人体のアナロジー

勤勉さとか、専門家とか、成果主義とか。

有能さ

  • 細胞にとっての「有能」「無能」というものは、分化度に相当する。「有能である」ことは、すなわち「それ以外のものになれない」ということを、必然的に意味する。だから何にでもなれるES細胞は、それ単体ではもっとも無能な細胞だし、思考の一翼を担う神経細胞、外敵から身を守る皮膚や白血球、全ては専門家であって、一度専門家になった細胞は、他の細胞に変化することは、原則出来ない
  • 「本来そこにいる能力を持たない人がそこにいる」ことは、人体でもときどき起こる。胃の粘膜内に腸の粘膜が生えてくる「腸上皮化生」とか、脾臓がいくつかに分かれて、他の場所に生えてくるとか。もちろんそんな細胞は、全くの役立たずであったり、時には潰瘍の原因になったりして、必然的に弱点となる。ミスマッチが「思わぬ長所」を発揮することは、生体ではまずありえない

勤勉さと発癌

  • 細胞にとっての「勤勉さ」というものは、恐らくは分裂速度に相当する。細胞もまた、夜になると「休む」。分裂は日中のほうが勢いがあって、夜間は落ち着く * 24時間働いて、分裂を止めない細胞の代表は「がん細胞」であって、正常な細胞から見れば、細胞周期に同調しないこと、勤勉でありすぎることは、むしろ病的なものに見える。役に立たない「勤勉な無能」は、やがて系全体を滅ぼしてしまう
  • 腸上皮化生、本来その細胞がいるべきでないところに発生した腸粘膜は、癌の原因になりやすいことでも知られる。社会にこじつけると、「無能を勤勉で補う」ことが、結果として癌化につながるようにも見える

幸福の所在みたいなもの

  • 細胞が「有能で」あろうと志向したら、専門家を目指さないと、系に貢献出来ない。その代わり、人体においては「専門家だから価値がある」なんてことはなく、皮膚の細胞も、白血球も、専門分化がもっとも進んだ細胞であるにもかかわらず、寿命は短い。「代わりはいくらでもいる専門家」は、人体においても、役に立った後、短時間で使い捨てられてしまう
  • 「報酬」に相当する、栄養だとか血流をもっとも豊富に受けている細胞、たとえば神経細胞とか、腎臓の細胞は、あれは「大切にされている」と言うよりも、むしろ「能力の限界まで酷使されている」という見かたのほうが正しい。余分な栄養を蓄えるのは脂肪組織だけれど、あの細胞にしても、「贅沢をしている」のではなく、「そういう仕事をしている」だけに過ぎない

生体は価値判断を行わない

  • 人体は価値判断を行わない。有能だとか、重要だとか、それは系を外から観察した外野の投影であって、人体はたぶん「神経細胞さんはすごいな」とか、考えてない
  • どの細胞にも代わりはいるし、一部が抜けても他が代償する。蜂の巣社会の「女王蜂」に相当する細胞は、人体という小さな社会においては存在しない
  • 女王蜂みたいな存在に価値を見出す視点も、もしかしたら観察者の投影なのかもしれない。君臨する「女王」という見かたもできるけれど、裏を返せば女王は、巣の中で「もっとも酷使されている蜂」という見かたもできるから