相手をその気にさせる技術

退院のムンテラの後押しなどに心がけていること。

相手のインテリジェンスに関係なく、平常心の人はこうした心理学的なテクニックには耐性ができている。一方何らかの手段で心の平静を失った人は、驚くほどこうしたテクニックに引っかかりやすくなる。何らかの方法で家族の心を「崩す」テクニックと、ここで紹介する「決断させる」テクニックとを上手く併用できる人はいい詐欺師になれる。なかなか上手くはいかないけれど。

スモールステップの法則

大切なのはまずは少しずつ誘導して興味を持たせ、そこで相手が踏み込んできたら必ず何か手ごたえを返すことである。

退院を渋る家族に本格的な退院の話をする前に、まずは経管栄養とおむつ交換を手伝ってもらう。それが上手くいったことをスタッフが誉めそやすと家族は「やってよかった」という印象をもつ。その後インスリン注射や薬の調製など、徐々にできることを増やしていき、「○○ができないから自宅では看られません」という言い訳を事前につぶしてしまう。

行動の強化

結婚詐欺などでは、最初は小額の借金を繰り返してはすぐ返すことを繰り返し、対象から信用を勝ち取っていく。このとき詐欺師は何度も「ありがとう」という言葉を繰り返すことで、対象に「お金を貸す=人助けになる」という回路を作ってしまう。

外来や病棟などでも、何か些細なことを協力してもらうたびに必ず主治医に礼を言わせる。これを繰り返していくと、家族は「いい人」であろうとして主治医の頼みを断りきれなくなる。結果、退院のムンテラがスムーズに行くことが多い。

同様に、笑顔の多いスタッフの外来は往々にして回転が速い。これもまた「悪くなった」といって主治医の微笑を崩したくないという患者の心理を上手に利用している。結果、主治医に体の不調を訴えられなかった夜になって、患者が救急外来に「急変して」やってくることになる。

"フットインザドア"テクニック

強引なセールスマンがドアの間に足をこじ入れてくるもの。少々強引であっても、とにかく対象の足を止めてしまえば相手は断りにくくなる。催眠療法の詐欺などが有名。

たとえば在宅退院を渋る家族にまずは介護保険の申請をやってもらい、次に在宅ベッドの借用相談を行ってもらい…と徐々に在宅への話を進めていくと、そのうち規定路線から降りられなくなってしまう。書類ものは"サインをする"必要があるため、これもまた家族が退院を断りにくくするのに大きな力になっている。

相手に貸しを作る

最初に無茶な要求を出し、わざと相手に断らせることで、相手に罪悪感を作る。その後に本当の要求を通してしまう。霊感商法などでは、まず最初に親身になって対象の話を聞く。その後数百万円もの壷の購入を勧めるが、これはあくまでも断られるのが前提のものである。本当の目的はその後に出てくる数万円のセミナーへの参加であったり、もっと安価な商品の購入である。対象は最初に断った負い目から、こうしたものに飛びつく。

退院の話をする際、しばらく歓談した後まずは突然退院日を切り出し、それを断られたら訪問看護の話を切り出すと、退院へ持っていける可能性が高まる。

また、ムンテラ中に突然のCPR呼び出しをかけてもらい、そのまま退院の話を続ける。「いい人」の家族だと、救急外来でCPRを受けているであろう患者に目の前の医者がいけないのは自分たちのせいだ、と錯覚してくれる。こうなった家族に退院の話をするのは楽勝である。

良いイメージの条件付け

タバコのCMでさわやかな画面を流す、男らしい俳優にタバコを吸わせる等の方法でタバコに良いイメージを関連付けさせる。高血圧や糖尿病等、症状の出てこない病期の人の服薬コンプライアンスを挙げるときにこれを利用する。あなたの飲んでいる薬はこういう効果が期待できる。こんな論文があって、こんな歴史経過で作られたといった無駄話を外来のたびに行う。

血圧がまた上がった、A1Cがいくつになったという話よりも、よっぽど服薬率が維持できるように思う。

逆に、悪いイメージとの関連づけは自分の中では禁じ手にしている。

高血圧を放置すると将来こうなる、糖尿病が悪くなると失明するといったネガティブなイメージをあまりにも強調しすぎると、実際にコントロールが悪化した際に患者が病院に来なくなってしまうことがある。同様に、院内肺炎や痴呆の進行の恐れを理由に退院を迫るのも、次に患者さんが悪くなったときの病院のイメージが最悪になってしまい、本当に必要なときに病院に来なくなってしまう恐れがあるのでほとんど行っていない。

また、悪いイメージで対象に圧力をかけるには、「これをしておけば大丈夫」という回避策を作らないと効果がない。我々の業界に「大丈夫」なものなど何一つなく、このことも恐怖で対象を煽るのを困難にしている。

一貫性の法則

口にだした信念は曲げたくない。人は、ひとつの意見や物の見方に対して、ある立場をとることを明確にした場合、どんなにそれに反対する意見や証拠があっても、強固に自分の立場を守ろうとする。有能なセールスマンは、一貫性の法則を賢く、それとわからない方法で利用している。

セールスマン:コストを削減して、利益を増やすことは        とても大切なことだと思いませんか? 相手    :はい、もちろん。 セールスマン:もし私たちの製品が御社のコストを削減して、        利益を増やすことができるとしたら、        使ってみたいと思いませんか?

有能なビジネスマンは、いきなり2番目の質問をぶつけたりしない。残念ながら多くのビジネスマンがそうしてしまっているのだが。

琥珀色の戯言より引用

僕はこういう本が売れていて、ヤクザの真似をしてまで交渉を成功させたい人がたくさんいる、という現実に、反吐が出そうになるのです。

そんな恥ずかしいことに魂売るなよ、とか思ってしまう。

多分こういう意見のほうが医者として正しいのだろうと思う。でも自分が育てられた病院の環境が悪いのか、こうした交渉技術は自分にとっては必要不可欠なものなのだが。

他の先生方は、病棟で言葉を左右して長期入院しようとする患者さんにどう対処しているのだろう?