戦いを挑む前に
臨床医をやっていると、いろいろな人とのトラブルはつきものになる。患者さんの家族や、場合によっては患者さん自身と一戦交えようかという場面も決して珍しくはない。
病院内で他の業種の人と喧嘩になりそうになったとき、自分は以下のような点に気をつけている。
その喧嘩は本当に勝ち目はあるのか
病棟医はえらい。周囲からいつも「先生」と尊敬されている。自分ならば絶対、目の前の相手に遅れをとることなどありえない。
本当だろうか?
医師は普段から「先生」などと持ち上げられている。周囲は「医師免許」に対して敬語を使っているだけなのに、ともするとそうした敬語をを「白衣の中身」である自分自身への尊敬だと誤解してしまう。
白衣の威光効果の効くような相手ならそもそも喧嘩になどならないので、病棟で喧嘩をしようと思ったら自分自身の力だけで戦うことになる。
裸にされた医師は弱い。普段口論などやらないので議論に弱い、プライドが高いので引くべきときに引けない、病院は医師のホームグランドの割に、喧嘩になると味方はいないなど、医師の喧嘩師としてのポテンシャルはきわめて低い。自分によほどの勝算がない限り、まずは喧嘩以外の道を探る努力をしなくてはならない。
相手に対する非難の根拠は正しいのか
糖尿病の患者が深夜に酒を飲んで困るらしい。寝たきりで入院したはずの高齢者がなぜか元気で、ナースがいきなり抱きつかれたらしい。けしからん患者だ。病棟からたたき出してやる。
その前に、その情報は本当に正しいのだろうか?
スタッフからのクレーム情報でバトルのきっかけが作られる。しかし、実際に起きた事実と、喧嘩のときに引用される「事実」とは要求される証拠のレベルがまったく異なる。証拠のない事実など何の武器にもならない。
スタッフを疑うわけではないが、喧嘩のときは「酒を飲んだ」と主張するなら酒瓶を見つけなくては証拠にならない。「抱きつかれた」と主張するならば、実際に患者さんに抱きついてもらわないと証拠にはならない。
相手に拳をを振り上げる前に、非難の根拠の正当性を十分に検証してからでないと墓穴を掘る可能性がある。自分の怒りのよりどころを相手に簡単にひっくり返され、こぶしの振り下ろし先がなくなるのはこのうえなく惨めな気分だ。
自験例であるが、勝手に飲みに出かける、売店で勝手におやつを買ってしまうというクレームの耐えない糖尿病の人が入院していたことがある。何回かの報告で「もう退院にしよう」という話になり、本人と面談。「あなたはいつも夜抜け出しては飲みに行ったり…」と自分のほうから議論を切り出した矢先、「先生は実際にそれを見たの?」と本人に切り返された。
確かにナースからの報告しか受けていない。また、本当に飲みに行ったのかどうか、写真やレシートを補完してあるわけでなし、何の証拠もない。
結果、その後の議論は完全に受身に回り、自分のつまらないプライドを守るために苦しいいい訳を続ける中で向こうもあきれたのか、「もう、いいよ。許してやるよ。」との話になった。こちらの完敗。
本職のテキ屋の人だったが、自分は高齢者だと思って完全になめてかかっていた。
白衣を着た状態での喧嘩で敗北するとそれはそれは惨めで、喧嘩の行く末を見守っていた他の患者さんからの同情の視線が痛い痛い。2-3日はダメージで回診する足もおぼつかなくなる。
喧嘩に勝って何をしたいのか
別に自分は喧嘩から何か利益を得たいのではない。ただ、相手に誠意を持って頭を下げて欲しいだけだ。
それなら最初から喧嘩など考えてはいけない。頭を下げて反省するふりなど、ふてくされた小学生でもできる。
相手に病院から出ていって欲しいのか。何かを弁償して欲しいのか。勝利した後に何を要求したいのかを具体的に考えておかないと、議論を終わらせることができなくなる。
「相手に謝って欲しい」などといった情緒的な理由は論外。それならば最初から喧嘩などしなくても、相手に頭を下げさせる手段など他にいくらでもある。
自分の欲しい勝利条件は本当に喧嘩以外の手段では達成できないのか、喧嘩になる前によく考えるべきだ。
相手の実力を過小評価していないか
物理的に勝てそうな相手なのかを見極めるのと同様、喧嘩をしようと思ったら、最低限相手の職業に関する知識ぐらいは仕入れる必要がある。
内科で喧嘩になるのはたいてい年上の相手だが、修羅場で効いてくるのは何といっても経験の厚さなので、相手を舐めてかかった時点で医者側の負けは確定したようなものだ。
銀行員や公務員、大きな会社の社員などの「固い」職業の人ならば、病院内で議論するかぎりは医者側が勝つ公算が大きい。それにしても、お互い体面がある商売なので医者側に職業上の不利がないというだけのことだ。
一方そうでない人、中小企業の社長やヤクザ/テキ屋系の人、飲み屋や水商売系の仕事をしている人たちと喧嘩になった場合、まず確実に医者側が負ける。
相手に非がある、相手に不利な証拠があるといった程度のアドバンテージは強弁で簡単にひっくり返される。医師が自分の面子にこだわってもたもたしているうちに、相手の論理は2歩も3歩も先を行ってしまう。やっと追いついたときには、もう自分側に切れるカードは何も残っていない。
見た目が弱そうな人ならば、議論で負けそうなら拳で勝負という選択もありうる。しかし病院内では、医者は相手に殴られることはあっても、自分から手を出すことは絶対に出来ない。
相手の卑屈そうな態度、こちらを恐れているような態度を見ただけで「勝ち目がある」などと思っていると、喧嘩が始まった瞬間に相手に黒コゲにされるだろう。
自分が負けて失うものはないのか
どんなに準備を周到にしても、医者側が負けることは当然ありうる。医者が背水の陣を引くと、負けたときに再起不能になる可能性がある。自分の必勝を疑わずに戦場をナースルームなどにしようものなら、負けた後は恥ずかしくて病棟を回診することすら出来なくなる。
失う物が少ない人は議論が強い。形成が自分に不利になりそうな部分はさっさと引き、思いもかけないところから反撃してくる。
自分が負けたときに失うものが大きいと、不利な喧嘩を上手に引くことができない。結果、議論から軽やかさが失われ、相手に言いくるめられたり、勝てると踏んで仕掛けた議論が粉砕されたとき、鈍重な理屈を重ねて墓穴を掘ることになる。
自分が負けたときのダメージが大きそうなとき、たとえば個室で議論を仕掛けて負けたときのダメージが外に漏れないようにする、部長クラスの医師を呼んでもらい調停に入ってもらう、何とか激しい論争を避けて、失うものなく同じ結果を得られるチャンネルを探るなど、衆人環視の中での正面きっての喧嘩を避けるよう最大限の努力する必要がある。