してもらって、薬を渡すだけの仕事なら、医学部出てなくたって大丈夫。 安価な人件費と優しい応対とを武器に、風邪の人にPL顆粒を渡すだけの仕事を「新世代医師」に 総取りされたら、旧世代医師の下位グループは路頭に迷う。

グローバル化は中途半端な奴を破壊する。自分みたいな。

キャリアアップという血の海

グローバル化に対抗するのは専門化。

専門医を取って、様々な資格を身につけて、中途半端でない、特別な自分を売りにして。

これは王道。時代の先端を突っ走る、シリコンバレーの技術者なんかは確実にこの路線。 大学院なんか出ているの当たり前だし、博士号を持っている人もまた、多い。 競争相手は全世界のプログラマ。インドや中国の同業者は圧倒的に低コストで 働いてくれるから、専門性を持たない技術者は淘汰される。

専門性は、「狭い」からこそ発揮される。誰にでも必要な能力というのは、専門能力ではなくて 「常識」になってしまうから、その能力を持っていても食べていけない。

専門科が専門家になれるのは、その分野の「パイ」が大きくなくて、そこだけに「深く」なった 人でないと手が出ない分野。

そんな場所はごく一部だし、その分野が陳腐化したら専門家は居場所を失う。

シリコンバレーの技術者は、用が済んだらすぐに解雇される。それでは困るから、 技術者同士のネットワークがあって、いろんな会社を短期間で転々とする。

専門家が専門家でいられる期間は短い。技術者の能力には限りがあるし、年齢が上がれば 単価も上がるから、競争力はそれだけ落ちる。みんな40を回る頃には仕事が無くなって引退を 考えるとか。

高リスク、高コストで短期間に大きく稼ぐ。かっこいいけど、せわしない。

グローバル化、フラット化の先にある専門家の社会。たぶん、今後はどの分野もこの路線に 行くんだろうけれど、疲れそうでちょっと嫌。

医者の世界とプログラマの世界

医療の分野は、まだまだそこまでいってない。

ごく一部、学会で誰もが知ってるビッグネームの人達は、内視鏡片手、カテ片手に全国の病院を 回って、コンサルタントデモンストレーターとして活躍しておられるけれど、まだまだ そこまでいっている人はわずか。

専門医をはじめとした様々な資格取得はブームになっているけれど、 そういうの持ってなくても、僻地でひっそり仕事をする分には、まだそんなに困らない。

天使が本当に神の使いなら、針の上では何人の天使が踊れるのだろうか?

神学上の「正解」は、世界中の天使全部らしい。天使は存在だけを持っていて、形や質量を 持たないから、「踊る場所」の大きさというのは関係ないのだという。

医師が「躍る」のは、病気になった患者さんの上。ベッドの大きさなんて畳1畳ぐらいしかないから、 その上に集まれる人数が、医師が集合できる限界。

技術者の「質量」みたいなものが人間サイズの仕事というのは、「中途半端に何でもできる人」が 活躍できる場所が残ってる。

一般内科一人よりも、10人の専門家のほうが、はるかに豊富な知識と経験をもっている。 ところが、ベッドサイドに10人の専門家が集まって、患者さんを同時に診察するなんて 無理だから、そもそもこんな比較自体が無意味。

プログラマの世界は、たぶん技術者の「質量」が限りなく天使に近い。 全世界から集まった専門家の集団が、ネット上の「針先」で議論をすることすら十分可能。 こういう世界では、中途半端な人間は淘汰され、専門性がないと生きていけない。

自分の属する世界は、「針」の先に何人まで乗れるのか

自分の競争力や商品性というものを考えるとき、こんな観点を考えるのは、役に立つかも。

アフガニスタンイラクの違い

アメリカ軍。山岳地帯のアフガニスタンでは 苦戦して、砂漠戦になったイラクとの戦いでは大勝利をおさめた。

最新の兵器で武装したアメリカ軍は専門家の集団だから、本気を出せば圧倒的な戦力。

ところが、軍団が同じ場所に集結できない、山岳地帯や都市部といった環境では、専門家集団が その力をフルに発揮するのは難しい。

プログラムの世界や医療の世界と同様、「戦争」という業界にもゼネラリストとスペシャリストとの 葛藤みたいなものがあるんだとしたら、「どんな業界なのか」という戦略な視点とは別に、 「どこで戦うのか」みたいな戦術的な視点も大切なのかもしれない。

医療の業界ならば、たとえば学会であったり、コンサルタント的な仕事であれば、これはもう 専門資格を持った者の圧勝。学会会場で専門医の先生が演台でスポットライトを浴びるかたわらで、 田舎から出てきた一般内科は、お昼ご飯を求めてすいているランチョンセミナーを探すのに必死。

舞台が田舎の小さな病院になると、状況が少しだけ変わる。 以前飛ばされた小さな病院にいたとき、華々しい履歴書と共に登場した専門医氏はひどかった。 経験年次豊富、留学経験たくさん。でも、風邪や腹痛の患者さんをさばけない。

専門医というのは、「何でもできて、専門領域はもっと何でもできる」ことを証明するための 資格なのだけれど、その人にとっては「それ以外は何もできない」という 証明書みたいなものだった。

「天使度が高い」業界と「人間度が高い」業界と。

世界はフラクタクル。業界の違いとは別に、同じ業界の中にもまた、 天使度を活かせる場所と、人間度を活かせる場所みたいなものはきっとあるのだろうと思う。

あなたの技能は検索可能ですか?

  • ○○大学出身
  • JAVA が使える
  • 博士号や専門医師格を持っている

こんな資格を持っている人は「強い」。そうでない人は、グローバル化で淘汰される。

分かりやすいすごさを持った人というのは、「ネットで検索をするのが簡単な」技能を持っている人。

今年に入って、蔵書の多くを処分したけれど、捨てた本というのは売れた本、有名な本。 そういった本の内容はほとんどがネットに出回っていて、今さら現物を持っていなくても、 十分に代替が可能なもの。大まかな筋を覚えていれば、あとはネットでいくらでも 検索して引用できるから、「現物」を手元に置く必要がなくなった。

なんとなくなんだけれど、ネットで検索可能な「すごさ」というのは、 同じような危険を持っている気がする。検索可能な資格を持っているということは、 「自分の代わり」を探すのが容易であること。そうなると、最後に待っているのは価格競争の血の海。

考えすぎだろうか?

検索できない技能というのは、たとえば「いい医者」とか、「おもしろい奴」。

google には、まだこんな「技能」検索の方法は実装されていないから、こんな人を集めようと思ったら、 知りあいのつてを探して「誰かいい人、知りませんか?」とやるしかない。

SEOを駆使した履歴書でグローバルな社会にうって出るのはかっこいいけれど、 ベストセラーは飽きられて、まねされて、捨てられる。

検索エンジンで引っかからないものは、内容が今一つでも捨てられない。 全人類に訴える資格もいいけれど、「よく分からないけれどいい人」を目指すのも、 生存戦略としてありなんじゃないかと思うこの頃。

夢を見ましょう生き延びるために

つきあっていて面白いのは、楽しく生きること自体が目的化している人とか、 今やっていることというのが、何か大きな経路の途中である人とか。 刹那的なんじゃなくて、戦略があって楽しそうな人。

目的が「資格を取って楽症人生」とか「専門医になって人生ウハウハ」とか、 その人の勝ちぐみ人生のプランを聞いても、あんまり楽しくなかったり。

夢なんて見るヒマないし、実際にそれが実現する人なんてわずかしかいやしないんだけれど、 それでも夢を見続けるのは、たぶんけっこう大切。

検索可能な技能、属性を身につけるんじゃなくて、その人の固有名詞を 磨くのに賭ける生存戦略をとるときに鍵になるポイントは2つ。

  • 居心地がよくて面白い物語を紡ぐ能力
  • 相手の物語を気分よく、面白く聞く能力

人間関係を居心地よくする、こんな能力を身につけるには、 会話する相手を「目的」にするんじゃなくて、 その人を「手段」にしてしまわないとダメ。

知り合うことや仲良くすることが目的化してしまう関係は、続かないし、なんとなく利権が透ける。

やりたいことは個人個人で別にあって、その過程で誰かと交わって、いろんな会話を交わすのは、 薄いつながりにしかならないけれど、何年かたってばったり会っても、また会話が始まる。

将来自分がドツボにはまったとき、助けを出してくれるのは、たぶんこんな人なんじゃないかと思うし、 自分に余力ができたなら、できればそんな人の手助けをしたい。

今自分を取り巻く世界は本当に小さくて、中途半端にある程度のことができる自分を生かすには、 そこそこいい場所。地方というのはしょせんは都市の寄生虫みたいなもので、自分達の地域だって、 いつ夕張みたいになるかも分からない。

いつまでこんなことができるのかも分からないけれど、 もうすこし、何でも屋としてバタバタ働きながら、 いろんな業界の様々な立場の人と交流をもてたら、きっと今よりもっと楽しいだろうなと思う。

来年もよろしくお願いします。