ローテーション終了

最初の病院に就職したとき、全てのレジデントは1本のハサミをもらった。

これはCPR用の、患者さんの服を切り裂くためのもの。非常にごっついデザインで、実際のところ何でも切れる。見た目とは逆に値段は安価で、1本500円もしない。

レジデントというものは丈夫で切れ味のいいハサミ。加えて値段も安価。

そんな意味が込められていたのだろう。もともとが外科系の病院なので、こうした象徴は、基本的には外科の道具になる。

研修医期間を終えて、外科のジュニアスタッフに昇格するとき、今度はメッツェンバウム剪刀をもらう。これは外科医が腸管を切り開くときに使う、非常に繊細なもの。切れ味が命。術者の前でメッツェンで絹糸を切ったりしたら非常に怒られる、外科医が命を預ける、そんなハサミ。

丈夫でよく切れるだけの時代は今日で終わり。これからは繊細な思考を持って、自分の力で未来を切り開きなさい。
多分そうした意味だったのだろう。ちなみに婦人科に進んだ奴は、クーパー剪刀をもらう。これは臍帯を切断するのに使うハサミ。

研修医を受け入れる側の感覚としては、研修医は今も昔も単なる道具だ。使い勝手がよく、丈夫でよく切れさえすれば問題は無い。道具は手になじむ。たまにはどうしても相性の悪いものもある。だが、たいていの場合は、何ヶ月か一緒に仕事をすれば、どんな道具でも頼れるものになる。

研修医と単なる道具との大きな違いは、研修医は成長することだ。駆け出しの医者は、何年もかけて修羅場をくぐることで自分の限界を押し上げる。使えなくて怒鳴られてばかりだった研修医が、いつのまにか頼れる医師になり、また大学に戻ってきたりする。

限界を押し上げるにはどうすればいいか?常に限界領域で働きつづけることだ。

限界とは自覚するためにある。決して、超えるためにあるのではない。

忙しい病棟、なまじちょっと使える奴には仕事が集中し、スタッフが皆帰った後には山のような書類仕事が残っている。

もう自分は限界。限界を超えて仕事をこなせないなんて、自分はなんて駄目な奴。自己嫌悪に陥る。
だがこの考えかたは間違っている。自分の仕事量の限界が見えたとき、そこでそれを超えられない自分を責めてはならない。研修医にとって一番大事で、また上級生が一番期待しているのは、研修医が生き延びて成長してくれることだ。

研修医のもっとも大事な仕事は、限界を超えて働いてぶっ倒れることではない。

大事なのは限界に近い仕事量の中で、生き延びる術を見つけることだ。今は目の前の仕事をこなせなくてもあせる必要は無い。残った仕事を見て、上司は研修医をしかるかもしれないが、一時のことだ。

このまま1年、その状況を生き延びれば、来年の自分にはそうした仕事は簡単に出来るようになる。ここで限界を超え、体を壊した研修医は成長することは出来ない。そんな結果は、本人もスタッフも望んでいない。

ではなぜスタッフが過大な仕事を研修医に押し付けるのか?加減がわからないからだ。

書類仕事、カルテ書きといった仕事は面倒くさい。だが、10年も経ってしまうと、そうした仕事はほんの数分で終わってしまう。数十人分ものカルテ書きとはいえ、スタッフが日常診療のメモを書くだけなら15分もあれば十分。同じことを研修医がやると、数時間。あせる必要は無い。数年たって手の抜き方をマスターする頃には、自分達だって研修医に「これ、やっといてね」と無自覚にお願いしているだろう。

ローテーション制度導入になり、スタッフが研修医を把握し始めるとすぐに次のローテーションが始まってしまう。もはやスタッフには、研修医一人一人の限界に合わせた仕事を供給する能力は無い。自分の限界は、自分で探して自分で決定するしかない。

限界が分かったら、つねにその領域で仕事をしつづけることだ。だんだん慣れてくれば、自分が考えていた「限界」というものが、案外そうでもないことに気がつく。

数ヶ月前の自分が限界と思っていた領域が日常になったとき、余裕があればそのあたりに転がっている地雷を踏んでみるといい。どろどろの症例を「私が診ます」と手を上げてみたり、ドツボにはまるとわかりきっている手術に助手として参加してみたり。踏んでみないと地雷の痛みは分からない。そのときは大ダメージだが、一時のことだ。終わってみると結構楽しい。

リスクを恐れて引きこもっていては何も始まらない。 必ず潰れると分かりきっている所に突っ込む必要も無い。

地雷原でダンスを踊ろう。 笑顔を絶やさずに。 足元に注意しながら。 いつか気がついたら、 周囲からベテラン扱いされている自分に驚くだろう。

当科で研修をしてくれた1年生の方々へ。

いままでご苦労様でした。いろいろな部分で、何度も助けてもらい、ありがとうございました。 外の病院にはいろいろな医師がいます。 大部分は自分よりも優れた医師だと信じていますが、残念ながらそうでない人もいます。 ぶん殴られたり、罵倒されたり、自尊心を傷つけられたりするかもしれません。 そんな時、守ってほしいことがあります。 絶対に、自分を責めないで下さい。 ほとんどの場合、間違っているのは相手のほうです。 自分は駄目な奴だと思う前に、必ず大学の誰かに相談してください。 医局の時代は終わった、大学病院はもう落ち目、散々な言われようです。 それでも大学は、医局は、私達は常にあなたがた研修医の味方です。 ここには、大学の同級生も、部活の先輩も大勢います。皆あなたの仲間です。 大学病院、医局という制度は研修医のために存在しています。 決して一人にならないで下さい。 仲間を作り、仲間を助け、仲間とともに次の1年を生き延びてください。 あなたがたの成長に期待しています。

あと、思い当たる研修医へ。

裏切るなよ。