理解は大切

交渉ごとというのは今のところ、「理解」「説得」「納得」というのが基本的な流れであって、納得が達成できなかったときに、話を切り返す起点としての「謝罪」というものがあって、交渉は、このサイクルを回しながら、最終的な「納得」へと導く技術なんだろうと考えている。

いずれにしても、交渉のはじめには「理解」があって、相手に対する理解と、自分自身が何を知っていて、何を知らないのか、きちんと理解していないままに臨んだ交渉は、グダグダになってしまうのだろうと思う。

昔話

3年目ぐらいの頃、僻地の施設に飛ばされていて、患者さんを「追い出す」役割を仰せつかったことがある。

80歳をずいぶん過ぎた糖尿病の患者さんで、糖尿病のコントロール中だったのだけれど、夜になると居酒屋さんに飲みに行ったり、インスリンの量を勝手に変えてみたり、病棟でたばこを吸ったり、とにかく問題が多かった。

その施設に来たばかりの頃、看護師さんたちから「手に負えないから退院を促してくれませんか」なんて言われて、その気になった。この頃は今以上に馬鹿だったから、ろくすっぽカルテを調べたわけでもなく、「不良」患者さんを追い出すために、白衣を着た保安官よろしく、勇躍病室に乗り込んだ。

「あなたは約束を守らないし、糖尿病のコントロールもいい加減だし、入院していても厳しいから、あとは外来でやりましょう」なんて、丁寧に、それでも決然とした口調を意識しながら、自分よりもはるかに年上の患者さんを諭そうとして、もう手も足も出ないぐらいに言い負かされた。

  • 「先生、俺はたしかにいい加減かもしれない。病院の約束を全部守るなんて無理だ。でもね先生、俺は自分自身、インスリンを自分で調整したり、食事の量を加減したりして、最近ではずいぶん、血糖値も下がってきて喜んでいたんだ」(言い返せなかった)
  • 「先生、俺が今インスリンをどれぐらい打ってるか知ってるかい?」(知らなかった)
  • 「今日の夕方、血糖値が68まで下がったんだ。嬉しかった」(知らなかった)
  • 「先生、俺は力もない年寄りだけれど、それでも入院させてもらって、今ではずいぶん血糖値もよくなって、喜んでたんだ。それでも先生は、出ていけって言うんだね」(そもそもよくなってることを知らなかった)

穏やかな口調で諭されて、もちろん一つも反論できなくて、そのまま逃げ出すようにして帰ってきた。

撤退してみて、やっぱりどうあがいても自分の側が悪かったから、もう一度病室に出向いて、「申し訳ありませんでした」なんて謝った。「分かればいいんだ」なんて、患者さんから肩叩かれて、その人は結局、以降「問題」を起こさずに、2週間ぐらいで退院した。

その人はテキ屋をずっと続けていた方で、会話のプロを相手に、駆け出しの自分が勝てるわけがなかったんだけれど、その頃はまだ、正義というものをずいぶん信じて、正義に甘えきっていたものだから、患者さんのことを何一つ把握していなくても、余裕で勝てるなんて思ってた。

理解が大切

それが何であれ、交渉を始める段階にあって、理解というものはとても大切なんだと思う。

相手がどういう人なのか、何があった結果として交渉をしなくてはいけないのかを知るのはもちろんだけれど、自分自身に対する理解というもの、自分は相手について、何を知っていて、何を知らないのか、相手が何を不快に持っていて、何をすまないと思っているのか、その人がどういう振る舞いをする可能性があって、それに対して自分自身は、どういうカードを切れるのか、それを把握しないで交渉に臨むと、交渉ごとは失敗してしまう。

昔話の事例について、このときの自分は、そもそも相手が「プロ」であること、患者さんが「努力して」いて、そのことを「喜んでいる」いる可能性すら、全く想定していなかった。「正義はこっちだ」なんて頭から信じてたから、相手は「サボって」、血糖値のことなんて気にしていないなんて、そんな貧しい想像しか行っていなかった。

理解には、「事実」の側面と、「感情」の側面とがあって、両者を分けて把握しておかないと、交渉の席で応用が利かない。

「この人は悪い人だから、血糖値も悪くて、だから病院から出て行ってもらおう」なんて先入観は、何一つ、理解の基準を満たしていない。「悪い」なら、じゃあ具体的にどういう行動があって、病院側は、その行動をどう感じたのか、患者さんはその時どういう態度だったのか、病気について、せめて血糖値はどれぐらいで、その値について、患者さんはどう思い、自分たちの側はどう思っているのか、「事実」と、それに対するお互いの「感情」とを、それぞれ知っておくこと、交渉の場でそれを表明できることが、理解の最低ラインなのだと思う。

たとえば意識障害の患者さんがいたとして、遠方から来たご家族に「こんなによくなりました」なんて、意識のない患者さんのことを説明したら、怒られる。病気の重症度の割に、たとえそれが「よくなった」状態なのだとしても、事実と判断とを区別できないこうした物言いは、トラブルを招いてしまう。こういうときにせめて、「意識はありません。血圧は○○、脈拍は○○、来たときにはこういう状態で、現在はこういう状況です」なんて、ある程度数字で示せる事実を語った上で、「それでもこの重症度の患者さんとしては、ずいぶん良くなってきていると考えています」みたいに、判断を付け加えると、いくらかでもトラブルを減らせる。

当たり前のことなんだけれど、そうでもない話をけっこう聞く。