旅する医者の3つのスタイル

医者は旅をする。

研修中のローテーション。大学を出てからの地方巡業。開業。部長と喧嘩。 アフガニスタンで井戸を掘るため。流れ着いたらずっとそこにいる奴。すぐいなくなる奴。

「旅人」には2種類ある。慣れた旅行者と、不慣れな人と。

不慣れな医者の「旅」はたいていろくな結果を生まない。 初対面の人間同士。誰とでもすぐに打ち解けられるほうが異常だ。 移動先のスタッフとトラブったり。上司と上手く行かなかったり。 実力的には問題なくても、上手く行かない理由なんて無数にある。

誰でもどこかで腰を下ろす。「お呼び」がかからなければ、動こうにも動きようがない。 年をとるとともに、雇用のコストは増大する。移動の閾値が高い医師は、 どこかの時点で定住して、そこでずっと過ごすことになる。

旅する医者と言えばゼネラリストのイメージがあるけれど、「何でも一人でできる医者」の旅は、意外に長続きしない。

こういうスキルを持った人はどこでも通用するけれど、「何でも」の部分を最大に発揮しようとすると、必ずその病院の誰かとぶつかる。ぶつからないようにしようとすると、結局その人は「中途半端な専門家」に止まってしまう。結果、何でもできるゼネラリストは、本当に「何でも」が求められる病院を見つけると、そこに定住することが多い。

一方、慣れた旅行者のような医師はたしかにいる。何歳になってもいろいろな病院を渡り歩いて、 それでもどこからかまた「お呼び」の声がかかり、また旅をする。そんな人たち。

ものすごく優秀な先生は多い。だからこそ声がかかるし、旅先でもすぐなじむ。 一方で、飛びぬけた「腕」を持つようなこともなく、あまり目立たないような「旅人」も、 また多い。そんなに何人も知っているわけではないけれど。

拝み屋」と、「開拓者」と、「将軍」。

何歳になっても旅を続けられる医師というのは、大体この3つのスタイルのどれかに当てはまる。

地味で目立たない「拝み屋」

拝み屋という人種は、目立たない旅人だ。

そんなに際立った専門分野を持っているわけでもなく、履歴書に書く肩書きもシンプルなもの。 病院に来てからも、外来がずば抜けて速いとか、教育熱心とか、 なにか目立った活躍をするわけでもなく、 淡々と人並みに仕事をこなす。

「拝み屋」の凄さというのは、こうした「普通の医者」の真似が、赴任してすぐに出来てしまうことだ。

かけ出しだった頃、いきなり僻地の病院に飛ばされて、そこで部長をやっていたのは、 たいていこうした人達だった。

僻地に行くと、元外科医とか、元整形外科医といった人たちが「内科」の看板を下げて 外来をやっている。みんなそこそこ年齢がいっていて、べつに内科の研修を受けたわけでもない。 でも他に医者もいないし、患者なんて内科しか来ないから、内科をやる。

本職じゃないから、「腕」はそんなによくない。あの頃は今以上にバカだったけど、それでも こちらは「内科」の看板をしょっているから、内科だけは一応こちらのほうが上。年次は、 向こうの方がはるかに上。

「適当なことやりやがって」。

昔はむかついた。片手間で内科をやったって、絶対トラブると思ってた。 でもそうならない。

「拝み屋」の人達は、拝むのが上手い。外来をやっていて、自分達の手に余ると思う人が来ると頭を下げる。

「僕の手には余るので、先生お願いします」。

50も過ぎる医師が、4年目程度の医者に頭を下げる。何の気負いもなく、年下にでも頭を下げる。 だからトラブらない。

外来でトラブルになるのは、難しい病気の患者さんでなく、むしろ「簡単な」病気の患者さんだ。

若手はバカだから、「簡単だ」と思うと顔に出る。だからトラブルになる。こんなとき、「拝み屋」の 先生方は、年齢の厚みという奴をいかんなく発揮して、丸くおさめてしまう。

拝み屋の人達は、そこに今あるリソースを改変しないで使うのが得意だ。

新しい薬を入れろとか、スタッフをもっと増やせとか、そうしたことは言わない。 ある物で、できることをやる。発展はない代わりに、現状の維持が上手にできる。

「拝み屋」は雰囲気を読む。淡々と仕事をしながら、回りの空気を探る。

雰囲気を察する一番の方法ってえのは決まってる。そりゃあ2,3ヶ月はじっと辛抱して掲示板の持つ雰囲気に慣れるってことだよ。それと依頼の出し方とかもチェックすることだ。 それで2,3ヶ月様子を見て、どうもその掲示板には血の気の多いのがいそうだとか思ったら、ベースとする掲示板を変えていくわけだ。喧嘩上等の鼻息の荒い初心者なら大罵倒大会の会場となる。ま、その手の掲示板ならそれでもオッケーだけどな。 そうやってるうちに、自分の求めてる雰囲気に合う掲示板を見つけることだ。 それから依頼出したって遅くねえ。取りあえず依頼出したい気持ちもわかるが有名どころのソフトのシリアルなんて誰かが訊くんだからよ。気長に待ってりゃそのうち出てくる。 昔から言うだろ?慌てる乞食は貰いが少ないってな。

掲示板の前書き より引用

気が長い人が多い気がする。できることだけやって、自分に何が求められているのかを じっと考えている。淡々と仕事をこなして、決して目立たず、次の「お呼び」がかかったら、 また旅を続ける。

自分達と働くのが不愉快だったからなのか、それとも「旅」自体が好きなのか。 「拝み屋」の人達とは何回か一緒に仕事をしたことがあるけれど、みんなまたどこかに行ってしまった。

何でも作る「開拓者」

開拓者は、何でも自分でやる。どこに行こうと、そこにいる人を育ててチームを作り、 外来を増やして予算を作り、仲間を増やして検査室を作って自分の外来を立ち上げる。

心臓血管領域の内科/外科(要はカテ屋と心外…)には、開拓者の人がとても多い。

まだまだ若い学問だから、自分の師匠筋にあたる世代の先生方は、誰もが最初は開拓者だった。

  • 大学の医者でもないのに、流れた先の小さな病院で心臓カテーテルを一人でやるところからはじめて、 そのうちそのエリアで初めてPTCAを行った先生。
  • 外来を開いて○年間、客が来なくて屋上で途方にくれるところから始まって、今では日本有数の 循環器外来を立ちあげている某先生。
  • よくテレビに出てくる心臓外科の先生にしたところで、外国から帰ってきて、当時は無名だった 某病院でICUナースをリクルートするところから初めてチームを作り、弟子を育て、その後 別の病院に移られてから、もう一度同じことを一からやり始めている。

「開拓者」が来た病院は、歴史が変わる。病棟の雰囲気も一変する。

開拓者の先生方は人を育てるのが上手い。チームはどんどん大きく、 また効率がよく動くようになる。

創生期のベンチャー企業と同じく(知らないけど)、そこで働くことは楽しく、 入院患者数や症例数も倍倍ゲームで増えていく。

開拓者の来た病院では、争いごとは避けられない。

アメリカの開拓者だって先住民との間に殺しあいがおきたように、開拓者が版図を広げようと する際、もともと居た「先住民」との抗争というのは、避けることができない。

組織は変革を余儀なくされ、出る杭は打たれる。 「先住民」組織のトップが開拓者を100%支持してくれれば、そもそもそうした問題は おきないのだけれど、トップというのは常に「事なかれ主義」だからトップを張れる。 開拓村は大きくなっても、どうしても戦争の不安を無くせず、緊張は解けない。

「開拓者」の先生方というのは、もともと飛びぬけて優秀な人が多いから、 「呼び声」は常にかかっている。「開拓者」はいつでも、どこにでも行ける。

開拓者の先生方の移動も、また一人だ。有名になった医師であっても、 移動先には一人でいって、そこでまたチームを作ることが多い気がする。

全部もって来る「将軍」

人当たりが今一つでも、「腕」一つで周囲をねじ伏せるような人もいる。

こうした人が一人で動いたって、成功するわけがない。回りはついてこないし、 最初から敵に回ったりする。

ところが、腕の立つ医師が「軍隊」を引き連れてくる場合、この移動はそれなりに上手くいく。

軍隊というのは、世界中どこでも作戦ができるよう、「そこにあるもの」は原則として利用しない。

災害派遣などで軍が出動するときにも、寝泊りするのに地元の公民館を使ったり、 民家のトイレを借りたりはしない。全部持っていく。 効率は悪いけれど、「いつでも、どこでも、どんな状況でも」すぐに作戦行動を始めるには、 この方法が一番だ。

「将軍」は、内なるカリスマだ。移動するときは、チームごと移動する。

その移動は大事件になる。前の病院の悲鳴は聞こえてくるし、 移動後の病院では医局の一角をいきなり占拠されたりする。けっこう揉める。 「原住民」はみんなブーたれる。

それでも、外野を無視して将軍のチームは働き出す。下手をすると、患者ごと連れてくるから、 外来はすぐに稼動する。手術室の日程はすぐに埋まり始め、原住民の悪い予測は すべて目の前の現実にとって代わられる。

どんなに違和感があっても、うまくいっているものに慣れるのは、想像以上に早い。

「将軍」たちが勝手に仕事を続けているうちに、他の「原住民」もまた、自分達の現実へと帰っていく。

「将軍」たちがやってくるということは、古い切り株に「接木」をするようなものだ。木は確実に 大きくなり、またもともとの木のリソースが喰われることはなく、葉っぱの枚数だけが増える。

そのかわり、軍隊というのは来るのも突然なら、撤収も突然だ。

ペイが悪い。医局で喧嘩。正直「どうでもいいんじゃね?」と思うようなことで、 「軍隊」は将軍の号令一下、大移動を始める。

軍隊が去った後の病院の後始末に行ったことがあるけれど、 残されたスタッフはもう茫然自失。10人単位でまとめてスタッフがいなくなり、 外来表は空っぽ。荒廃した医局の引出しには未使用のボールペンがあふれ、 まだ電源の入ったG3マックが置きっぱなしになっていた…。

拝み屋と開拓者と将軍と

旅人の3つのスタイルの違いというのは、たとえば就職後の周囲とのコミュニケーションの違いだ。 拝み屋はなじむ。開拓者は戦う。将軍は勝手にやる。

受け入れ先から求められるものも違う。拝み屋なら維持。変革を求めるなら開拓者を探さなくてはならないし、 即戦力なら将軍じゃないと無理だ。

社会は変化し、病院の環境もどんどん変化する。今までは安定した「原住民」でいられた人も、 また「旅人」になるのを余儀なくされる。

自分がどんなスタイルが取れる医師なのか、または、将来どんなスタイルの医師になりたいのか。 「拝み屋」が「開拓者」になりたくなったとして、30も過ぎてからジョブチェンジなんてできるのか。 帝王学みたいなものがあって、開拓者とか将軍やってる人達っていうのは、 最初からもう違っているのか。

たぶん自分は「拝み屋=begger=乞食」のスタイルでここまでやってきて、 自分が経験してきた組織内での振る舞いかたとか、「群れる技術」みたいなものは、 別のスタイルの人から見れば参考にならないどころか、お笑いにしかすぎないわけで。

今に見てろとか、自分もいつかとか、このままでは終われないとか。

余計なことを考えては無茶したり、抱え込んだり、喧嘩をしたりしてまたトラブル。

これは成長の過程なのか。それともまだ自分のスタイルを悟れてないだけなのか。

次の病院では、トラブらないといいな…。