正しさは市場に決めてもらったほうがいい

昔研修していた病院は、400床規模の施設に医師100人あまり。 臨床研修を行う病院としては、決して規模の大きな施設では なかったけれど、総合病院を名乗ってた。

今いる病院は、300床に対して医師10人。専門外来は、 大学の先生に来ていただいているけれど、カテ室が必要な患者さんだとか、 放射線治療が必要な患者さんだとか、一部の患者さんを除けば治療できるし、 人工呼吸器が必要な患者さんとか、それなりに重症の患者さんもいるけれど、何とか回ってる。

人数は1 割になったけれど、労働時間はむしろ少なくなった。

研修医の頃とか、大学病院で働いてたときとか、夜の10時に病院から帰れれば、 それは速いぐらいだったけれど、そんな頃を思えば、今はずいぶん速く帰れる。 当直だって、昔は月に10回が当たり前だったけれど、今は片手に余る。

医師の平均経験年次が圧倒的に違うから、もちろん単純比較なんて できないんだけれど、昔研修させてもらった、「正しい」医療を売りにしていた病院は、 「正しさ」故にずいぶんと無駄が多くて、あれだけ人がいたわりには、 それでもやっぱり忙しかった。

正しいやりかたのこと

昔の病院には「すごく正しい」医療を実践する先生がいた。

外来で患者さんを診察するときは、相手が満足するまできちんと話を聞いて、 どんな訴えの人であっても、頭の先からつま先まで、手を抜かずに 診察をしておられた。

もちろんその裏では、「正しくない」医療をするスタッフが、必死に外来をさばいてた。

前の病院には夕方診療という制度があって、午後の5 時から7 時まで、 スタッフの先生方が交代で、主に初心で来た患者さんの外来診療を行う。 いつも50人ぐらい来る。

「正しくない」先生が外来をやると、50人待ってた患者さんは、7 時になると ほとんどいなくなる。正しくない人達は、隙を見つければ手を抜くから、 最後のほうになると、片端から血液検査を出す。7 時になって、夕方診療の 患者さんを引き継いだ当直医は、あとは検査の説明をして、患者さんに帰ってもらう。 データ読むだけだからすぐ終わる。

「すごく正しい」先生は、どんなときでも正しいやりかたを貫く。

50人待ってた患者さんは、7 時の時点で20人も進んでなくて、 当直が外来に降りる頃には、2 時間待たされて仏頂面した患者さんが列をなしてる。

2 時間待った患者さんは、もちろん2 時間分話を聞いてもらわないと満足しない。 外来はだから9 時になっても終わらなくて、当直は泣き顔になる。

正しい先生はいつも正しくて、正しく診療して、7 時になると、そのまま帰る。

夕方診療のルールは紳士協定で、7 時まではスタッフの時間、それ以降は当直の時間と きっちり分かれてたから、その行動もまた「正しい」のだけれど、その正しさ故に、 その人と組む当直は、いつもとんでもなく大変だった。

丁寧に診ると悪くなる

今いる施設は、それでもやっぱり忙しいから、落ち着いてる患者さんは、 みんな3ヶ月処方。心不全の人とか、「具合悪かったらすぐ来て下さいね」なんて 予防線張ってるけれど、それでも90日ごとに外来に来てもらって、 時々レントゲン撮ったり採血したりする以外は、ほとんど挨拶だけ。 たぶん3 分かかってない。

フォローしている患者さんは、時々近隣施設に戻る。紹介状書いて、「安定してます」なんて 書いたはずなのに、なぜだか患者さんは重症扱いになる。

3 ヶ月ごと、挨拶だけしかしてなかった外来は、2週間ごとの詳細な診療を受けるよう、変更される。 薬も増えて、処方が複雑になる。何だかやたらと丁寧に診療された患者さんは、 時々具合が悪くなって、また戻ってくる。

何とか立ち上げて、紹介状書くの面倒だから自分で診てると、 そのうち「うちでフォローします」なんて依頼が事務経由で入って、 患者さんはまたまた「重症」扱いに戻る。

自分なんかは単純にサボりたいから、診療間隔開けて、診察しないで検査ばっかり。 検査データ見て「大丈夫みたいです」なんて、ステレオタイプ化した「馬鹿な医者」の 見本みたいな外来続けてるけれど、案外大丈夫。

診療間隔を詰めること、丁寧な診察を行って、「不必要な」検査を省くこと、いろんな症状を問診して、 薬をたくさん増やすことは、たしかにそれは「正しく」て、 あるいは患者さんもそれを望んでるのかもしれないけれど、 それを「医師のあるべき姿」とか、強要しないでほしい。

「正しさ」の判断は市場に任せてほしい

初心者とベテランとで大きな差が出て、そのわりにはたぶん、「なくても大丈夫」と思ってる、 「診察」という行為それ自体を、まずは保険診療の枠から外してほしいなと思う。

乳腺外来とか、整形外科とか精神科の外来とか、「診る」ことが絶対に欠かせない科だって たくさんあるけれど、あれは「診療」と言うよりも「検査」の領域。 内科領域で、特に「診断」を探す過程の中での「診る」行為は、 「正しい」医師が強調するほどには、もはや大切なものではないような気がしている。

世界中で発売されている教科書は、もちろん「問診」と「診察」に重きを置いていて、 「まずは検査から」なんて考えかたは邪道もいいところだけれど、実際問題、 「正しい」医療を行う先生がたの陰には、たいてい「正しくない」なんて馬鹿にされる人達がいて、 その人達はたぶん、「正しい」人達よりも、ずっと多くの患者さんを回すし、馬鹿にされてるほどにはたぶん、 診療成績だって変わらない。

医師足りないとか、医療費足りないとか言われているけれど、「正しさ」目指すの止めるだけで、 効率はずいぶん上がる。ところがそれは「正しくない」から、確実さが求められる今の時代、 みんなが「正しくない」のに「しかたがない」なんて考える、検査ばっかりのやりかたは、 いつまで経っても裏道で、ちゃんとした検証を受けられない。

「診療」みたいに定量的な検証が不可能なものは、だからこそ、市場に検証をゆだねてほしいなと思う。

診療報酬を「ゼロ」にして、機械を用いない診療に対しては、別途自費での対価徴収を許可してくれれば、 きっと面白いことが起きるはず。自分みたいなのはさっさと「診療」を見限るだろうし、 「正しい」医療をする人達、長い時間をかけた、丁寧な診察を必要なものと考えていて、 なおかつそれが生み出す利益は、患者さんに欠かせないと考えている人達は、 丁寧な診療を行って、その費用を請求すればいい。

丁寧な診察に対して、みんなが喜んで対価を支払うなら、「診療」は市場に支持されて、 技量の高い医師が経営するクリニックは成功するだろうし、診療の価値が市場から 評価されないのなら、今度はたぶん、報酬が支払われる「検査」を組み合わせて、 医師がなるべく手を動かさないで患者さんを治癒に導くような、そんな方法論が 「正しさ」を主張できるはず。

診断技量を向上した先にも「安全」は見えてこなくて、「身を守るためのマニュアル診療」というやりかたが、 個人的には結局正解なんだと信じてる。伝統的な、「正しい」やりかたを見直すきっかけとして、 たぶん一番簡単で、実行に移しやすいやりかたというのが、「診療報酬の撤廃」なんだと思う。