正しい技術は驚きを生まない

ウルルン滞在記だったか、レポーターが未開の地を訪れるテレビ番組で、 ジャングルで昔ながらの狩猟生活をする人たちが取材されてた。 族長の住居には電話線が引かれていて、族長は電子メールで「注文」を受けていた。

おそらく「通信」というのは、かなり昔から人類が共通に持っていた発想であって、 それが文字や狼煙みたいなものであっても、インターネットみたいな ものであっても、それが「通信」という考えかたの延長線上に乗っている限り、 適応するのは案外簡単なのかもしれない。

番組の中では、族長は電子メールを使っていたけれど、 その人がたとえばAmazon の通信販売を利用できたりするのかどうか、 ぜひとも見てみたかった。

電子メールによる情報交換と、ネット世界での買い物。それを支える技術は、 どちらも同じような発達を遂げたものだけれど、発想は別物。 メールは通信の延長上にあるけれど、ネット取引は「顔を見たことがない相手を信用する」という、 たぶん未開民族の人たちが経験したことがない振る舞いを前提にしていて、 族長は戸惑うような気がする。

便利な技術と驚く政治

士郎正宗が描く未来世界は、ところどころで的を外しているにもかかわらず、 それでもなお、すごくリアルに見える。

あれはたぶん、登場人物がみんな、そこにある未来技術を「当たり前」のものとして生活している世界を 描写しているからなんだと思う。小説で未来世界が描かれるときに、発達した技術の「すごさ」が 強調されると、なんだか昔のSF 映画みたいな、陳腐な印象になってしまう。

すごい技術のすごさというのは、その世界にいない、読者の目線からみたすごさなのであって 未来世界に住む人が、そんな技術を見てすごいと感じたり、「すごい技術」なんて表現するのは、 どこかおかしい。

youtube とかustream みたいな動画配信技術は、 ちょっと前までは夢だった。手塚治虫の未来漫画では、テレビ電話が欠かせないインフラとして 登場してたし、まだ光回線がそれほど普及していなかった頃、NTT が光のデモを行うときには、 「インターネットで動画が見られます」をやるのがお約束だった。

技術は進歩して、動画を簡単に配信できる youtube が登場したけれど、 夢だったはずの未来技術は、すぐに当たり前のものになった。 たぶん誰もが「便利だな」とは思ったけれど、 「すごい時代になったものだ」とか、「未来はここにある」とか、 そんな感想はもてなかった気がする。

あれを見て感激した人というのは、むしろインターネットの技術を相当に深く理解している人であって、 ただのユーザーである自分達は、そのすごさが想像の延長線上にあった時点で、 それ以上驚くことができなかった。

これから先、インターネットがもっと進歩して、スタートレックみたいな 等身大 3D 画像を送れるようになってもなお、 一般ユーザーは、「ああそうか」としか思えない気がする。 そこにあるのは「便利な超技術」ではあるけれど、人々に驚きをもたらして、 生活を一変させるような、そんなものとはどこか違う。

驚きはむしろ、社会制度が作り出す。

「明日から銃の所持を解禁します」なんて宣言を政府が出したら、 世界は一変すると思うし、日本中の「普通の人」が、「すごい時代になったものだ」と驚く。 銃なんて、もう100年も昔から変わらない技術なのに。

新しい技術なんかを作らなくても、決まりごとを変更すれば驚きが生まれるし、 今あるものの見かたを少し変えるだけで、社会は簡単にひっくり返る。

救急ネットワークのこと

現場に着いた救急車が、その場所から最適な施設を探せる病院検索システム。

システムを回すために大切なのは、「すべての病院がネットワークに前向きに参加すること」であって、 ネットワークの信頼性とか匿名性とか、技術的な側面は、システムの成否を左右しないし、 技術の進歩それ自体は、成功を生む力にはなり得ない。

秘匿性とか信頼性が問題になっているその時点で、そのシステムの運用には、 社会制度上の問題が内包されている。制度の問題を技術で解決するのは困難で、 莫大なコストがかかる。

病院を検索するだけならば、ネットワークには、公開情報を流すだけでも 十分にシステムを回せるはず。

その日に当直する医師の名前とか、その人の専門領域なんかは、 病院に行けば公開されているものだし、患者さんの氏名とか住所、 現在の病状みたいな個人情報は、「現場の救急隊を信用する」という 考えかたがみんなに共有されれば、それをネットワークに流す必要が 発生しない。

病院が首尾よく見つかったところで、実際に搬送するときには、 お互い必ず電話で確認するから、たとえネットワークが腐ったところで、 実はあんまり困らない。これもまた、「腐ったら昔ながらのやりかたをする」 という振る舞いを、みんなで共有すればいいだけだから。

情報は自由になりたがるし、弱いところを持ったネットワークは、 必ずそこから壊れてしまう。そんな本能みたいなものを押さえつけるにはお金がかかるし、 一生懸命技術を開発しても、やっぱりうまく行かない。

完璧に隠すやりかたを考えるよりも、隠さないですむ方法論考えるとか、 信頼性を高めるよりも、信頼性を必要としないやりかた、技術を進歩させるやりかたよりも、 政治的な解決目指したほうが正解に近いケースというのは、たぶん多い。

技術を極めて、今までの習慣を変えないやりかたするよりも、技術が成し遂げてきたことを 放棄するような振舞いかたを考え出して、それをみんなで共有するやりかたをしたほうが、 少なくとも安価にすむし、技術が守ろうとしてきた何かが突破される危険も減る。

政治力を振るえる立場にいる人達こそは、やっぱり政治的な解決のエレガントさ、 強力さを、もっと信じるべきなんだと思う。