ドラマ「小児救命」

最近始まったばかりの新番組。まだ見てない。紹介しているblog

「子供の命を守りたい」一心で、勤務していた総合病院を辞めて、 24時間営業の無床クリニックを始めた医師のお話。救急の現場にとっては、悪魔のような主人公。

たぶんこのドラマには実在のモデルがあって、どこかで今でも開業しているはず。 ドラマと同じく、「子供の命を守りたい」とか、そんな理由で開業医になって、24時間外来を開いて、 調子の悪そうな子供は近隣施設に振る。

テレビでは昔、そのクリニックに勤める人達を取材していたはずだけれどそこから「振られる」側の 先生がたが、実際のところどう思っているのか、「後方」がある、外来だけのクリニックと、 後がない救急外来と、人的リソースが限られる中、どうやって共存を続けているのか、是非聞いてみたいなと思う。

優しい外来からの紹介は怖い

24時間営業のクリニックができたところで、その施設で外来から入院まで、 全て完結してくれるのならばそれほどありがたいことはないんだけれど、ベッド回すの大変だから、 ドラマでもやっぱり、診られない人は近隣施設に振る。

「夜中に」「元気な」子供を連れてくる親御さん達は、ただでさえ診るのが怖い。 親御さんの不安を受容して、紹介状持たせて紹介するやりかたは、 わざわざ地雷を掘り起こして、起爆装置のスイッチ入れてから投げつける様子に どこか似ている。

分からなければ紹介、という立ち位置で患者さんを診る人と、最後まで責任を負わざるを得ない人と、 お客さんを見るときの態度はどうしたって変わらざるを得ない。

「後ろ」に期待できる立場なら、自信なければ後方病院の医師を褒めそやせばいい。

「ベッド持っててすごい腕を持った医師が○○病院にいますから、そこに行きましょう。私が紹介してあげます」 なんて笑顔返して、「大丈夫でしょうか?」なんて問われても、「あの先生は優秀ですから」なんて。

紹介された側は、もう後ろがないから、うかつなこと言えないし、 「大丈夫でしょうか? 」なんて、ご家族から聞かれたところで、 逃げられないから、「分かりません」としか答えようがない。

たいていの場合、紹介状書く側は、後方病院の医師を「自分以上の存在」なんて持ち上げる。 恐らくは患者さんの期待値は必要以上に高められて、患者さんの安全装置は外される。 優しい外来のやさしさに触れて、「それ以上」を期待したご家族は、 期待のギャップに対峙して、救急外来で「爆発」してしまう。

榴弾の安全ピンはうちで抜いておきましたから、爆弾の処理お願いします」なんて、 紹介状をもらった患者さんは、しばしばすごく危険な状態になって、救急外来にやってくる。

どうせ紹介してくれるなら、むしろ「次に紹介する病院の医師は、対人コミュニケーションに著しい問題を 抱えた屑野郎ですが、残念ながら近隣施設でベッドを抱えた医師は奴しかいません。 いろいろ難癖付けてあなたに不愉快な思いをさせると思いますが、こっちが怒ったら負けです」 ぐらいのことを患者さんに言い含めてくれると、いっそ受けるほうも楽なんだけれど。

部分を生かすと全体が腐る

形容する言葉が見つからないんだけれど、 「部分の正義を目指すが故に、全体の正義が巻き込まれて腐る」という現象がたしかにあって、 救急の領域なんかでは、いろんなところでこれが問題になっている。

隣の市に、とにかく老人を拒まず受け入れて、ろくな介護しないで悪くなったら救急車呼んで病院に丸投げ、 というのをビジネスモデルにしている老健があって、何度抗議しても状況が変わらない。

やりかたがあまりにひどくて、そのうちどこの病院もそこからの患者さんを取らなくなって、 その老健は今度は、患者さんが悪くなったらご家族呼びつけて、施設の前の道路に救急車止めて、 そこから救急搬送するようになったらしい。

「○○から来ました」が、「○○のほうから来ました」になって、今どの病院も夜間救急引き上げて、 けっこう大変なことになっているらしい。

ドラマで取り上げられている「患者さんに優しい」病院、そこに来るお母さん達を肯定して、 爆弾の安全ピン抜いてからぶん投げるやりかたを繰り返されると、近隣施設はたぶん、 もう恐ろしくてそこから来る患者さんを取れなくなる。

もちろん紹介状持った患者さんを断るわけにはいかないから、 総合病院ではそのうち夜間の外来を止めて、「かかりつけの患者さん以外は診察できません」なんて宣言をする。 完全に断るわけではないけれど、そういう宣言を出している基幹病院は、すでにけっこう出てきている。

風邪でもなんでも、夜中でも診てくれる、狭い正義に特化したクリニックができて、 そこの人達が系全体に影響を与えるほどに有能であったならば、 結果としてたぶん、地域の救急体制は、そこに巻き込まれて腐って潰れる。

個人のクリニックでできることは限定されるし、あるいは「あのクリニックは今ひとつだ」なんて 評判が立てば、系全体に与える影響は限られるのかもしれないけれど、ドラマの主人公はしばしば超人化する。 主人公が頑張るほどに、クリニックの評判がよくなるほどに、恐らくは近隣病院の医師は疲弊して、トラブルは増えていく。

ドラマはたぶん、主人公の正義が近隣施設に「感染」して、地域の病院が小児救命に 邁進するようになって終わるんだろうけれど、「感染」を前提にしたドラマは、 なんか間違ってると思う。

提案型のドラマを作ってほしい

ドラマの舞台設定だと、主人公の能力がないうちは、個人の正義と全体の正義とは そこそこ折り合いそうだけれど、主人公が頑張るほどに、お互いの正義が衝突するようになって、 衝突の結果、地域の救急体制が破綻する気がする。

ドラマの舞台設定はだから、うまく行きそうにないのを熱意でカバーするやりかたではなくて、 「こうすればうまく行く」みたいなやりかた、医師のあるべき姿みたいなものを、 ドラマを通じて提案してほしいなと思う。

たとえば主人公のクリニックを、昔ながらの有床診療所、「昔はみんなこうしてたんだよ」なんて、 原点に返った「ベッドを持った開業医」に設定するだとか、もう少し未来的にやるなら、 主人公は勤務医のまま個人事業主になって、勤務時間外の夜間は、病棟の設備を使って「勝手開業」してみるだとか。

どちらにしても、その勤務形態を続けるのは相当に厳しいけれど、この形態だとたぶん、 「主人公が超人である」という前提が成り立つ限り、実世界でこれをやってもうまく行く。

「自立した超人」が増えるぶんには、まわりの人は、今までどおり「普通の人」として振る舞えるし、 「正義の感染」なんてものを前提にしなくていいドラマなら、現場の医師はたぶん、 説得力のある批判を展開できない。

批判した医師は、「要するにあなたはサボりたいんでしょ」なんて言われるだろうから。

昭和50年頃までは、開業した先生がたは、みんな当たり前のように自分のベッドを持っていて、 あの人達はだから自立した存在で、外来から入院まで、全部自分のクリニックで完結していた。

今はなんだか、土曜日の午後になると「紹介状」抱えた患者さんが殺到する。

それは要するに、「俺は休むから、そのぶんおまえは働け」だなんて。 それが「患者様のためだ」なんて。

テレビ局の人達が、ドラマを通じねじれた状況を解決してくれるなら、現場としてもそれは大歓迎なんだけれど。