インターネットがなかった頃

国家試験対策委員会のこと

合い言葉は「秘密情報をみんなで共有すれば秘密じゃなくなる」

試験前に出回る怪しい情報は、受験生を振り回す。最初から気にしなければいいんだろうけれど、 誰かが持ってればやっぱり気になる。ならばいっそ、すべての情報を集めて配って、 みんなで共有してしまえば、秘密は秘密でなくなって、みんな自分の勉強に集中できる。

国家試験対策委員会の歴史は古い。昭和50年代頃には、すでに 東大経由とか噂される怪しげな情報プリントが出回っていたなんて話が 残ってるし、昭和60年代に入った頃には、すでに関東の大学代表者が 実際に集まって、自分たちの大学で作った卒業試験対策のプリントを 交換しあっていたらしい。

インターネットが普及するはるか前から、医学生はこうした情報の共有を目指してた。 怪しげな情報は当たったためしがなくて、動機は全く不純なものだったけれど、 「つながりたい」というみんなの思いは、きっと本物だったはず。

国試当日は戦場だった

インターネットがなかった頃は、「つながる」ためのコストは莫大だった。

「委員会」を主管する大学は、国試直前、 ホテルの大きな部屋を押さえて、情報を集積、発信するための「司令部」を作らないといけない。

NTTにお願いして、ビジネス用の電話回線を、3 系統とか5 系統とか、とにかく複数引いてもらって、 FAX 兼用のコピー機を3 台、これも業務用の高速なやつをリースしてもらう。 「司令部」を設置するだけで、車が買えるぐらいのお金がかかる。

各大学の「末端」は、下級生が受け持つ。司令部の電話番号を各自控えておいて、 全国の大学で電話連絡網を作る。試験が近くなると、各大学から、 国試対策予備校の人たちから、有象無象の情報が司令部に送られてくる。

司令部の人たちは、 膨大な紙の山を切り貼って、読みやすい形に整形して、何だか怪しげな情報を載せた プリントに仕立てて、また全国に電送する。パソコンによるDTP なんて なかったから、ノリとハサミを使った手作業。司令部は徹夜。

末端は末端で、やっぱり徹夜。当日になって「コンビニ空いてませんでした」は 許されないから、下級生の現地部隊は、国家試験の2週間ぐらい前に現地を下見して、 近所のコンビニとか、そこで使ってるコピー機の機種なんかを把握しておく。 当日は、紙とかトナーとかまで持ち込んで、一晩中コピーに明け暮れる。

夜を徹して流されてくる怪しげなFAXをコピーして、部屋を回って、 プリントを配り歩く。朝になったら、今度は先輩がたを起こして回って、 全員がちゃんとホテルを出たのを見届けたらやっとおしまい。 大学によっては、験を担いでバスを裸踊りで送り出す伝統とか、 わけの分からない習慣があるらしい。

自前ネットワークのコストとリスク

インターネットが普及して、もうこんなこと誰もやらなくなったんだろうけれど、 昔は「つながる」ことを実現しようと思ったら、つながるためのインフラを、 すべて自前で用意する必要があって、それにはものすごいコストがかかった。

中枢を持たない、網目状のネットワークとか、回線にお金がかかりすぎて不可能で、 中枢を持った、スター配線のネットワーク以外ありえなかった。

ようやく作ったネットワークは脆弱で、外からの攻撃に対して無力だった。

当時は隠すやりかた。中枢の場所は当事者しか知らない。FAX の番号一つとっても、末端組織の ごく一部の人しか知らない。秘密を握ってる人が少数だからこそ、 ネットワークが特定されるはずはなかったんだけれど、どこかの大学では、 壁にFAX 番号が壁に貼ってあったとかで、それがたまたま取材にきていたメディアの人に読まれてしまった。

脅迫文みたいな「取材依頼」が、関係者以外誰も知らないはずのFAX を通じて送られてきて、 電話番号から場所を特定したのか、ついには「司令部」をおいてあるホテルの場所まで特定された。

学生なんて、マスメディアに対しては無力だから、この頃から「委員会」活動は下火になって、 今では国家試験予備校みたいな法人組織が、情報流通のインフラを担っているはず。

昔のある時期、「不純で切実な動機に駆動された学生ネットワーク」というものが たしかにあった。関わった人たちはごく少数で、実質成し遂げたものなんて なかったんだけれど、みんな楽しんでたと思う。

インターネット以後

今はインターネット時代。立ち上げるのにあれだけ苦労したネットワークは、 今は当たり前のものとして、最初からそこにある。

今の人たちがどんなやりかたしてるのか分からないけれど、これから先はたぶん、 隠すやりかたを考えるのではなくて、隠すことそれ自体を無意味にするようなやりかたに しないといけない。

隠すやりかたというのは、「鍵を知っていること」で外部との差別化を図るやりかた。 鍵を全員に配らないといけないし、どこかから鍵が破られた時点で、ネットワーク内の 情報は、全て外部に流れてしまう。

隠すことを考えないで、なおかつ監視する人と当事者とを差別化しようと思ったならば、 たぶん「共有した文脈」を暗号鍵にするようなやりかたなんだろうなと思う。

Twitter 界隈でおしゃべりしてる人たちなんかは、blog に記事書いたり、 Ustream で実況したり。あらゆるメディアをまたぎながら、発信された情報が、 すぐに「既知」のものとしておしゃべりに組み込まれるから、 文脈を追えない人は、話題について行けなくなってしまう。

いろんなメディアをまたいだ会話というのは、文脈を共有している人にとっては 日常の延長にしか過ぎないけれど、その人たちを、何か別の意図で 追っかけてる人にとっては、悪夢みたいな状況。おしゃべりはあたりまえのように そこで続いて、それなのに、流れがいきなり変わったと思ったら、 もうそこで何が話されているのか、文脈を追っかけられない人には全く分からなくなってしまう。

何か限られた人たちだけで共有したい情報があって、その人達を監視して、 利用しようとする人が、また別にいる状況。そんな中でも、監視者に 全てを公開しつつ、必要な情報をリアルタイムに共有して、 共有された情報は、公開されても監視者には何の意味ももたらさないようなやりかた。

情報は自由になりたがるし、それを押さえつけるやりかたは、ネットワークが 発達すると、きっとどんどん難しくなる。新しい世代の人たちは、 きっとそんな中でも情報をやりとりするんだろうし、旧世代の自分たちが それを覗いても、いつかきっと、何が行われてるのか全然分からなくなる日が来る。

それは寂しいことだけれど、新世代の人たちはたぶん、それを「革命的だ」と 受け取ることすらしないで、単なる日常の延長として、そんな新しいやりかたを 身につけるんだろうなと思う。