失敗を生かすということ

「マスメディアの陰謀」で、あまり報道されなかったデモについて考えたこと。

失敗の定義は難しい

思想的に偏った人たちが主導していたからだとか、デモなんて実は珍しくないんだとか、 恐らくは最初から、ニュースで流すには無理があった事例なのだろうけれど、 デモ行進を行った人たちが「ニュースで流されること」を目標にしていたのなら、今回のデモは、一応失敗したのだと思う。

失敗したときの振るまいかたで、それが本当に失敗に終わるのか、それともそこから次を拾うのか、恐らくはずいぶん変わってくる。

失敗したときに、それを誰かのせいにして、「自分たちはすばらしいことを発信しているのに、誰かの陰謀で、あるいは誰かが無能に過ぎるから、 自分たちのすばらしさが伝わらなかった」なんて総括すると、失敗は、本当に単なる失敗として終わってしまう。

失敗の中からだって、おそらくはたくさんの成功を拾い出せるのだと思う。

今回たとえば、デモを行って、2000人という、たくさんの人たちが集まって、その人たちの行動を引っ張ることが出来た。

デモに行くのは大変で、自分の時間を1日潰すから、これはもう「通過儀礼」であって、デモを主催した人は、 デモこそ失敗したのかもしれないけれど、通過儀礼を経た、実際に動いてくれる2000人という、それこそデモの成功なんて 単なる通過点になるような、大きな成果を手にしたのだと思う。

2000人という成果を使って、次のデモを企画するのでもいいし、署名活動や募金活動みたいな、別の何かを考えることも出来る。 「動いてくれる2000人」という力があれば、どこの政治家だってそれを無視することは出来ないだろうから、 デモを主催した人が出向けば、少なくとも政治にかかわる人たちは、必ず話を聞いてくれるだろうし。

「これはメディアの陰謀だ」なんて憤るのは面白いのだけれど、せっかく集まった2000人という力を、 「陰謀」みたいなちんけなもので消費してしまうのは、逆にすごくもったいない気がする。

メディアは動かない

たとえば昔、iモードをNTT が仕掛けたときには、最初は無視されたんだという。

NTTは誰もが知っている大企業だし、企画をまとめたのは、リクルートという、メディアを知り抜いている会社から来た松永真理さんだった。 iモードは大成功した企画であって、このプレゼンテーションが成功しないわけがなかったのに、最初のプレゼンテーションは、 見事にメディアにスルーされて、NTTはお通夜状態だったんだという。

iモードのチームは、ここから反省して、もっと大々的なパブを打って、たしか広末涼子(うろ覚え)を呼んで、 iモードの技術や思想でなく、女優さんを取材の目玉に据えることで、ようやくメディアはやってきた。

今回のデモ行進にしても、事前に告知を行ったらしいけれど、それでもメディアにはたくさんの告知が来るし、 「売り」になるような人が来ないとか、逆に来ちゃいけない人が来てたとか、実は「渋谷のデモ」なんて決して珍しくないとか、 メディアの動かなかった理由というのは、陰謀論以外にもたくさんあるのだろうと思う。

こういう失敗は、だからこそ「失敗という経験」が手に入る最高の機会であって、そこから学んで次を目指すと、それはたぶん、陰謀論より役に立つ。

部分の成功は目的達成より価値がある

目的が達成できなかったときに、たまたま得られた部分的な成功は、もっと伸ばすべきなんだと思う。

今回のイベントについては、たとえばCNN の取材が入ったわけで、それを陰謀論の補強に援用するのは、いかにももったいない。

海外メディアだけが報じたおかげで、このデモは、結果として「CNNお墨付」になったわけで、 CNNにだって日本語をしゃべれる記者もいるのだろうから、こういうときにはすかさず、丁寧なお礼状を書いて、 出来れば今度は、主催者の側に取材に来てもらえたのならば、これは大きな足がかりになる。

今回のデモについては、必ずしも失敗じゃないどころか、むしろ部分的な大成功のかけらがたくさん得られているんじゃないかと思う。 思想信条の是非はさておき、せっかくのかけらを生かさないで、「俺たちは正しいのに、陰謀のせいで分かってもらえない」で終わらせてしまうのは、いかにももったいない。