安全の市場化

航空業界で、長年「安全指導」にたずさわってきた人達が、最近になって医療安全の業界に 参入してきてる。講演会とか、あるいは大学病院にポストを獲得した人もいる。

航空業界は、長い間「安全」学をリードしてきて、ヒューマンエラーを回避するやりかたとか、 緊張する現場で働く人に、一定期間の休息を義務づけるやりかたとか、昔はいろいろ 勉強したけれど、無理だった。

うちの業界は、安全というものに価格が無くて、頑張ってもお金につながらないから。

良心のお値段

航空業界が長年作り上げてきた、人間を安全に運用するための方法論、 良心的な、理性的なやりかたを担保してきたのは、たぶんある種の寡占状態だったのだと思う。

「良心」にはお金がかかる。飢えてる人に「パン」と「良心」の選択迫ったら、 やっぱり凡人はパンを取る。10年前の航空業界は、たぶん今程価格競争が厳しくなくて、 航空券なんて目の玉飛び出る程に高価なのが当たり前だった。今の馬鹿安チケットの価格思えば、 当時の航空会社はとんでもない利幅稼いでたんだけれど、その見返りとしてたぶん、 「良心的な運営」だとか、「安全への配慮」なんてものがもたらされてきた。

安全を売りにしてきた航空業界も、今は競争ルール。 現場に余裕が無くなれば、たぶん「良心」なんて、真っ先に吹き飛んでしまう。

航空整備とか、もちろん「ちゃんと」やることもできるし、あるいは基準ぎりぎりの「不真面目な」 整備しかしない会社だってあるんだろうけれど、示された基準をクリアするのが目標なら、 不真面目な会社はより多くの利益を上げることができて、そのうち価格競争に 打ち勝って、市場から「ちゃんと」やる会社を追い出してしまう。

日本の整備会社とか、今海外の会社に価格競争で勝てなくて、けっこう苦労しているらしい。

基準は現場を腐らせる

国が「あるべき姿」を提示して、それを守らせるやりかたは、 現場を腐らせて殺してしまう。

マネーの虎」に出演していた起業家、高橋がなり氏が、農業の会社を興した 話 を書いてて、そんなことを嘆いてた。

農業の世界では、何か新しい試みとか、新しいビジネススタイルとか提案しても、 「それをやると、もしかしたら補助金が打ち切られてしまう」という問題にぶつかって、 変化を起こすのが難しいのだという。

医療が目指す「あるべき姿」は、病院機能評価機構という第三者機関、もとい 天下り団体が決めている。

大きな病院だと認定試験受けるのに300万円近くかかって、山程のマニュアルと、 ありえないぐらいたくさんの「委員会」と「会議」の設置を義務づけられる。

厚生労働省は喫煙者が嫌いだからなのか、病院は全面禁煙を義務づけられる。 喫煙室を別に作ったりとか、病棟から離れた場所に喫煙所作ったりとか、そんな 工夫は認められない。病院の敷地内では、だから患者さんもスタッフも、一切の喫煙が禁じられてしまう。

ところが「道路の上」は、厚生労働省の管轄じゃないからなのか、そこで喫煙する分にはかまわないらしい。

「認定」を持ってる近くの公立病院は、点滴頃がした患者さんが、道に出てきて喫煙する。 幹線道路で、トラックとか点滴引っかけそうになってるけれど、道路で誰か無くなっても、 それは国土交通省の管轄だから関係ないんだろう。

二酸化炭素排出権取引のこと

そもそも「それに意味があるのか?」という議論は未だにつきないけれど、 「二酸化炭素を減らす」やりかたとして、「それを市場化する」という発想は、 やはりすばらしい発明なんだと思う。

エコマーク認定するのに何百万円も請求する霞ヶ関官僚とか、「地球に優しい」なんて 独りよがりなテーマ叫んで、きれいな川に細菌ばらまいて喜ぶ環境保護団体の人だとか、 特定の「正解」示して、みんなにそれを守らせるやりかたというのは くだらない利権を生んだり、正しさの定義を暴走させる人を生んだり、 ろくな結果を生まない。

二酸化炭素排出権取引市場で活躍する人とかみてると、やっぱりなんだか怪しげな、 いかにも「空気商売で潤ってます」なんて、道徳の反対側にいるような人ばっかりだけれど、 少なくとも二酸化炭素の排出量は減ってきてるし、何よりも多くの企業が環境保護に動いた。

安全とか、環境とか、それを「道徳」で引っ張るやりかたは、道徳の規準作る人達には 莫大な利益をもたらしてくれるんだろうけれど、現場には一切のお金が落ちない。 環境問題みたいに、「安全」それ自体をお金にするやりかたを考えないと、 「安全」はこれから先、ますます軽視されてしまうと思う。

保険会社は「安全な車」を知っている

危険な車、事故を起こしやすいドライバーが好む車は しょっちゅう事故を起こすから、保険料が高くなっている。

事故にかかる金額はだいたい決まっていて、保険会社はもちろんそれを値切ろうとするけれど、 何よりもまず、彼らにとっては「安全な車」を顧客に持つことそれ自体が、 自らの利益につながるから、いろんな車の事故率を調べて、それを価格に反映させている。

保険会社は道徳とは無縁だけれど、安全がお金につながるからこそ、 彼らは「安全な車」、少なくとも「みんなが安全だと思う車」を 知っているし、それを知ろうと努力する。

車に関しては、だから「事故が起きない期間」というものが、 ドライバーと保険会社との間で、不完全ながら市場として成立している。 ドライバーは、自らの運転技能とか、「安全な車」を購入することで、 「事故が起きない期間」を販売して、保険会社は顧客として、 その商品を評価して、「保険料の割引」という対価を支払って購入する。

同じことはたぶん、医療機関と保険会社との間でも通用する。

「命の値段」を決めてほしい

市場回すのにどうしても欠かせないのが、「命の値段」。 疾患ごと、状況ごとに、病院が患者さん側に支払うべき「標準価格」みたいなもの。 こればっかりは、政府の代表者に決めてもらわないといけない。

今はまだ、誰も「命の値段」をつけようなんて思ってないみたいだし、裁判所が決定するそれは、 残されたご家族の心情とか、病院側の態度とか、もっと個人的な状況が「価格」に反映されるみたいだから、 そんな流れの先に「市場」は見えない。

政府が「これ」という価格を決めれば、市場が生まれる。保険会社は、病院相手に新しい保険商品を販売できるし、 病院側は今度は、今まで事故を起こしてこなかった信用であるとか、 充実したスタッフの数であるとか、もっと呪術的な要素、「うちは有名な祈祷師に加護をお願いしてるから大丈夫」 みたいなものですら、それを「顧客」たる保険会社が有効と判断するなら、 事故防止の取り組みとして評価され、保険料の割引分として、病院に利益をもたらす。

全てはお金だし、そこにはもちろん「道徳」だとか「正義」なんて発生しないけれど、 保険会社も病院側も、自らの利益のために「有効なやりかた」を模索するし、 自分たちが置かれた状況の中で、最大限に事故の発生を防ぐはず。

政府が「価格」をつり上がれば、安全が高まる代わりに医療費は高騰するし、価格を下げれば、 みんなが利益を追求するから、効率が上がる代わりに、安全度は下がるかもしれない。

「安全」とか「道徳」とか「良心」だとか、そもそも定義が曖昧で、基準作るのが難しいものほど、 国家が「正解」示すんじゃなくて、「価格」だけ示して市場に任せるやりかたしたほうがいいのだと思う。