ドクトリンを学びたい

ワシントンマニュアルという、ずいぶん昔から改訂が重ねられている教科書の33版を読んで考えたこと。

差分を知るのは大変

ワシントンマニュアルの33版はずいぶん厚くなっていて、今回のは1000ページを超えていたけれど、内容の骨組みみたいなものは、それほど大きな変更はないように思えた。細かい知識のアップデートはあちこちにあるのだろうけれど、ざっと読んだかぎりは、全く知らない考えかたみたいなのは、それほど多くなかった印象。

こういうのはそれでも印象論にしか過ぎなくて、実際問題、昔の版とどこが変わって、その変更が、これから先の臨床でどう生かされるべきなのか、変更が加えられたとして、それはどういう考えかたに基づいて、作者の人は、読者にどういう意図を汲んでほしいのか、新しい版画出て、読者として本来知りたいこういうことは、細かく読まないと分からない。

改訂の重なった本というのは、過去の版との比較を行うことで、いろんなものが見えてくるんだけれど、内容も違えば、レイアウトも微妙に異なる分厚い本で、一人でそれを全部やるのは難しい。毎年改訂されているCurrent Medical Diagnosis and Treatment は、「今年はここが書き換わりました」というページを別に設けていて、こういうのはありがたいんだけれど。

アップデートカンファレンスというのがあった

研修医生活を送った病院には、「アップデートカンファレンス」というものがあった。

ワシントンマニュアルの新しい版が出版されたときに開催される、研修医お断りの勉強会で、病院内での勉強会だから、研修医はもちろん出席してもかまわないんだけれど、質問は許されない。

その勉強会に参加する上の先生達は、新しい版に全部目を通してくるのが大前提で、勉強会では、前の版から何が変わったのか、その変更点は、どういう意図に基づいていて、それは演者の考えかたと比べてどうなのか、各科の先生がたが順番に演題に立って講義した。新しいワシントンマニュアルを一刻も早く自分のものにして、研修医にものを教えるための方針を、教える側で共有しようという試みだったのだと思う。

もうずいぶん昔のことだからうろ覚えだけれど、カンファレンスは平日の朝から晩まで、講師1人あたり持ち時間を50分、休憩10分だったと思う。教室の前のほうには上の先生達が座って、研修医は出席こそ許されたけれど、英語の本を通しで読んでた奴はいなかったし、講義の内容はひたすら差分だったから、そもそも質問もできなかった。

講義は「総論」、「循環器/不整脈/集中治療」、「呼吸器」、「腎/電解質」、「感染症/抗生剤」、「消化器/肝」、「血液」、「内分泌」、「神経」の各課の部長が担当して、最初に旧版から改訂された場所を読み上げて、そのあとで、その章を書いた人の意図みたいなものが解説されて、最後にたしか、その意図に対して、この病院としてどうしていくべきか、その先生の意見みたいなものが語られたのだと思う。

あの勉強会はだから、研修医を勉強させるというよりも、研修医を教える側が、施設として同じドクトリンを共有しようよという試みで、今から思い出しても、あのやりかたはけっこう進歩的だったような気がする。いい習慣だと思うんだけれど、今はどうなっているのか分からない。

ドクトリンは大切

ワシントンマニュアルという本は、良くも悪くも中途半端なところは否めない。ポケットに手軽に入れて持ち運ぶには大きすぎるし、じゃあ最新の詳しい知識が何でも載っているかといえば、今は電子媒体が発達しているから、書籍メディアではどうしたって情報量で追いつけない。

ポケットに入れてちょっと参照すればいい状況なら、今はMGHのPocket Medicine があるし、UpToDate みたいなデータベースにアクセスできる人ならば、詳しく知りたいことは、PCを叩いたほうが速い。

それでも病棟に出たばかりの人は、やっぱり「内科の考えかた」みたいなのをどこかで知っておく必要があって、漠然とした考えかたの方向性みたいなものを把握しようと思ったら、ざっと読みで一通りの知識が手に入る、ワシントンマニュアルみたいな本を開いてみるのが今でも正しいのだと思う。これをUpToDate でやろうとすると、もう情報量が莫大すぎて、ちょっと通しで読んでみる、なんてわけにはいかないだろうから。

たとえばアメリカ海兵隊には「WARFIGHTING」という本があって、そもそも戦うとはどういうことなのか、海兵隊であるとはどういうことなのか、海兵隊的な戦いというのは、どういうものを目指しているのか、そういうのを伝える試みが為されている。考えかたの本だけれど、描写は具体的で、腑に落ちる。自分たちの業界でも、このあたりをヒポクラテスに丸投げしないで、施設ごとの考えかたみたいなのをまとめて示すべきなんだと思う。

考えかただとかドクトリンみたいなものは、それだけを抜き出して語られると、どうしようもなく暑苦しい。

こういうのはたぶん、具体的な事例を通じて、知識をとり入れていく中で学ばれる必要があって、あるひとかたまりのマニュアル本を例に出して、「これはこう言う考えかたに基づいているんだよ」という解説を行った上で、その上で「俺ならこう言う考えかたで道筋を作るよ」という考えかたを語ってもらうと、きっと面白い。

今の勉強会というのはなんというか、哲学を暑苦しく語るのがみっともないから、それぞれの分野でひたすら最新を追っかけてるような気がする。本来はたぶん、哲学があって、それに基づいた演繹があって、それを検証したものが、最新のデータとして供されるべきなのだろうけれど。

たとえば胸が苦しい患者さんがいたとして、最初から心臓カテーテル検査に持っていくのを前提に検査を始める施設と、そういう検査は「最後の総仕上げ」的なものと考えて、最初はむしろ、心臓から遠いところから思考を進める考えかたと、教科書を開けば同じことが書いてあっても、それぞれの検査だとか、治療薬に対する重み付けみたいなものは、人によってけっこう違う。

エビデンスの時代にあって、それでも考えかたみたいなものは厳としてそこにあって、それを知ったり、あるいは自分の考えかたが、世の中の常識から見てどの程度王道で、どの程度独特なのか、教科書をざっと読みしても、それを把握するのは難しい。その人の考えかたを口にすることが年々難しくなる昨今だけれど、「アップデートカンファレンス」みたいなものは、今の時代でもあっていいんじゃないかと思う。