人工知能に学ぶ説得の手段

従来の知能の考えかたの問題点

知能があるとはどういう状態なのか。

人間は、一度外界からの全ての情報を受け入れて、脳がそれを処理して全ての命令を出す

従来はこういう考えかたが主流だったけれど、知能を持ったと言えるロボットを作るのは難しかった。

複雑なものが機能単位に分割できるからといって、 それだけでは実際に分割して考えていい理由にはならない。

脳は非常に複雑な構造をしていて、その動作はあたかもよくできたコンピュータのようにも 見え、コンピュータは、メモリやプロセッサ、プログラムやデータなどの機能単位に分割できる。

人工知能の研究もまた、知能というものをいくつかの部分、計画立案や言語理解 といった機能単位に分割することで、理解しようと試みてきたけれど、このアプローチは あまりうまくいかなかったらしい。

たとえば、簡単な「知的活動」として、「障害物をよけて目標にたどりつく」という 移動ロボットを考えてみる。

従来からある考えかたでは、知能というのは感覚入力系、中枢系、運動出力系、知識系からなりたっている。

まずやらなくてはならないのが、周囲の環境の感覚と知覚。

ところが、それからして大変難しい。人間は、視覚や聴覚を利用して、周囲の状況を把握する。 人間が動くときに、自動的になされていることをロボットにやらせるためには、 脳でその時起こっていることをロボットにやらせなくてはならない。

ところが、まず人間がどうやってものを「見て」いるのか、まずがよく分かっていない。

移動もまた難しい。

ロボットは、障害物のある空間をこんなふうに移動する。

  1. まず周囲の環境の地図を事前に作り、それを知識としてロボットに最初から持たせておく
  2. ロボットは自分のいる環境をセンサーで知覚して、そこで視覚情報として入ってきた ものが自分の持っているマップのどこに一致しているかを調べて、どこに自分がいるかを確認する
  3. その後にどのように動くかを計算して、移動する

組み合わせ的爆発

ロボットが動くときには、センサーで感覚した外界の状況に対して、 どう行動すればいいのかというルールを、あらかじめ決めておかねばならない。

このルールの数は、行動の複雑さにつれて多くなる。

隣の部屋に入って、コップを取ってくるといった簡単な仕事であっても、 これをこなすために必要なルールの数は莫大なものになる。

  • 隣の部屋」が、現在の場所からどれぐらい離れているのか
  • 部屋にドアはあるのか
  • カーペットや障害物の有無
  • 机の高さや、紙コップの硬さ

与えられた条件が一つ違うだけで、もうルールは分岐する。

最適なルールに行き当たるまでにたどらなくてはならない分岐の数が 増えるほど、ルールの数は指数関数的に増えていく。

人工知能の分野では、この組み合わせ的爆発という問題に、 常に悩まされつづけて来た。

サブサンプションアーキテクチャ

生物の行動というのは、その構造ほどには複雑ではないことが多い。

知的活動の秘密を解き明かすのは大変だけれど、知的に見える行動をする機械を 一から設計するのは不可能ではない。

サブサンプションアーキテクチャ(行動型制御)とは、反射行動を階層的に配置することで、 知能を持った動物と同じ行動を行わせる制御のやりかたで、思考の中枢に相当するものを持たない。

この制御は、目的を達成するためのロボットの各行動を「要素行動」として分解し、 それぞれの要素行動を反射行動として制御する。

行動はすべて反射で、「思考」に相当するプロセスがない。 さらに、外界のモデル化が不要となることから、処理方式が簡素化される。

行動型制御というのは、各要素行動ごとのセンシングと反射との組み合わせにしか すぎないので、世界モデルの構築や、企画立案のプロセスが存在しない。 このため、組み合わせ的爆発の問題が原理的に発生しない。

「障害物を避けながらゴールにむかう」という問題を、行動型制御で考えると、以下のような形になる。

  1. 活動を、探索・回避・獲得という単純な行動に分割して、それぞれの反射行動を組み合わせる
  2. 何も見えない場合は、そこいらをうろうろとして何かを探す(探索)
  3. 障害物を発見した場合は、それから遠ざかるように動く(回避)
  4. ゴールを発見した場合は、ゴールまでの最短距離をとるように動く(獲得)
  5. 3つのルールの優先順位を探索・回避・獲得の順にしてやることで、 ロボットは障害物を避けつつゴールを目指すという知的行動を達成できる

ムカデは自分の全ての足の動きを把握しているのか?

足が100本以上もあるムカデは、自分の足1本一本の動きをいちいち把握しているだろうか?

昆虫は、恐らくはそれぞれの足ごとに簡単な反射弓を持っていて、 それぞれの足からもらった情報だけで、その足の行動を決定している。

ブルックスは、この考えに基づいて、1991年に昆虫ロボットを開発した。

このロボットは、6本の足各々にサーボとCPUが取りつけられ、 そのCPUは互いに情報のやり取りはするが、全体の思考には参加しない。

各CPUは、自分の制御している1本の足を動かすことに専念していて、 「足が後ろの足のセンサーに達して、隣り合った足が上がっていなければ、 足をあげて、隣り合った足を上げないようにする」といった、足の上げ下げの 簡単なルールしか与えられていない。

このロボットを歩かせてみると、たとえばちょっとした段差に足が取られたとき、 その段差を避けようと引っかかった足を高く上げるなどの行動を取る。

その結果、ロボットがまるで段差があることを認識しているかのような、 知的でスムーズな動きをみせたという。

サーボループの先の知能

イギリスのスティーブ・グランド著書「アンドロイドの脳」の中で、 サーボモーターを用いて、グライダーを知的に制御することを試みている。

  1. サーボモーターは、与えられた命令と、実際に行われた結果との誤差を、 常に最小限にするようにのみ働く
  2. グライダーを左右に旋回させるとき、一番基本的な制御は、補助翼の下げ角を決定することだ。 その結果、飛行機は左右どちらかに傾いて、傾いた方向へ旋回をはじめる
  3. この第一のサーボループは、入力された補助翼の角度と、フィードバックされた実際の角度とを 一致させるように働く
  4. 第一のサーボループの上位を受け持つサーボは、望ましい旋回速度を決定する
  5. この第二のサーボループのセンサーは、旋回速度をモニターする。サーボは、希望の旋回速度が 出るまで補助翼を傾かせ、希望の速度に達したら、それを維持する
  6. 第二のサーボをさらに上位から制御するために、機体の傾斜角度を制御する第三のサーボループが存在する
  7. この上位サーボループは、「機体をこれだけ傾かせたい」という命令を受けて、第二のサーボループへ 働きかける。機体は自分の傾き角度をモニターしていて、命令のあった角度を維持するように働く

3段階のサーボループを接続することで、角度を指定するだけで、 飛行機の操縦が可能になる。

自分が左に45度の急旋回を望むと機体に告げれば、第三のサーボはこれを達成するための旋回速度を 出すように第二のサーボに指令を出し、それを受けて第一のサーボが補助翼の角度をコントロールする。

市販されているラジコンなどでは、補助翼の角度は人間が直接コントロールする。 風などの外乱があったり、旋回速度が速すぎたときなどは修正が必要だけれど、 サーボループを重ねて制御することで、こうした微調整はサーボ群が自動的に行ってくれる。

サーボループを重ねることで、グライダーは「機体を45度に傾けて、その姿勢を維持せよ」 といった高等な要求にも、簡単に答えられるようになり、より「知的」に振舞うようになる。

同じ機体上の独立したサーボ機構は、外の環境により緩やかな統合を受ける。

機体の左右の動きと、上下の動きとは、全く独立した制御を受けていて、接続されていない。 ところが、機体が旋回をするとき、高度は必ず落ちるので、結果として両者は統合されて 働いているように見える。

サーボは思考しない。「全体」のことなど考えない。

旋回用のサーボループは旋回のことしか考えず、 上下を受け持つサーボは一定の高度を維持することしか頭にない。 グライダーの中には「中枢」など存在しないにもかかわらず、全体として飛行機は「知能化」している。

意思を持つサーボの成立条件

こうした一連のサーボループは、あたかも意志を持つかのように振舞う。

意志を持つサーボ群を作るためには、いくつかの条件がある。

各命令系統におけるサーボには、異なる感覚入力を必要とする。サーボの機能は、 命令された状態と、感覚された状態とを等しくすることだけだから、それに応じた入力が必要になる。

サーボには可逆性が必要になる。たとえば、グライダーで「水平を維持せよ」という命令を出しても、 サーボ群は水平を維持するために忙しく働き続ける。サーボにとっては、命令された情報も、 感覚された外界の変化も、「是正すべき変化」という点では同じものに見える。

この可逆性が実現されることで、グライダー上の様々な制御機構は、 外部環境を通じて緩やかな統合を受ける。お互いを電気的に結びつける必要はなく、 独立した制御系統が、環境を会して自動的に相互作用するようになる。

制御系統がより高次になるにつれて、グライダーはより高等な命令を実行可能になる。

「グライダーの意識」は、大脳皮質のように、原始的なサーボループの上に重なる 上位レイヤとして成立しうる。

矛盾した情報とめまい

こうしたサーボ制御の積み重ねによる疑似知能は、 各制御レベルのセンサーへの入力に矛盾があると、「めまい」を生じる。

生物の制御の一部も、きっとこうした原始的なサーボ群と同じような 構造をしている。

たとえば内耳からもたらされる平衡感覚の情報と、 視覚がもたらす水平感覚の情報との間に矛盾が生じた状態というのが、 「内耳性めまい」を起こす。

前のグライダーのモデルの場合も、どこかのセンサーに異常があれば、 飛行機はすぐに墜落する。中枢がないから、グライダー自身は自分が「落ちる」という感覚は 分からないだろうけれど。

神経疾患の人はなぜトラブらないのか?

病気の人、特に腹痛とか外傷とか、「痛い」病気の人というのは興奮していて、 しばしばトラブルの種になる。

ところが、めまい症とか脳梗塞とか、あるいは変性疾患といった神経科の患者さんというのは、 不思議と落ち着いた人が多くて、従順に指示に従ってくれる。

世界がぐるぐる回っていたり、昨日まで動いていた手足が動かなくなったりしてるんだから、 ある意味当たり前なんだけれど、あえてこじつけると、こうした患者さんというのは 入力される外界の情報が矛盾しているから、知能が「めまい」を起こしていて、 そのことが従順さを引き出しているんじゃないかと思う。

矛盾した感覚を用いた説得の手段

従来の交渉や説得のテクニックが通用しない人が増えている。

交渉の席についた時点でなんだか戦闘的で、そもそも「交渉」をするつもりなのか、 一方的な要求をしたいだけなんだか、その意図すらよくつかめないような。

生物では、そもそも一方的な要求というケース自体が少ない。

たとえば、捕食者たる肉食動物と、餌になる草食動物との間にすら交渉に近い シグナルの交換が行われるし、それを見て捕食者が「妥協」したりすることも 珍しくない。強盗殺人や戦争といった状況ですら、ぎりぎりの環境で行われるのは つねに交渉だ。

一方的な要求しかしない人、たとえば小児科の若いお母さんとか、 夜中の小児科に来る若いお母さんといった人の思考回路は、生物学的には 極めてユニークなのだけれど、いつまでたっても「要求」が「交渉」にならないから、 従来の交渉の方法が使えない。

意思気の中に要求しかない人に、交渉のテーブルについてもらうためには、 意識よりももっと下のレベルに訴えて、交渉の必要性を分かってもらう必要がある。

神経疾患の人に入力される感覚情報には矛盾があって、こうした矛盾した情報は、 めまいをもたらす。

感覚が「めまい」を起こしているから、 脳はその矛盾を解決するのに必死になり、悪いことに自分の感覚が 全く信用できないから、他人の言うことを無批判に受け入れやすくなる。

それならば、あえてエラーを伴った入力を与えることで、 人工的に「知能のめまい」の状態を作り出すことはできないだろうか?

言語や表情、部屋の大きさや、においや音。

コミュニケーションをとる人は、言語以外にもお互いに 様々な情報をやり取りする。やりとりしているのは自然環境そのものだから、 それらの情報には矛盾がないし、 人の知能というものもまた、その「矛盾のなさ」に大きく依存している。

ここに何らかの「意図された矛盾」を作り出せるならば、あるいは新しい説得の手段が 作れるのかもしれない。

実際やろうとすると、今度は感覚された情報の「信憑性」を、生体がどう査定しているのかとか、 どの矛盾の組み合わせがもっとも有効なのかとか、いろいろな問題が出てきて難しい。

  • 内耳からの情報が回転で、視覚の情報が水平であったとき、 脳は「世界が回っている」と解釈する。
  • 脳梗塞で手の感覚がなくなった人は、目で見える自分の手を 「他人の手である」と解釈する。

様々な感覚には恐らくは優先順位があって、矛盾した感覚を挿入されることで、 その人の世界知覚は任意に操作が可能になる。

人為的に引き起こされた「めまい」の状態は、 恐らくはある種の説得を行うのに最適なマインドセットを作り出す。

必要なマインドセットがあって、それを人為的に作り出す方法が確立されると、 交渉を行う側としては大分仕事がやりやすくなるのだけれど。