中国にいってきた

夏休み

動機は単純。パンダを見に行こう。

準備なんか何も考えていなかった。

先の読めない仕事。遠い先の予定をいれると、 予定直前になったとき、締め切り効果で判断ミスの可能性が増える。

幸い、現地のガイドさんにはつてがあった。「いつでも大丈夫ですよ。」との力強い返事。 信じた自分たちが馬鹿だった。

航空券は、直行便が一杯。上海で中国の国内線に乗り換えるルートが、何とか空いていた。

割引がないから高いけれど、ツアーじゃないから、これは仕方がない。

なんとか休みが見えてきた1週間前。ガイドさんからメール。「別な仕事が入りました。残念です。

なんだよそれ。

中国語なんてもちろんできないし、行くのは奥地だ。ガイドと車がないと、話にならない。 慌てて中国の交通公社(何も考えずに日本語でしゃべり出すと、日本語ができる人に代わってくれる)に電話しても、当然誰も空いていなかった。結局、元のガイドさんの身内、 現在休職中の人がいるというので、その方にガイドをお願いする。

大丈夫か?自分達。

往路は最悪

上海までは普通に到着。そこから国内線を乗り継いで、国内の某市へ。

上海空港は日本語が通じるという噂は嘘だった(国際線なら日本人の航空会社の人がいた)。 片言の英語と筆談のみで何とか受け付け通過。乗るはずの飛行機には「delay」のシンプルな文字。2時間待ちで乗り継げるはずが、最低でも6時間待ち。目の前が暗くなった。

上海についたのは夕方。英語のアナウンスが入るうちはまだよかった。夜も22時を回るころには、アナウンスは中国語のみ。飛ぶはずの飛行機はまた遅れ、待合ロビーは殺気立つ 現地の人の群れ。

言葉はわからなくても、悪意は国境を超える。

20人ぐらいの乗客が空港スタッフにつかみかかっていれば、何を話しているのかは大体分かる。スタッフにチケットを投げつけている人がいる。金返せって言ってんだろうな…。言葉がわからないから外に出ることもできず、情けないけれど待つしかなかった。

24時を回る寸前、空港スタッフがクラッカーを配り始める。結局徹夜かよ…。

唯一の命綱は、現地のガイドさんとの携帯電話だけだった。日本語が話せる唯一の機会。 めちゃくちゃにありがたかった。電波は相当に悪かったけれど。

飛行機が飛んだのは1時近く。現地到着は4時。待っててくれたガイドさんに謝り倒して、 とりあえずホテルへ。もう電池切れ寸前。現地仕様のホテル。廊下の天井板はすべて抜けていた。チェックインして朝の5時、それでも怪しいマッサージのサービス電話はかかってくる(必ずあるらしい)。向こうは中国語。こちらは片言の英語と、日本語。コミュニケーション不成立で、黙って電話を切る。酒とデパス(常備)飲んで、スイッチ切って寝た。散々な1日目。中国が嫌いになった。

動物園へ

翌朝はみんな徹夜明けの表情。朝のかなり遅い時間に出発。パンダの繁殖施設まで、 市内から車で4時間。ガイドさんが運転。後部座席に自分達2人。

ガイドをしてくれた方は、旅行会社の社長さんだった。仕事がなくて休職中というよりは、出社しなくても電話で何とかなるからなんだと。経営している会社は話に出てくる中だけで3つ。資本参加している企業、いっぱい。日本語と英語、中国語の3カ国語はペラペラ。政府関係者にコネクション多数。

誰だよこんな人紹介したの。

東京と見まごう大都会から1時間も走れば、もう山の中だ。中国は、都市部と農村部とのギャップが激しい。都市部を出れば、道路沿いの家はすべて日干し煉瓦造り。窓はただの穴。床は土。やたらと緑の多いイラクみたいな風景が、延々と続く。

農村部の道は2車線。信号は一つもない。交通ルールもない。自分がルールを守っていても、無事に走れる保証はない。みんな、平気で対抗車線を突っ走ってくる。4時間の道中、正面衝突の事故が2件。一瞬涅槃が見えたことが数回。見通しいい直線道路での出来事。

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道中、どう考えても渋滞などありえない直線道路で、1時間近く交通がストップ。原因は、軍人の車が車線を譲ろうとしない(もちろん対向車線だ…)ためだった。この国では、警察と、軍属と、政治家の車には道路交通法が適用されない。駐車違反しようが、信号無視しようが、まったく自由。で、交通ルールを一番守らないのもこういう人達。だから、日本ではありえない状況で車が動かなくなる。時間は読めない。

現地に到着。すぐパンダと遊ぶ。目の前のご馳走はすぐに食べないと。先の見えない状況ではなおさら。

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ほらね。お金とコネさえあれば、こんなことだってできる。子パンダにかまれて腕にあざができた。パンダの肉球は柔らかかった。中国万歳。

この施設には少しだけコネがある。

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施設前の寄付者の石碑。自慢させてもらうと、うちの斜め上は黒柳哲子だ。寄付した金額は、たぶん2ケタ以上違うけれど。

コネクションのある人間には、この国は本当に寛大だ。

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普段非公開の、生まれたばかり(2週間)のパンダ。大体実物大。

写真撮影は断られたけれど、生まれたばかりの子供を世話する母パンダも目の前で見せてくれた。人とパンダとの距離は近い。手を伸ばせば余裕で触れる。日本の動物園とは比べ物にならない。

後はもう、時間の許す限りパンダ、パンダ…。写真は全部うちの里子。現地宿泊。翌日も同じ。

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帰り道

隣の人が酔ってしまったので、ナウゼリンデパスでお休みしてもらう。

ガイドの人と2人、話題は「政治」だ。鄧小平が云々。文化大革命とは何だったのか。スリリングな話題で3時間はあっという間。

面白かった話題をいくつか。

  • 文化大革命については、現在では「失敗だった」と公言しても大丈夫らしい。天安門事件についての話題は、まだあまり語られる雰囲気になっていない。

  • 鄧小平という人物は、天安門事件で変な形で有名になってしまったけれど、人生トータルで評価すると、成功した政治家として肯定的に評価されている。

  • 天安門事件の評価はまだ定まっていないけれど、あれ以後中国の開放は進み、中国は毎年10%近い成長率(評価の基準は分からない)維持している。SARS騒動や、最近の抗日デモといった事件は、こうした成長率には心配したほどには影響しなかった。

  • テレビが普及して、中国語は共通語ひとつにほぼ統一された。テレビ番組は字幕といっしょに放映されるので、今では地方のお年よりでも共通語をしゃべる。鄧小平が公式の場でも四川の言葉でしゃべっていた影響もあり、共通語には四川の言葉の発音がかなり入っている。

  • 株式投資は盛ん。それでも、国外の人が中国株でもうけるのは無理。中国人は、株式で利益を出そうと考えたら、まずは政府要人、投資会社の人を交えた「食事会」を開く。その席で、どんな株を買うのか、目標とする利益はどのくらいを目指すのかを打ち合わせる。知っている人は、確実にもうけが出る。一方、知らない人は絶対に損をする。

  • コネクションのある人は、株価をある程度操作できる。だから、利益を分配したいときには、株を利用して特定の人にお金を移動することができる。コネクションのない人は、もちろん参加できない。

  • 仕事柄、友達同士(ベンチャー企業の経営仲間らしい)で世界中を旅行するが、今ブームなのは秘境。チベットの奥地とか、シルクロードをラクダで旅するとか。どこに行っても、中国の共通語は通じる。

  • 都市部と農村部との収入の乖離は大きな問題になっている。所得の格差だけでなく、農村で働く人が馬鹿らしくなってしまい、どんどん都市部に流入している。農作物の生産高がだんだん減っている。農村部には、老人と子供しか残らず、若者は都市に流入する。その割には、治安は悪くない。夜中でも、女性は一人で歩ける。

一部「犯罪?」と思うところもあったが、黙ってた。小泉政権が大勝したことは中国でも話題になっていた。小泉支持だと答えたら、ガイドさんの笑顔が翳った。

都市に戻って観光。夜は劇場へ。

演劇は、中国では非常に人気がある。かなり前から予約を入れないと、席はすぐに埋まってしまう。当日席なんてもってのほか。それなのに、なぜか「たまたま」最前列の席が空いていた。写真取り放題。役者さんが舞台から降りてきて、握手してくれた。

ガイドさんと劇場の支配人の人は、友達同士らしい。その人が気を利かせてくれて、2人分の予約をキャンセルしてくれた。追い出された元の予約の人、ご愁傷様。中国最高

帰国はスムーズ。初めての海外旅行にしては、結構満足。

思ったこと

中国という国は、今も昔もコネが全てだ。今回ガイドしてくれた方は、普段は個人のガイドなど引き受けない方。身内から頼まれたから、ガイドをかってくれて、個人の旅行者に様様な便宜をはかってくれた。

年齢は自分よりも少し上。ちょうど天安門事件の時の大学生。

解放前の中国の大学生というのは、政府のエリートへの道が確定していた。職業選択の幅は少ないものの、成功は約束されていたという。

天安門事件前の中国というのは、文化大革命以後の恐怖が薄れてきた頃。鄧小平は開放のされた中国を象徴する政治家だった。殺される心配もなく、安心して中国政府批判ができる時代というのは、当時は画期的なことだったらしい。

天安門事件、学生はまさか殺されるとは思ってもいなかったらしい。信用していた政府は裏切った。

裏切り者は政府だけでなく、身内にもいた。当時の学生側のリーダー、柴玲。この人は、インタビューに答えてこんなことを言っている。

「政府を追い詰めて人民を虐殺させなければ、民衆は目覚めない。だけれど、私は殺されたくないので逃げます。」

ぎりぎりまで譲歩していたのは政府側。流血を求めて学生を止めなかったのは、学生の指導者。実際に流血沙汰になったとき、当の学生指導者はアメリカに逃亡した。

中国の政治の歴史というのは、三国志の時代から変わることのない、裏切りと殺しあいの歴史だ。虐待された側は、次の瞬間には虐待する側となり、「負け組み」についた奴は本当に殺される。文化大革命時代まではずっとそうだった。毛沢東の死後、一度は落ち着き始めた政治。そして天安門事件。歴史はまた繰り返す。

裏切りは人を不安にする。天安門事件世代の人達は、ごく少数の「身内」以外の人に対しては非常にドライなのだそうだ。長期間の契約とか、安定した未来といったものを信じない人達の社会というのは、どうしたってコネクション優先の社会になる。

天安門事件の頃に大学生だった人達は、本物のエリートだ。政府筋にコネクションが多数あるから、成功すべくして成功する。証券取引所というのは、こうした人達にとってはギャンブルの場所ではなく、ただの貯金箱だ。必要なお金は、非常に少ないリスクで引き出せる。

コネクションの効く社会はすばらしい。コネのある人にとっては、安心してチャレンジできる社会。新しい会社はどんどんできる。政府もそれを応援する。社会は発達し、国は途方もない速度で成長を続ける。

コネクションの効く社会は、一方でそうしたものを持っていない人には、全くチャンスのない社会だ。どんなに優秀な人であろうと、社会には厳とした階級が存在する。「身内」になれない人にはチャレンジする機会は一生巡ってこず、常に搾取される側にしか回れない。

日本だって遠からず、そうした社会に戻る。

中国は大きい。小泉自民党がどんなに突っ張ったところで、国の基礎体力が違いすぎる。日本柔道の至宝、野村忠宏がどんなに強くても、やはり軽量級だ。凶器を持ったヒョードルとノールールで戦えば、やっぱり大怪我するだろう?

10年後ぐらい。成長した中国。日本は、国は残るかもしれない。それでも社会制度は中国化する。そんな気がする。

コネを持っているということは、ずるいことだ。持ってない人から見れば、あまりにも理不尽な競争を強いられる。だからこそ、一度コネクションをつかんだ人は、絶対にそれを離そうとしないし、コネクションが力を発揮する競争のルールは、「健全な」方向に戻ることは絶対にない。

人と人とのコミュニケーションに要するコストが劇的に下がったネットワーク社会。増大するコミュニケーショントラフィックの中で、重要なものとそうでないものとを選別するのは、結局のところ「誰かの知り合いかどうか」が全てだ。

知り合いでない人の中にも、もしかしたら素晴らしい人物が隠れているかもしれない。それでも、1人の人間が付き合える人間の数は限られる。それならば、知り合いの紹介してくれた人のほうが、歩留まりは高い。コネ社会への流れというのは一方向性で、戦争や革命でも起きない限り(中国は、両方を経てもやはりコネ社会だ)、時計が逆に回ることはない。

初めての海外旅行。たまたまいい人にめぐり合えた。とりあえず日本の贈り物を探して、中国語会話を練習しようと思った。