怪しげな医療のこと

オリンピック目指すような運動選手のそばに、何だか怪しげな医師だとか整体師だとかが群がってるのは、 たぶん選手の周りにいる人達が、「原因」を求めるからなんだと思う。

「理由の不在」は、たぶん運動選手の文脈では認められない。伝統的な西洋医医学が 「分からないけれど様子を見ましょう」なんて繰り返すたび、理由を求める人達は、 「これが原因です」という断言を求めて、怪しげな「診断」を提供する治療者にたどり着く。

選手に「安静」は許されない

ラソン選手の人達が「ふくらはぎの違和感」なんかを訴えても、あれを自分たちの医療機器で証明することは、 もしかしたら難しい。筋肉に出血でもあれば、それをMRI で見つけることもできるけれど、 運動選手の感覚はものすごく鋭いだろうから、恐らくは「出血」なんて状態になるはるか手前で、 異常を「違和感」として訴える。

西洋医学の文脈では、「分からないけれどとりあえず死なない」状態の人には、手を出さないで様子を見る。 「違和感を感じる」なんて訴える選手が、歩いて外来を受診しに来たら、 だから「とりあえず安静で様子を見ましょう」なんて返事しかできない。

運動選手には、状況によっては「安静」が許されない。

妄想だけれど、中国で調子を崩したマラソン選手の人も、最初は普通の病院にかかって検査を受けて、 「とりあえず安静にして様子を見ましょう」なんて言われたのだと思う。オリンピックを目指すような 選手にとっては、もしかしたら「とりあえず安静」は、オリンピックをあきらめることに等しいから、 「安静」をお願いされたその時点で、病院が見限られたのだと思う。

方法論を変更するコスト

それがマラソンであっても野球であっても、たぶん全てのスポーツには指導者がいて、 競技ごと、あるいは指導者ごとに、「方法論」みたいなものがある。

方法論というのは過去の蓄積。おそらくコーチの人達は、 みんな自らの経験を蓄積して「論」を組み立てて、今指導している選手に、そんな方法論を生かそうとする。

指導している選手の成績が落ちたり、あるいは体の調子が悪くなったりすれば、 指導者は、責任を問われる。

選手に何か問題が見つかれば、不調は選手のせいになるけれど、選手には問題がないのに調子が崩れたならば、 今度はその指導者が蓄積してきた方法論それ自体が、選手の変化に追いついていないことを認めなくてはならない。

競技スポーツの世界では、たぶん理由の不在は許されない。方法論を変更するコストは莫大だから、 指導者はだから「理由」を探して、選手の不調を「例外」として処理しようとする。

最近報道される、通り魔的な無差別殺人事件なんかは、「動機」から思考をはじめる 旧来の犯罪捜査の方法論が、もしかしたら通用しない。警察が「通用しない」ことを認めると、 今度はたぶん、通り魔的な事件に対する予防責任が警察に求められるようになって、それに対応するための コストは莫大になってしまう。恐らくはだから、ああいう事件になると犯罪者の異常性がやたらと 強調されて、事件は「例外」として処理される。

伝統的な西洋医学は、分からないものに対しては「分かりません」と返事して、とりあえず、 悪さをしてそうな原因を、全て除去して様子を見る。「悪さ」の原因になっているのは、 スポーツ選手の場合には、なんといってもまず「トレーニング」だから、医師は「トレーニングの中止」を依頼する。

指導者にとっては、医師のそんなやりかたを受け入れるコストは、たぶんとても大きいのだと思う。

市場原理で健康を守る

高校野球の監督は、しばしば選手に過大な負担を強いることで、チームを優勝に導いて、 自らの名声を高めようとする。

「選手が健康であること」は、もちろん監督にとっても大切なんだろうけれど、 「チームの優勝」と「選手の健康」とを両立できない状況はしばしばあって、 プロで活躍したかもしれない選手は甲子園で使い潰されて、故障を残してしまったりする。

プロ野球のスカウトは、「チームの優勝」よりもむしろ、「選手の健康」に 利益を見いだす人達。優秀な選手が、健康な状態のまま卒業してプロ入りして活躍すれば、 そのこと自体が自らの利益につながる。

高校野球のチームを「市場開放」して、スカウトの人達が、選手個人に「投資」できるような 状況を作り出せれば、たぶん「悪い監督」は、市場から追放される。 選手を使い潰すことで名声を高めようとする「悪い監督」が仮にいたとしても、 選手が不健康になってしまうなら、投資家はお金を出さないだろうから。

もちろんバックグラウンドでは、金権乱れるすごい状況になるのだろうけれど、「市場化」された 高校野球は、少なくとも表向きは、スポーツとしても、健康増進手段としても、 たぶん今よりずっと「健全」になる。

選手の健康から利益を得る人

プロの世界とか、あるいはオリンピック目指すようなスポーツの世界には、 もしかしたら「選手が健康になって利益を得る」人が、そもそも存在しない。

高校野球を市場化せよ」なんて言う理屈は、プロ野球のスカウトをやっている人達が 昔から口にしている論理だけれど、それが為されて、仮に選手が健康な状態でプロ入りしても、 プロの世界には、もはや選手が「健康」であることに利益を見いだす人は残っていない。

ファンの人達が望んでいるのは、あくまでも選手の「活躍」であって、健康それ自体は、もしかしたら望まれない。 横綱貴乃花は、自らの肩を壊して日本中を感動させたけれど、あのとき途中降板していたら、 もしかしたら「横綱は腰抜けだ」とか、無責任な声出す人もいたかもしれない。

体に違和感を感じたその段階で、トレーニングを続けるのも、止めるのも、 もちろん最後は選手の自己責任なんだろうけれど、 陸上競技みたいな、取り得る戦略の幅が恐ろしく狭い競技だと、選手はたぶん、 しばしば「自らの体を壊す」以外の戦略をとれない状況に追い込まれてしまう。

「止める」ことはたぶん、選手だけが一方的に損をして、怪しげな治療者の「確定診断」は、 たぶんコーチの方法論を保護する方向に作用する。西洋医者の「分かりません」は選手に味方するけれど、 「分かりません」はたぶん、選手も監督も、受け入れられない。

このへんの構造は、きっとスポーツ医学やってる先生方にとっては、 もう何年も前から変わっていないんだろうけれど、検査がどれだけ進歩しても、 「分からない」はなくならない気がする。