「コンマ秒」の改善が人の振る舞いを変える
待ち時間を短くすると、みんな「便利だ」なんて思うけれど、人の振る舞いは、そんなに変わらない。 短くなった待ち時間をさらに短く、「ゼロ」に向けた最後の最後、ごくわずかなその改良が、 しばしば人の振る舞いを一変させる。
YouTube がもたらしたもの
ライターの渡辺祐は、「アレってどんな曲だったかなあと思ったら即、YoutubeとiTunes Storeでリサーチします。 CDラックまで行かずとも調べ物ができるのが、締め切り前など特にありがたい」なんて、 YouTube 以降変化した、自らの振る舞いを語っている。
プロの評論家はもちろん、手元にオリジナルの音源を持っているのだろうし、 恐らくは自宅には、参考文献だとか音源だとかが山と積まれた書庫があって、 ちょっと歩けば膨大な資料に当たれるんだろうけれど、 インターネットとYouTube を利用すると、机から書庫に向かうまでのほんの数秒を節約できる。
YouTube のもたらしたものは、ほんの数秒の変化でしかないはずなのに、 「書庫を漁って何か書く」という、ステレオタイプとしての評論家の振る舞いは、 恐らくはその数秒によって、大きく変化したのだと思う。
「コンマ秒」の改善が行動を変える
google デスクトップサーチは、Ctrl キーを二連打するだけで、ネット検索を行うことが出来る。
このホットキーが提供するのは、たかだか2クリック分の節約。
ブラウザを立ち上げる手間を省くだけのことだけれど、自分についてはもはや、 「検索」といえばCtrl キーの連打であって、ブラウザを立ち上げて何かするという動作は、 目的が検索である限り、ほとんど行われなくなってしまった。
ソフトバンク携帯についてくる 「Yahoo! 」ボタンも、恐らくは似たような変容をもたらすんだろうなと思う。
ソフトバンク携帯の機能にこだわって購入した人だとか、あるいは料金プランに魅力を感じて購入した人なんかは、 ボタンを無視して好きな検索サイトを選ぶかもしれないし、あまつさえ、あのボタンを「邪魔だ」と感じるかもしれないけれど、 携帯電話にそこまでのこだわりを持たない、たぶん8 割ぐらいのユーザーは、検索といったら「Yahoo! 」ボタンを 押すことを刷り込まれていて、今さらもう、その行動は変えられない。
あのボタンを有料化する試みは、「蒔いた麦を刈り取る」やりかたとしては乱暴に過ぎるきらいがあるけれど、 たぶん多くの人達は、文句も言わずにYahoo! ボタンを押して、料金を支払う気がする。
「コンマ秒」の改善で変化した行動は、ときにはもはや、 それが為される以前のことを忘れてしまうぐらいの変化をその人にもたらして、 わずかな障害ぐらいでは、もう行動は元に戻らないだろうから。
わずかな改良は予想しにくい
1時間あった通勤時間が30分になったら、生活は相当便利になったと感じる。30分が10分になると、もっと便利になるだろうと思う。ところがたいていの人は、「10分が1分になる」なんて言われても、その世界が「すごく便利になる」とは考えない。
「1時間が30分」の変化は理解しやすいけれど、「10分が1分」によって起きる変化は予想しにくいし、 あるいはたいていは、「そこまでしなくてもいいよ」なんて思う。ところが最後のごくごくわずかな変化、 「1分 」の改良は、しばしばその人の生活スタイルを一変させて、生活には、 「通勤」という考えかたそれ自体がなくなってしまう。
田舎の病院で、ほとんど「住み込み」で働いていると、生活から通勤がなくなる。
「通勤時間ゼロ」に慣れると、忘れ物をしないように気をつけるだとか、 大事な書類を揃えておくとか、そういう感覚が無くなる。昼休みにはちょっと寝に帰れるし、 忘れ物しても、白衣を脱がずに取りに行ける。生活の中から「通勤」という、 後戻りの出来ないコンポーネントが完全に欠落して、社会復帰するのが大変だった。
恐らくは「革命」が起きるためには、最後のごくごくわずかな改良、「1をゼロ」に近づけていく 領域でのあと一歩が必要なのだけれど、その「わずか」は、1時間を10分にまで縮めてきた人にとっては、 しばしば誤差として認識されて、改良の手は、そこで止められてしまう。
世の中にはだから、「1時間を10分」にまで改良されたものがたくさんあるけれど、「10分を1分」、あるいは「1分が1秒」にまで突き詰められたものは少なくて、世の中にはたぶん、「革命」をおこす余地は、まだまだたくさんあるような気がする。
当たり前のものをゼロにする
会計をしなくてもいい売店が出来たら、生活が変わる気がする。
会員制にして、全ての商品にRFID タグを付けておいて、 お客さんはほしい品物を勝手に持ち帰って、会計は銀行で引き落とせるようなしくみ。
お客さんが、商品を思い思いに「万引き」しているような風景になるけれど、こういうスタイルになれてしまった顧客は、もう後戻り出来なくなるし、「会計」というものが生活から排除されると、恐らくは財布のひもがゆるむ気がする。
一番最初の「会員になる」部分がネックになるけれど、たとえば病院の売店がこのシステムになるならば、 患者さんの身分はみんな明らかだし、退院の時に「精算」できる。ホテルなんかも同じことが出来る。
あるいは「診察の要らない病院」。
「頭痛セット」とか「風邪薬」、「不眠セット」とか「胃薬」なんかを2週間分、とりあえず病院に来て、「眠剤下さい」なんて頼んだら、ごく簡単な問診のあと、とりあえず薬をくれるようなやりかた。歩いてくるような大多数の人はこれで十分なはずだし、 それに慣れた人達は、もしかしたら「病院で待つ」という、当たり前と受け止めていた動作それ自体に疑問を持つようになる。
そういう人が増えてくれば、もはや伝統的な外来診療、元気な人に、さもありがたそうに問診して、 2週間ごとに馬鹿高い受診料請求する、欺瞞的な商売モデルそれ自体を吹き飛ばせるかもしれない。
「待たなくていい料理屋さん」なら、世の中にはすでに、回転寿司とバイキング方式の食堂という、 画期的に成功したモデルがすでに存在している。病院が果たすべき役割のある部分は、 「回転寿司」方式でも、十分いけると思う。
世の中にはたぶん、「1分待つ」場面がたくさんあって、その1分はしばしば、 「しょうがない」とすら思われず、当然のものとして認識される。当たり前すぎて、 改良の意欲も湧かない、そんな1分を削る発想は、あるいは世の中一変させるチャンスなんだろうなと思う。