盤外戦のしかけかた

公平なルールで気分良く戦うためには、盤外の戦いに最善を尽くさないといけないという話。

女子フィギュアスケートで五輪代表に3選手が決まったが、25日の「全日本選手権」を見て、なぜ、6位の安藤美姫選手が選ばれたのか、釈然としない人は多いはずだ。ネット上のアンケートも「納得できない」との回答が9割を超えた。 渡部絵美さんは選考前、夕刊フジに「今の実力からすれば、選ばれるべきなのは浅田(真央)、中野(友加里)と、村主か荒川のどちらか。でも、代表は安藤と村主、荒川になるので見ていなさい」と断言していた。 ZAKZAK「代表は選考前から決まっていた」より改変引用

なぜか。

  • 代表3選手は、日本オリンピック委員会JOC)が、スポンサーから資金を集めるための「シンボルアスリート」に選ばれている。個人にも大手企業のスポンサーも付いており、連盟は彼女たちを落とせないと読んでいた。
  • フィギュアスケート界の“女帝”といわれる城田憲子フィギュア強化部長は村主や荒川の指導者だった。一方、浅田や恩田(美栄)は、伊藤みどりを育てた山田満知子コーチの教え子。2人の対立関係が選考に影響した。

ルールブックは熟読せよ

どんな競技にもルールはあるけれど、ルールブックというのは「書いてあること」だけを読んではいけない。

目標が「ルールを守ること」ならば、ルールブックに書いてあることだけを読めばいい。

ところが、目標が「勝負に勝つこと」ならば、ルールブックの読みかたは変わってくる。 書いてあることはもちろん大事。でも、もっと大切なのは何が書いていないのか を読み取ることだ。

たとえば自動車競技。ルールブックはあるけれど、主催者の意図に忠実に車を作っていたら、 絶対に勝てない。

1990年代のグループA。メーカー対抗の市販セダンの改造者の競争で、 大いに盛り上がった。レース自体も面白かったけれど、何より面白かったのは各メーカーの戦略だった。

  • いち早く車を作って必勝を期していたのがマツダ。 まじめなメーカーだけに、改造範囲もルールブックどおり。それは正しい行為だったけれど、それだけ。

  • ホンダはすごかった。ボディ以外は全く別者と呼べるぐらいに改造した車を出してきて、 レース中盤以降はもう独走状態。他のメーカーからの抗議が殺到したけれど、それでも勝ちつづけた。

  • もっとえげつなかったのがトヨタ。勝利数では明らかにホンダに負けていたのに、途中から ルール自体の改変を要求した。前半戦のホンダの勝利は無効試合か…という雲行きになった頃、 新聞の1面を買い上げて「グループA1年目はトヨタ自動車が総合優勝」の前面広告。

自動車競技の勝ち負けなんて、八百長でもしなければごまかしようが無い。それでも ここまでできるし、メーカーともなるとここまでやる。

いい大人の技術者が、どうやったらルールの範囲を守れるかを考えるのではなく、 どこまでならルールを破っても大丈夫なのかを真剣に考えるのが自動車レースの世界。

だから面白い。

ルールを決めるのは主催者か?

もちろん、競技を主催する主催者はルールを決める。

参加者全員がルールを守って、想定したルールの中で競技してくれれば、 主催者としては一番都合がいい。

小学校の運動会といった、競争の目的が「楽しむこと」で、実世界の利害が 加わらない場所で開催される競技ならば、ルールはそのとおりに守られる可能性は高くなる。

ところが、 残念ながら利害の絡まない競争というのはほとんど無い。

小学生の頃、近所の工事現場で泥合戦をするのが流行ったことがあった。 最初はみんな泥を投げていたけれど、すぐに 泥団子の中に石を混ぜる奴続出。流血沙汰になって、担任の先生が武力介入するなんて しょっちゅうだった。紳士協定なんて破るためにある。そんなことは小学生だって分かってる。

奪い合いの無い世界でもまた、ルールは守られる。

バブル経済真っ盛りの頃。 経済の規模がどんどん大きくなっていた頃は、いい物を作りさえすればどんどん売れた。 膨らんでいく世界ならば、ルールどおりの努力はかなり高い確率で報われた。

今は無理だ。世界の大きさは限られている。勝つためには、誰かから奪わなくてはならない。 「いい」だけでは片手落ちで、「どう」いいのか、差を見せつける努力は欠かせない。

ルールは作られるけれど、すぐにそれは競技者に解釈される。抜け穴は突かれるし、ゲーム盤の外 では主催者の想定外の戦いかたがしかけられる。

ルールブックに記載されているルールと、ゲームに勝つための「真のルール」というものは、 しばしば大きく異なる。

ゲームを構成する3つの要素

相手に勝つには、そのゲームの真のルールを知る必要がある。

ゲームという言葉の概念は広い。フィギアスケートやK1グランプリみたいな格闘技だってそうだし、 選挙や政治、戦争だって概念上はゲームの一つだ。

実世界でのゲームというものの真のルールを決定しているのは、以下の3つの要素だ。

  • ルールブックの内容
  • ゲームの審判の技量
  • 自分が目標とする勝利の条件

ルールブックはルールそのもの。それをどうやって違反するかも含めて、ここまでは 狭義の競争の範疇。

「盤外戦」の主役になるのは、審判の技量の読みと、その操作。さらに、勝利の条件を 競技者が勝手に変えてしまうと、ゲームの存在自体を無かった ことにしたり、あるいは負けたゲームの結果を最終的に「勝ち」に持っていくことすら 可能になる。

審判の技量の問題

前のブッシュ vs ケリーの大統領選挙。

ルールブックに書かれた範囲の競争では、ブッシュ陣営の勝利は危なかったのだそうだ。

ブッシュ大統領の経歴や政策面、人気といった、大統領選挙のルールブックに 記載された部分では、ブッシュはケリーに勝てないと言われていたらしい。

ブッシュ陣営の取った戦略はシンプルなもの。

頭が良いケリーは冷たいリベラリスト、 「お茶目な」ブッシュは暖かいキリスト教徒。

キリスト教を信じるなら、テロリストを憎むならブッシュへ投票を。 こうした2極分化のキャンペーンを張って、インテリ層の少ない州を味方につけた。

選挙という競技で審判役をやるのは有権者だけれど、選挙エージェントの人たちが まず行う準備の一つが、その地域の有権者のインテリジェンスの評価なのだそうだ。

前の大統領選挙では、ケリー陣営は「有権者は頭がいい」という戦略を選んだ。文化人のインタビューや 応援演説を投入して、ブッシュ批判の映画(一応関係無いらしいが…)を公開して、政策面での 民主党の有意性をアピールした。

ブッシュ陣営は、アメリカ国民のインテリジェンスをもっと低く設定していたように見える。

有権者全員が法律学者なら、政策の優秀さを唱えた民主党が勝利したかもしれない。 ところが、「審判」としてゲームに参加する人には、いろいろな人がいる。 審判の技量の読みと、それに合わせた戦略の選択という点で、今回の共和党民主党を上回っていた。

  • 審判全員が神様ならば、そもそもルールブックすらいらない。
  • 審判がどうしようもなかったら ルールブックを無視して「オレの勝ちだ」と声高に叫んだほうが速いかもしれない。

どちらにしても、ルールブックというものは審判員の技量が一定範囲の状況でしか 通用しない。

冒頭のフィギアスケート。審判だって人間だから、採点なんかいくらでも変わる。

たとえ公平な裁定が行われていたにしても、でてきた結果は後味の悪さが 残る。選手に「公平な戦い」をしてもらおうと考えた場合、この一件では コーチサイドの努力が足りなかったように見える。

選手に強くなってもらうだけでは、ゲームのコーチとしては片手落ちだ。

  • 相手に拮抗できるだけのスポンサーや政治力を用意する
  • コーチ間の派閥のスキャンダルについてマスコミにリークして、スポンサーを持ちこめなかった不利を 挽回する

ルールブック上は「公平」な戦いであったとしても、こんなことをしないと「真のルール」の上では 公平な戦いにはならない気がする。それが選手が望むことなのかどうかは別問題だけれど。

自分が意図する「勝ち」とは何か

いい医者になりたい。

これだって立派なゲームだ。

論文をたくさん書くこと。専門資格をとりまくること。 同級生から認められること。お客さんから感謝されること。

ルールブックには「いい医者になる」としか記載が無い。何が「いい」のかは自分で決めないといけない。

たぶん誰もが自分なりの「いい」基準を持っていて、一生そこに向かって努力をする。 手術の技量やいろいろな資格。専門医の認定試験。医師の生活の中には様々な競争があるし、 みんないろいろな競争を勝ち抜かなくてはならないのだけれど、そうしたローカルな競争の 勝ち負けというのは、勝利条件の設定のしかたによっては単なる通過点にしか過ぎなくなる。

今世の中がいろいろと変わってきていて、 医師法朝令暮改の気合で改正(それが改善なのか改悪なのかは、 サービスの受け手である患者さんが評価することで、医師が論じるべきではないと思う)されている。

医療周辺のルールブックの記載内容はコロコロ変わる。お上が変える。勝手に変える。

そのルールブックに素直に従った人達は、みんな損をする。高額な医療機器しかり。 療養型病棟しかり。 ルールを変えられるのは本当に腹が立つ。 あんなものに自分の一生が左右されるかと思うと、いやになる。

コロコロ変わるルールに最適化しようとすると、自分の中の「いい医者」像もコロコロ変わる。 従う以上、変わらざるを得ない。本当に下らない。

医師免許を持ってる奴が医者。さすがにここは変わらない。 変わらないものを足がかりにして、 なんとか自分の勝利目標という奴を設定できないものか。 そんなの単なる甘えなのか。そもそも病院で医者やる時点で 終わってるのか。

10年経っても、まだ分からない。