カオスの縁を目指したフォースの意思

ジェダイの騎士はなぜ弱いのか

ジェダイは弱い。どうしようもなく弱い。

正義が勝てる場面は何回もあった。さっさと議長を殺害できれば。 クローン軍の契約を打ち切って、もっと別の方法を探れれば。

ヨーダのやっていたことは、水戸黄門と同じ。

無敵に近い力。正確無比な情報。そうしたものを常に手にしながら、無能な老人は「もう少し様子を見ましょう」の一言で状況を悪化させる。

ジェダイは修行する。その修行というのは、少なくともカウンセラーとしての 素養を磨くのには役に立たないらしい。アナキンが自分の悪夢をヨーダに 相談したときの答えは、「もっと修行しろ」。

フォースの意思が「正義を世界に広める」ことにあるのならば、 その意思の代弁者たるジェダイの力はあまりに貧相で、行き当たりばったり。

物語では、最終的には正義が勝つ。その代わり、ジェダイはほとんど滅びかけ、 帝国は滅亡。世界は戦争で荒廃して、また1からやり直し。

フォースは、本当にこんな結末を望んでいたのだろうか?

対立していたのは何なのか

スターウォーズという作品を善悪の対決の物語と考えた場合、 ジェダイの不甲斐なさというのはちょっと理解に苦しむ。

ジェダイはあまりにも弱い。フォース自身ががそうであることを望んでいるとしか考えられないほどに。

スターウォーズ世界で対立しているのは、「善」と「悪」という単純なものではない。

この物語で対立しているのは、「部分からの創発」と「全体からの秩序」という、進化の2つの方向だ。

世界の秩序というのは、全てが乱れたカオスの状態と、全てが均衡した安定した状態との間を行き来する。完全なカオスの状態は、何も生まない。乱れきった世界にわずかずつ秩序が出来上がって、「カオスの縁」と呼ばれる状態にまで達すると、今まで何も無かった世界に、様々なものが生まれてくる。

カオスの縁では、世界は常に小さな破壊と創生とを繰り返す。 世界の様々な場所で「自己組織化」が生じ、様々な形の「構造」が生まれる。

カオスの縁での構造は長続きしない。世界のエネルギーが熱いままだから、 出来上がった構造もまた崩れ、別の場所にまた新しい構造が創造される。

世界のエネルギーが減少していくと、出来上がった構造は、徐々に周囲を巻き込んで巨大化していく。世界は動かなくなり安定化する。冷えて秩序だった世界は安定している。その代わり、新しい構造を生む余地は無くなる。

  • 破壊と創造とを繰り返す、カオスの縁
  • 秩序が支配する、安定した世界

全くの「無」、カオスであった世界に秩序が生まれ、フォースが生まれた。それが意思をもてるほど巨大なものに成長したとき、その目に見えた世界は「カオスの縁」だった。世界が徐々に秩序への道を歩み始めたとき、フォースの意思はそれを歓迎したのだろうか?

フォースの意思というものが、「善がもたらす宇宙の秩序」などではなく、最初からカオスの縁の状態の維持に向けられていたのならば、ふがいない力しかもてないジェダイの存在理由も分かる気がする。

善であろうが悪であろうが、強すぎる力は世界に秩序をもたらし、多様性を奪う。多様性の失われた世界からは進歩が無くなり、進化の歩みを止めた宇宙は冷えて滅びる。

フォースにとって、大切に思えたのは「世界自体」か「生命」か。

生命というものは、フォースにとっては必ずしも好ましいものではなかったはず。世界に秩序がもたらされれば、世界は安定して生物が増える。有限の世界に増えつづける無限の生物は、やがては癌細胞のように世界を食い尽くす。

放牧された牛に食い尽くされた共有地は、いつか砂漠化して滅んでしまう。世界を豊かなまま維持していくためには、生物の滅びと新たな世界の創生は、必ず必要なプロセス。

増えつづける生命というものが、フォースにとっては世界を食い尽くす癌細胞にしか見えないのならば、 ジェダイが組したフォースの意思というものは、生物社会にとっては必ずしも幸福な未来を意味しない。

生命の声を聞かないジェダイ

進化をするということは、前の世代の到達点を、単なる通過点にしてしまうこと。 その先の道は、試行錯誤で捜すしかない。

試行錯誤には、当然失敗はつきもので、一定割合の犠牲を受け入れない限り、 進化というものはありえない

スターウォーズ世界では、帝国の提示した「安定した秩序」という世界プランに比べて、 ジェダイの提示する「進化を続ける世界」というプランは、あまりにも厳しく犠牲が多い。

ジェダイは結婚をしないし、家族を作らない。そこには同じジェダイとしての信頼はあっても、人間の社会生活に相当する概念が存在しない。ジェダイの騎士にとって、ジェダイ以外の生物というのは、本質的に他人。

ジェダイは特攻する。決して無敵ではない存在なのに、敵地に乗り込むときは常に一人で、案の定窮地に陥ったりする。戦略としては明らかに無茶。ジェダイの騎士は「個」の生存を志向しないから、ああいった戦い方をする。戦力的には十分勝てる戦いであっても、生存可能性を高めるやり方をしないから、あっけなく滅びる。

同じ生物でありながら、ジェダイの騎士という存在は、生物社会からあえて距離をとる。議会にも必要以上に干渉しないし、人々の訴えがあっても、なかなか「社会的に正しい」行動を起こそうとしない。その一方で、どう見ても犠牲者の数が増えそうなクローン戦争などには、進んで参加してみたりする。

ジェダイの行動というのは、常に生物が滅ぶほう、滅ぶほうへと選択されているように見える。

アナキンを除いては。

声あるものは幸いなり

鳴き声を出す鳥を殺すときには、誰もが心が痛む。同じ生き物なのに、声の出ない魚をさばくときには、 心は痛まない。あまつさえ、生け造りなどにして、苦しむ魚を見て喜びさえする。

ジェダイの騎士にとっては、生物は、魚のように声を持たない存在。 「滅び」というものは、魚の生活の一部になっている。弱い魚は他の生き物に食べられて、 それでも種としての魚は進化して、世界は続く。

アナキンが聞いてしまったのは、母の声であり、パドメの声だった。

進化の継続のために必要な犠牲を目の当たりにしたとき、人はそれを受け入れてもなお進化の道を選択できるのだろうか?

スターウォーズは、皇帝陛下とヨーダ、 「安定」と「進化」の2つの選択を代表する力が、運命の子に選択を迫る物語。

風の谷のナウシカ」のラスト、墓所との対決の場面で、旧世界のオーバーテクノロジーの 産物である「墓所」は、ナウシカに「お前は世界を滅ぼすのか?」と問い、 ナウシカは「滅びは世界の一部だ」と答え、「滅び」を選択した。

生まれたときから特権階級だった彼女は、平民が何人死のうが何万人死のうが知ったこっちゃない。

救世主になろうなんて考える奴は、頭のねじがどこか外れている。 人間が好きなやつには、救世主なんか努まらない

皇帝陛下は何をしたかったのか

ヨーダと皇帝、フォースの意思に通じた2人の騎士は、全く違った行動を取った。

  • ヨーダはフォースの手先となり、正義を騙って世界を滅ぼす手先となった。
  • 皇帝パルパティーンは生命の側に立ち、フォースの意思と対決する道を選んだ

世界を作っている力というものは、スターウォーズ世界ではフォースそのもの。 皇帝陛下といえどもその世界の住人。秩序だった世界の行く末がどうなってしまうのか、 ヨーダ以上によく分かっていたはず。

スターウォーズのもう1つのテーマというものは、「共有地の悲劇」問題。

秩序の保たれた世界では、生物は思う様繁殖し、やがては世界全体を食い尽くす癌細胞と化してしまう。秩序だった世界の中では、滅びというのは例外的なもの。誰もが例外にはなりたくないから、繁殖の道を選んで、世界はやがて破滅する。

皇帝陛下は質素な人。身にまとうのは、常に黒いローブ一枚。 最高権力者でありながら、その力に奢ることなく、光のあたる場所を好まず、 常に帝国の影でありつづけた。

「手の大なる人は多く取り、小なる人は少なく取る。」

パルパティーン皇帝陛下は、常に「手の小なる」人となろうとしていた。

世界でもっとも「大きな」人が、世界でもっとも「小さな」手を持てば、共有地は滅びず世界は続く。 皇帝陛下はたぶんこういう世界プランを立てたのだろう。 それは超長期的には正しくない選択かもしれないけれど、ヨーダの提示した 「目的のない焼畑農業」プランよりは、はるかに現実的な選択。

それでも世界は回る

皇帝陛下は、世界に仮想的な唯一神として君臨することで、世界に安定と秩序をもたらそうと考えた。アナキンは「ダース・ベイダー」となり、帝国の安定化に助力するが、最後の最後で「直情馬鹿」本来の姿を取り戻し、皇帝を裏切って帝国を滅ぼす。帝国は崩壊し、世界に残ったルークたちは、また新たな世界を作り始めた。

揺らぐことは人の本質。

アナキンは身内の犠牲を目にして揺らぎ、一度は秩序の道に走り、また息子の犠牲を目の当たりにして揺らぎ、元の自分に立ち返った。アナキンは2度の「揺らぎ」を経験し、世界の2つの選択肢を目にすることで、運命の子として世界の行く末を決定する資格を得た。

フォースの意志は、「運命の子」をして破壊と創造を続ける世界を選択させた。

混沌と調和とは二項対立ではなく、たぶん地続きの概念で、住んでいるスケールごとに同じ物でも混沌に見えたり、調和しているように見えたりするもの。皇帝パルパティーンが作り出した「帝国」というものも、もっとスケールの大きな世界から見れば、カオスの縁の中に生まれた小さな構造のうちの1つであったのかもしれない。

皇帝陛下は聡明な方だ。フォースの意思を探求するうち、自分の作り出した世界の「小ささ」に、気がつき、きっと自分もまた、フォースの作り出した劇場の「役者」でしかなかったことに気がついていた。

皇帝パルパティーンの見た未来の夢

皇帝陛下は、物語の最後で未来の夢を見る。

ルークとハン・ソロ。妹と恋人、「守るべきもの」を持ちながらも、なお帝国に比肩する強い力で皇帝に挑む、若い世代。自分達の世代で達成できなかった「秩序のもたらす安定した世界」も、自分よりも強力な次の世代なら、あるいは実現してくれるかもしれない。

自分達の世代は、「フォースの手のひら」から逃れる事は出来なかった。 でも次の世代はもっと手ごわい。その次はもっと…。

生命は、いつか必ず、フォースの咽喉もとに刃を突きつける

皇帝陛下の最後はあっけなかった。

あれは「役者」としてのプロ意識、さらに未来への種の進化に夢を託した皇帝の、最後の「仕事」ではなかったか。

長い長い物語を引っ張った英雄はその舞台を降りた。それでも皇帝は、未来の夢を捨ててはいない。

エピソード6の最後の場面。喜ぶルークを上から見下ろすヨーダやベイダー、オビワン達の魂の群れ。皇帝陛下はきっと、そういう人たちを、更に高いところから見守っている。

いつかきっと。

自分達より強力な若い世代は、きっと「神」の意志を離れて、世界を生命の手に取り戻す。

皇帝陛下の胸中によぎったのは、輪廻の輪を回し終えた満足感であったのだろうか?あるいは自分の果たせなかった夢を受け継ぐであろう、次の世代への羨望だったのだろうか?

映画は終わってしまったけれど、皇帝陛下の戦いは、生命の営みそのもの。 それは次代に引き継がれ、きっと今でも続いている。