印象操作のやりかた
- 相談して正解だった
- 正しいことをいってるみたいだけれどよく分からない
- 問題は解決しなかったけれど話せてよかった
- 相談するんじゃなかった
会話の結果にはいくつかの結末があって、正しいことを言っても分かってもらえないことも多いし、 意味の無い会話だけで十分満足できるときもある。
会話の質には、情報と情緒の2つの要素がある。
基本は記憶の木
人の記憶というのは、木のような形をしている。
人の感覚に入ってくる情報の量は莫大で、意識はそのうちのほんの一部しか処理できない。
人の意識が同時に覚えられる要素は、大体7つ。 心理学の本などで、「マジカルナンバー7」などと呼ばれている。
- 多すぎる情報は処理できないから、似たような細かい情報が7つばかりたまると、意識はそれを 抽象化して、一つの塊としてあつかう
- そうした情報の塊がまた7つ集まると、また抽象化が行われる
- 抽象化の段階を繰り返して、木の「幹」にまで太くなった情報が、意識にのぼる
- 必要な情報を思い出すとき、意識は幹から木の枝をたどって、元の情報を思い出す
進化論にでてくる系統樹と、考えかたは同じ。
情報の「正しさ」を決めるもの
会話の情報要素の質を決めるのは、解答の正確さと、細かさだ。
情報というのは、何か抱えている問題があって、 その答えが自分の過去の経験の中に存在していないときに欲しくなる。
「記憶の木」を探っても、そこに必要とする情報が無かったとき、 人に生じるのが「接ぎ木」の欲求だ。情報の葉っぱだけをもらってもしょうがない。 葉っぱのついた枝として、自分の木の一部にしないと、情報は役にたたない。
ちょうどいい枝を探すのは難しい。欲しい葉っぱがついているのだけでは足りなくて、 「接ぎ木をするのにちょうどいい大きさ」でないと、自分の記憶の木を豊かにはできない。
接ぎ木したい情報が「細い枝」の大きさであったときに、 「その枝を含んだ丸太一本」をよこされてもあつかいに困る。
情報は、正しいだけでは片手落ち。ちょうどいい大きさ、あるいは細かさのものである必要がある。
会話の満足感を決める情緒要素
会話の質を決めるパラメーターには、情報要素と情緒要素の2つがあって、 どちらが欠けてもコミュニケーションは不満足なものになる。
mixi コミュニケーションを加速するために、情報共有を減速してるんじゃないだろうか。 だれかの既出の質問にだれかが答えて、答えた人の印象が良くなるという流れは、 第三者にとって得る物はほとんど無いけど、二者間にとっては意味がある。(中略) そういうやり取りを支援するためと考えると、あのしょぼい検索が正解に思えてきた。 みんながみんな FAQ や過去ログや Google で問題を解決しちゃったら、 質問されるのは難しい質問ばっかりになっちゃって、答えて印象を稼ぐのは難しくなる。 (検索のやりにくいmixiは)「ありがとうございますぅー」っていうために、なんとか手の届く高さにある書類を、あえて先輩に取らせる新人の女の子みたいなものなんじゃないか。 先輩と後輩のコミュニケーションのために書類をちょっと高いところに置くようなシステム。 blog.8-p.info: Accelerate communicationより改変引用
外来での会話もそうだ。こちらが情報を提供ようと思っているときでも、 相手は情緒を求めているときがあって、そういうときにはいくら一生懸命しゃべっても、 満足感は上がらない。
情緒を求めるというのは、過去の記憶をなぞる行為だ。
情報は正しさで評価されるけれど、情緒要素の評価というのは、 お互いがバックグラウンドに共有している経験や反応のしかたそのものだ。
何らかの「お約束」が出題されて、それが履行できるかどうか、 想定した反応を、相手がしてくれるかどうかといったことが評価の対象になる。
- 必要があって、知らなかった答えを返してもらうのが情報
- 答えを想定していて、それを分かってくれるかどうかを問うのが情緒
自分が想定している「お約束」を分かっている人との会話は、安心できる。 たとえ問題の解決にならなくても、 「困ってるんですね。大変ですね」と傾聴してもらうだけで、一定の満足感が得られる。
先入観=抽象化された情緒
情報と同じく、情緒というものもまた、意識は多数をあつかえない。
相手はこの話題は分かってくれるとか、ここは外したとか、この言い回しは気に食わないとか、 情緒の数がある程度たまると、意識は抽象化を行う。
情報の原則と同じく、おそらくは情緒の数が7つを越えた頃、 情緒の抽象化、あるいは個人に対するレッテル張りが行われる。
- よくしゃべる奴が「うぜえ」と思われたら、以後の話はもう聞いてもらえない
- 寡黙なのに信用される人は、たぶん言語外の情緒メッセージを7つ以上出していた
その人が抽象化されたとき、あるいは「理解された」とき、 以降のその人の言動には一定のバイアスがかかる。 一度それがなされると、それを覆すのは難しい。
先入観を操作する
個人に対する先入観をより好ましい方向に持っていければ、その後のつきあいかたは 相当有利になる。
ところが、情報要素はある程度操作可能でも、情緒要素は無理だ。 情緒というのはフィードフォワード的な要素だから、予測が立たない。だから、 「うれしい驚き」なんてめったにおこらない。
幸い、情報と情緒の2つの要素は独立して定量することが難しい。
つきあいにくい人でも有用なことを教えてくれる人は多いし、 役に立たなくてもつきあって面白い人もいる。
情緒要素の不足を情報要素で補って、情緒が抽象化されるタイミングをコントロールしてやれば、 自分に対する印象を少しでもいい方向に持っていけるかもしれない。
情緒の評価というのは、1回の外来程度の短時間で行われる。この間に少しでも 肯定的な評価を引っ張り出す。
- 少しでも正確な情報提供を心がける
- たとえ話を多用して、相手が過去に認知している体験に訴える
- 原疾患と関係ないこと、たとえば「あなたは先月腰が痛んでましたね」とか、 「最近は咳の頻度は減りましたか?」とか、カルテの片隅にメモしておいた瑣末なことを話題に出して 情緒の点数稼ぎを行う
ゲームは7点満点。
ゲームセットまでに、いくつの肯定評価をとれるかが勝負。4点以上なら「いい人」、 3点以下なら「いやな奴」。
だから、「○○さんは犬を飼ってる」とか、「××さんは去年の6月にハワイに行った」とか、そうした 病気と何の関係もないエピソードは、けっこう大事。 これを覚えているだけで、7点のうち1点はとれるから。
患者さんとの会話でも、よほどの大失敗をしなければ、 3点ぐらいまでは何とか肯定的な評価を引っ張り出すことはできる。
情緒の抽象化というのは、たぶん思考が停止した瞬間に行われる。
残りの4ポイントが悪い方向に行かないように気をつけながら、人格判断の要素が7つ程度 貯まって、何とか勝ち目が見えたタイミングで思考停止ワードを発する。
- 「ここからは難しいですね…」
- 「これ以上は医学じゃなくて政治の問題ですね…」
会話を終わらせて、同時に相手の思考も停止させる、そんな言葉。
ひとつの話題が終わった後の相手の反応を見れば、うまく行ったかどうかが分かる。
大切なことは、満点を狙う必要はないということ。
狙うのは、7点でなくて4点。このうち3点は、丁寧に話すとか、たとえ話を使うとか、 過去のちょっとしたことをメモしておくだけで、十分取れる。
会話の中では、1ポイント分の信頼を勝ち取ることに全力をあげる。
4ポイント全部取るのは不可能だし、高得点を狙って、相手に変な迎合を したり、事実を曲げる必要なんかない。
任意のタイミングで「いい人」になる技術は、外来でけっこう役に立つ。