時間切れ勝ちを狙う治療

物は壊れる。

機械が優秀ならば、どこか1箇所に些細な故障が生じても何とか動く。しかし時間とともにダメージは大きくなり、やがて致命的な故障を生じて機械はストップする。

機械を長持ちさせるには、なるべく早く故障を発見し、それを修理しなくてはならない。

生体の場合、話は違ってくる。故障の原因がわからなくても、見かけ上正常な働きを長く保つように努力すると、いつのまにか勝手に直ることがある。

治療についても、生体は機械と異なった方法論が取れる。

機械の場合、設計されたとおりに修理がなされなければ、正しい動作は得られない。プログラムのコードひとつ、歯車の部品一つ間違えただけで復活することは無い。

生体は適当だ。組織に欠損が生じた場合、なんとなくその辺の余った組織を隙間に詰め込んでおけば、気がついたら勝手に治癒している。手や腕の切断についても、神経を適当に(少なくとも全てをあわせるわけではない)つないでおくと、脳のほうで勝手に適応してくれる。

機械の修理やシステムの維持の場合、早期発見/早期治療が基本戦略になる。時間の遅れは致命的な結果を生む。

生体の場合は違う。早期発見/早期治療ができるならそれにこしたことは無い。一方、医師はしばしば時間を味方につけることができる。

時間切れ勝ちを積極的に応用したのが、外傷外科のダメージコントロールと呼ばれている方法だ。

ダメージコントロールは主に実質臓器損傷を伴う多発外傷に対して行われる手術戦略で、アシドーシス、凝固障害、低体温等の状態で手術継続が困難な時に行う。手術中の止血や損傷組織摘出などの処置を最小限にとどめ、ガーゼパッキングで手術を中断、状況が改善した1-4日後に再建や他の損傷の検索などを行う手術法である。

この方法論の歴史はベトナム戦争にさかのぼる。

「逃げるやつはベトコンだ! 逃げないやつは、訓練されたベトコンだ!」 「よく女子供が殺せるな」「簡単さ、動きがのろいからな」

制空権を握っていた米軍は、兵士が撃たれるとすぐに点滴を開始して後方病院に搬送、緊急手術を行ったが、兵士の予後は決して芳しくなかった。

一方その20年後のフォークランド紛争では、英国の制空権は不十分であり、夜戦が多かったことも手伝って、撃たれた兵士の搬送は遅れがちになった。

しかし、兵士の予後はベトナム戦争の時よりもよくなっていたという。

戦場でできる応急手当は、この20年でそう大きく変わっているわけではない。にもかかわらず予後に差がついたということは、外傷においては「可能なかぎり早く手術し、治療する」という治療戦略自体に何か問題があったことを意味する。

問題点が何なのか、全ての回答が出ているわけではないが、仮説としては以下のようなものが考えられている。

外傷の急性期には、体内の損傷個所には血餅ができ、止血される。出血により血圧も適当に下がるので、一定量以上に出血がひどくなることは無い。治療せずに放置することで、体内環境は正常には戻らないものの、自然な治癒には適した環境に保たれている。 一方、外傷の急性期に血圧の正常化や緊急手術を行うと、せっかく止血された血餅が破綻し、また手術侵襲時間が長引くことで体内の自然な回復機序が障害され、結果として患者の予後改善にはつながらない。

この結果生まれたのがダメージコントロールの概念で、1回の治療で完全な治療を目指す従来の手術とは異なり、1回の手術時間をいかに短時間で済ませるかに重点をおく。

多発外傷の患者の場合、1回目の手術は開腹後全臓器を観察、潰れた肝臓、脾臓などはガーゼでなんとなく包んで、もとの形に近づけるだけ。腸管に穴があいていたら、ガーゼを詰め込むか、大網を巻いてくるだけで手術を終了。開腹した傷も縫わずにICUに帰室する。

その後、輸液と全身管理で血圧を安定させつつ、2日め以降の手術の日程を組む。2日目は肝臓、3日目は腸管と短時間で済むようにスケジュールを組み、体内にできた血餅を極力はがさないように少しずつ治療、すでに治癒が始まっている臓器についてはもう触らない。

内科領域でも、医師はしばしば時間を味方につける。敗血症や肺炎、腹膜炎といった「外乱」による疾患の場合、発症早期の治療に全力を挙げても、しばしば患者さんは泥沼化する。

こうしたときはとりあえず気管内挿管してCV挿入、セデーションをかけてなんとなく全身管理を行い、腸管がつかえるなら体によさそうな薬(少量のステロイドとACE阻害剤、PPIなど適当に)を開始、カテコラミンと輸液は程々に少なめにし、バイタルを低め安定に保つ。

このあたりはスタディもガイドラインも無く、治療の紹介というよりは与太話に近い世界なので感覚でしかものをいえない。あくまでも自分で経験した範囲だが、患者さんの原疾患に対してはとりあえず思考停止し、とにかく他の臓器の働きをいつもどおりに保つように全身管理を続けると、一定の確率で患者さんを立て直すことができる。

実際のところ単なる時間稼ぎにしかならないことをやっているのだが、「第一撃」が期待はずれに終わったとき、ここであきらめずに積極的に時間を稼ぐ戦略に出る。

具体的には2週間はICUに居座ると腹をくくり、気管切開や経腸栄養を早期から行う。尿量低下や血圧低下といったバイタルの不安定さには目をつぶり、常識的な量の静脈栄養を行ってみたりといったことを面倒がらずにやっていくと、結構うまくいく。

治癒機転が悪化につながる疾患もある。不安定狭心症、癌といった、正常な治癒機転が疾患悪化の原因になっている病気は、時間の経過とともに確実に悪くなる。

一方で全てのARDS、手術後の急変、細菌感染症、原因を問わない呼吸不全などは、病気から「時間切れ勝ち」を奪うことが可能な場合がある。

あきらめないで、あがいてみることだ。