信頼を価値につなげる

ピーク性能自体は決して高くないけれど、裏切らない、不実なことをしない、そんな「まじめ」な人の まじめさというものが、何かの価値につなげられないか、ときどき考える。

その人に成し遂げられる仕事というのは、もっと人件費の安い、中国だとかベトナムあたりに 外注しても変わらない。まじめさは、昔は美徳として尊重されたけれど、 今は何だか影が薄くて、損してばっかり。

まじめな人に任せたときの安心感というか、 信頼性維持のコストを削減できる部分であるとか、 それを実体を持った付加価値につなげることができるようになると、著とだけ幸せになれる気がする。

ピーク性能と信頼性

何かを生み出したり、何かを発想することに価値が生まれる業界には、「まじめなだけ」の人の出番はない。 問われるのは生み出されたものの品質、ピーク性能であって、 それを生み出した人がどれだけいいかげんであろうが、「まじめに作られた駄作」には、 やっぱりなんの価値も生まれない。

自分たちの業界だと、業務の8割ぐらいまでは、誰がやってもそう大きくは変わらない。 残った2割、腕を極めた専門家であるとか、その人以外に経験がない症例であるとか、 そうした領域で活躍する人達には、やっぱりピーク性能が求められて、そういう人達こそは 高い対価をもらってしかるべきだけれど、自分たちの業界は、建前平等のやりかたが 今でも色濃く残っている。

すごい腕を持った人でも対価は変わらないし、存在自体が犯罪みたいな、 他人からみれば本当にいいかげんなことしかしていないような医院が、「いい病院」とかいわれて 人気を集めてみたりする。

多くの業界ではたぶん、ピーク性能も、信頼性も、きちんとした測定手段が存在しないから、 能力ある人が割を喰ったり、ふさわしくない人が居座ってたりする。

信頼性のはかりかた

ずっと日記を書いていて、何とかしてこれを、何かの商売につなげられないか、ときどきそんなことを考える。

広告収入を得るのは大変だし、ネットで日記を書くことで、自分の「腕」みたいなものをアピールしようにも、 腕自慢をいくら書いたって信用されない。

日記を長く書くことで、唯一他人様に自慢できるものがあるとすれば、それは「こんなことを長く続けている」こと それ自体でしかなくて、長く続けていること、ここに居続けられていることを、 何か信頼要素に結びつけられると、日記を書き続けることに、もう少し経済的な意味が生じる気がする。

「信頼」を測定するのは難しい。同業者が同業者を評価するやりかたを除けば、 その分野の知識を持たない人が、相手の信頼度を評価しようと思ったら、 たぶん「その人が同じ仕事を長くやっている」という事実に頼るしかない。

信頼性それ自体が売りになる産業、商店だとか金融業、あるいは道路建設みたいな、 外から見ると「質」の違いに気がつくことが難しいような業界は、 だからこそ長く続けている業者に信頼が集まって、「そこに長くいる」ことが 競争に有利に働く。

信頼性が大切な、そんな業界はだから、少数の勝ち組老舗と、大多数の、 極めて安価に買いたたかれる新参業者から作られる、硬直した産業構造を生み出すことになる。

「老舗の誇り」とか「職人のプライド」みたいなものは、たぶんそうした寡占構造が作り出す。 業界に流入してくる資金の総量が減ってきたり、国外の業者が、競合社として参入してくると、 だから「老舗のプライド」は消え失せて、業界全体を象徴していたような老舗から、 信頼が崩れていってしまう。

目線が信頼を作り出す

信頼というものは、恐らくはたくさんの目線によって削り出すことができる。

「blog を長く続けている」みたいなこと、自分がやっていること、考えていることを 常にオープンにしつつ、他者からの意見であるとか、考えかたをぶつけられて、 それに反論したり、受け流したり、受け入れたりといったことを繰り返していく中で、 「それでもそこに居続けていること」が、信頼性につながっていく。

「頻回」「長期間」が条件に加わると、嘘をつくためのコストが馬鹿にならなくなってくる。 思ってもいないことを書き続けたり、いろんな人から意見をもらって、八方美人的な 受け答えを繰り返したりするのは、すごく疲れる。「いい人」気取ってみたり、 自分自身を正義の代弁者みたいな立場に置くやりかたは、いろんな目線を受けるにつれて削られて、 書いてる本人が消耗してしまう。

呼吸するように嘘をつける少数の例外はともかく、ネット世間で長く発信を続けて、 荒れたり沈静したりを繰り返しながら、それでもそこに居続けている人というのは、 たいていは「地」に近い立ち位置で文章を書いていることが多くて、恐らくはだから、 そういう人の、ある種の「まじめさ」は、信頼できる。

公的な役所に勤める人達なんかは、本来「ピーク性能」的な能力よりも、 むしろ信頼性を求められるお仕事だから、いっそ「3年以上Web日記を続けている」を受験の条件にしたら、 透明度が嫌でも上がりそうな気がする。

「まじめさの物差し」みたいなものに社会的な合意が得られたならば、恐らくはまじめさみたいなものも、 目指すべき目標として、もう一度価値が出ると思う。

「なぜ飛車と角は王の側近になれないのか?」
金は裏がないから王様が信頼してんだよ