認識のスケール

何が知りたいのか、状態や経過をどういう空間軸、時間軸で把握したいのかによって、検査の有用性というものは全く変わってくる。

たとえば、「心不全」という一つの病態を把握するのに、現在よく使われるのが、心エコーと血液中BNP濃度だ(他にも聴診や問診、胸部単純写真やスワンガンツカテーテルといった検査があるが、話を単純にするために無視)。

心エコーとBNP測定、心不全という状態を把握するのに、どちらが優れた検査だろうか。

心エコーは何でも分かる

エコーの進歩はめざましい。

ほんの15年ぐらい前まで、心臓の画像を作ることすら出来なかった心エコーは、現在では気合を入れれば冠動脈の評価まで出来る。もちろん限界はあるけれど。

動いている心臓を詳しく評価するという面では、心臓超音波検査は、他の検査の追随を許さない。

心臓の筋肉の収縮性。全ての心臓の弁の機能の評価。血液の流れ。体格などの問題で超音波が入らないような人を除けば、エコーで「見えない」心機能は無いようにすら思える。

一方、心エコーではどう評価しても「正常」な人なのに、臨床症状は「心不全」という人が存在する。自分だって一応は循環器の端くれ。「拡張障害」なんていう言葉は一応知っている。それでも、そうした目で見ても、やはりエコー上は心機能のパラメーターは正常。で、そういう人に「心不全」の内服を飲んでもらうと、心不全じゃないはずなのに症状が改善したりする。

BNPは数字だけ

血液中のBNP濃度というのは、血液検査の値にしかすぎない。心臓が漠然と「悪く」なるとその数値が上昇し、「良く」なると減少する。

BNPが上昇しても、その原因は全く分からない。心筋の機能不全なのか、弁の異常なのか。あるいは、心筋梗塞でもおこしたか。

原因はわからなくても、その人の心臓が「良い」のか「悪い」のかだけは、この検査はかなり鋭敏に分かる。

何がおきているのか全くわからなくても、息苦しさがあって、BNPの高い人に心不全の内服薬を飲んでもらうと、症状が軽快する。実際、この判断基準だけで心不全の患者さんをコントロールすると、しっかりと診察してから薬を調節するより、患者さんの予後が良くなるというデータもある。

医者の頭なんか、使うだけ無駄。BNPさえあれば、循環器内科医なんて要らない。

マクドナルドの混雑を評価するには?

詳しい検査が、なぜ大雑把な検査に劣るのだろうか?

認識のスケールが違うからだ。「心不全かどうか」という認識のスケールは、かなり「大きい」。心臓の機能を左右するのは、心筋の収縮力だけではない。弁の機能。血液中酸素濃度。血液粘稠度。様々な要因の総合が、「心不全」という病気を左右する。

個々のパラメーターを測る検査はたくさんある。心エコーは、こうしたものの大部分を個別に評価できる。ところが、部分をいくら集めても、全体には決してならない。「全体」を評価するには、全体を評価するための検査を選ぶ必要がある。

たとえば、ドライブスルーつきのマクドナルドの混雑具合を評価するには、どんな検査を行うのが正しいだろうか。

ファーストフード店が混雑する理由はいろいろある。

  • 客(車)の数が多い
  • 道が狭くて入りにくい
  • 受付がトロい
  • 料理を作るのが遅い
  • 会計係が適当で、客が出て行けない
  • 出口が大通りに面しているので、車が混雑する

心エコーで心機能を評価するというのは、ちょうどマクドナルドの店の中に入って、あれこれ観察するようなものだ。

店の中にいれば、店のことは全部分かる。誰が責任者なのか、誰が律速段階になっているのか。ところが、店の中で見ていても、店の外の原因、例えば道路の設計や、車の量などといった問題は分からない。また、誰もが少しずつ原因になっている場合、「店が混雑している」ということすら分からないかもしれない。

一方、BNPを測定するという行為は、そのマクドナルドを店の外から観察して、入り口に出来る渋滞の長さを測定する行為に例えられる。

混雑の原因は、渋滞を見ても何もわからない。それでも、「その店が混雑しているのかどうか」、何かの改善策が必要なのかだけは、見ればすぐに分かる。

検査というのは、着目する空間スケールが大きくなればなるほど、より信頼性に富んだ評価が可能になる。もちろん、細かな原因を調べるためには、空間スケールを小さく設定しなくてはならないが、今度は総合的な判断が不可能になる。

進路相談の質問はどうするのが正しいか

どこの科にいくのがいちばん「いい」のか、多くの研修医の間で話題になっている。

○○科にいった先輩は大変らしい、あそこ科の先生方は、楽しそうに仕事をしている。

多くの研修医は、自分の知っている上級生が、実際に勤務している科が「どう」なのか、そうした意見を総合して自分の行きたい科を選ぶ参考にしている。

では、「どの科が一番いいのか」という疑問に対して、「先輩の科は、どうですか?」という質問は、正しい答えを返してくれるだろうか?

検査の正しさというのは、注目する空間スケールと、検査のの解像度(たとえば年収が知りたいのか、雰囲気みたいなものまで、情報なら何でもいいのか)により左右される。正しい空間スケール、正しい解像度の検査を選択しないと、正しい答えは見つからない。

「どの科が一番いいのか」という質問は、かなり大雑把な質問だ。その答えを知るためには、たぶん「先輩は、どこの科が一番うらやましいですか?」と全ての科の医師に聞いて回り、そのアンケートを集計するのが一番正しい方法だ。

人間、誰しも自分の選択を全否定はしたくない。

自分の勤務している科にしても同様だ。当然ながら欠点はある。それでも、一方でいい面もきっとある。

  • 給料は安いけれど、やりがいはあるよ。
  • 拘束時間は長いけれど、それだけ重症の患者さんが歩いて帰ってくれる。
  • 仕事は大変だけれど、僕達が頑張らないとね…

人は他人の芝の青さをうらやむ。面白いもので、他人の芝の評価は「青さ」だけ。きれいに見えるかどうか、庭全体を見て、ごく大雑把な評価を下す。一方で、自分の家の庭の評価は複雑だ。

家の庭には池があるけれど、芝生の植生は今ひとつ。 確かに石ころの多い庭だけれど、木の生い茂り具合は家の庭のほうが上。

自分の評価は微視的に、他人の評価は巨視的に行うのが人間の習性ならば、「誰もがうらやむ科」というのは、その科の医師がどう思おうと、現時点での「正解」なのだろう。

今このアンケートをやったら、絶対に名前が挙がらないのが産科と小児科、次に内科と外科だろう。名前が挙がるのは、やはり眼科か皮膚科か。

眼科の先生方とか、みんな人当たりが良くて、仕事が楽しそうで、早く帰れて汚い仕事がない。おまけに病院内の黒字部門で政治力が強くて、肩で風切ってかっこよく廊下を闊歩している。

内科医が、病院の片隅のカレースタンドで遅い昼飯(何年もメニューは一緒)をぼそぼそ食べてる横で、昼休みに外にランチに行ってきた眼科の先生方は、近所に出来た高級イタリアンレストランの品定めに忙しい。

眼科が外履きの革靴を履いている一方で、検査途中に抜けてきた内科医は、血まみれの便所サンダルに裸足…。

うらやましいな…