専門家のジレンマ

恐らくはあらゆる業界の専門家は、その専門性が高まるほどに、 外から見ると「いいかげん」に見られてしまうリスクを抱えてしまう。

専門家には、「本当の専門家」と、「専門家っぽい人」とがいて、 「っぽい」人の意見は、治療に何ら貢献しないのだけれど、たいていの場合、 手柄は全部、その人に持って行かれる。

循環器内科はラクテックを使う

大学の循環器内科では、初期輸液は例外なく「ラクテック」と決まっていた。

この輸液は本来、脱水のきつい人なんかに用いるもので、心臓が悪い患者さんには、 むしろ「良くない」輸液だと習う。

教科書には、心臓の悪い患者さんには「5% ブドウ糖水」を入れるようにと書いてある。 この輸液は、実質何も変えない代わり、心臓への負担が少ない。

心不全を合併した心筋梗塞の患者さんにラクテックを処方すると、 普通の病院だと、上の医師から怒られる。大学だと、逆にラクテックをつながないと怒られる。

ラクテックには意味がある

ラクテックには、意味がある。

心不全という状態それ自体は、これは医師がある程度コントロール可能な状態であって、 人工呼吸器だとか、最悪人工心肺を回してしまえば、問題が心不全なら、とりあえずどんな状態であっても 急場を乗り切ることは出来る。だから「心臓に優しい輸液」を考えることは、当面の生き死にには、あまり貢献しない。

心臓には「人の手が届かない場所」というものがあって、大学では、それは「冠動脈内の血栓である」なんて習う。

たとえ心不全に陥った心臓であっても、機械による補助を行いながら治療をすれば、たいていの場合は大丈夫だけれど、 虚血があって、血管内に治療器具を進めたところで、血管内に血栓ができてしまうと、もうどうしようもない。 大きな血栓を吸引できても、毛細血管の潅流が悪くなって、心筋を救済できなくなってしまう。

血栓は脱水になると出来やすい。心不全の急性期は、患者さんはたいてい冷や汗をかいていて、 血管内の水分量が足りなくなっているから、この状態は、出来るだけ速く回避しないといけない。 だからラクテックを使う。

「専門家っぽい人」人は、「心不全」という、治療可能な、目につきやすいものに注目する。 輸液は心不全という状態に最適化したものを選択するし、それは外から見ても分かりやすくて、 「専門的」に見える。

本当の専門家は、患者さんが抱える問題を、「人間に手が出せるもの」と、「人の手が届かないもの」とに切り分ける。

あとからでも救済可能な問題は後回しにして、まずは人の手が届かない問題を回避することに全力を挙げる。 「人の手が届かない問題」は、たいてい目に見えないし、そこを目標にした治療というのは、 もっと目につきやすい、「手の出せる問題」には、むしろ悪いことをしているように見える。

専門家はだから、しばしば「専門家なのに分ってないな」なんて思われる。

誰にでも治療可能な、目につきやすい問題というのは分かりやすくて、トレードオフが存在しないから、 専門家っぽい人達は、「今までよりもっと厳密」なやり方を示すことでしか、自らの専門性を 誇示できない。

輸液はますます薄くなったり、輸液量を小数点以下にまでこだわるように指示をされたり、 治療はますます複雑になって、その割には、患者さんは治らない。治らないんだけれど、 「治療」のために書かれた指示書は膨大だから、なんだかみんな、「出来るだけのことはやったのだ」なんて、 変な満足感だけが残ったりする。

自転車置き場の専門家

治療とは本来無関係な、些末なところほど議論が紛糾して、そういう場所には「専門家っぽい人」が 大挙して、なんだかまるで、本質がそこにあるかのように錯覚されてしまう。

原子炉の建設のような議題については、誰も理解できないためにあっさり承認が通る一方で、 市庁舎の自転車置場の屋根の費用や、果ては福祉委員会の会合の茶菓となると、 誰もが口をはさみ始めて議論が延々と紛糾する」という現象 には、「自転車置き場の議論」という名前が付けられていて、 自分達の業界には、たぶん「自転車置き場の専門家」が増えている。

昔はたとえば、「心エコーの計測値に、コンマ以下の数字を語るな」なんて習った。

心臓の直径を測るのは、今も昔も「人間の手」なんだから、機械がどれだけ細かい数字を示したところで、 そもそも人間に「ミリ以下」の精度が出せるわけないんだから、コンマ以下の細かい数字を、 さもありがたいものであるかのように語ってはいけないのだと。

今はなんだか、「押して痛い」だとか「回すとしびれる」だとか、そんな診察所見にも感度や特異度が 小数点以下まで計測されて、「この患者さんがこの疾患である確率は何パーセント」だとか、 「専門家」が議論する。それがこれからのやりかたなんだと。

「見えるもの」を無限に細かく、厳密に指定する「専門家」のありかたは分かりやすいけれど、 問題の重要度を切り分けて、「優先すべきはこの問題なんだよ」だとか、「ここはいいかげんでもいいんだよ」だとか、 厳密でないこと、細かく考える必要がない部分を教えてくれる専門家のありかたは、 なんだか「手抜き」を教えるみたいで、受けが悪いし、伝えるのが難しい。

アルバイトに来ている若い女医さん経由で心筋梗塞の患者さんが紹介されて、 いつものようにラクテックつないでたら、「循環器の先生って、案外アバウトなんですねー」なんて感心されて、 なんだかちょっと、悲しくなった。