ドクターハックのやりかた

誰かを操作するための一般解というものは存在する。

操作したい誰かが持っている技能や社会的な立場、おかれている状況、 使用可能なリソースなどに応じて、人の振る舞いには必ず最適なやりかた というものが生じる。

自由意志の介入は、確率論的な行動選択を通じて、最適な選択を積み重ねた 決定論的な未来予測に対して、予測不可能なノイズとして働く。

相手がおかれている環境を理解して、相手の性質に応じて、適切な方向から 圧力をかけることができるなら、自由意志の力は制限される。 「確率論の回廊」は狭くなり、行き先の予想が可能になってくる。

「自由意志に基づいた行動が、環境との相互作用で事後的に決定される」

こんな状況を作り出すことができるなら、環境に介入できる第三者は、 対象から意思決定の主体を奪うことができる。

行動は環境とともに変化する

たとえば当直中の医師というのは、みんな訴訟や過誤の恐怖におびえながら、 同時に体力の配分を考える。

みんな翌日も仕事。来る患者さん全てを一生懸命診察したら体を壊すし、 夜来る人というのは、ものすごく重症な人を除いて、基本的には 翌日の朝まで持たせられれば、それが当直帯の仕事。

この人は翌日に「流して」いいものなのか。それともここでちゃんとやらないと、 足下をすくわれてしまうのか。

夜間帯の行動というのは、この両極端に絞られてくる。患者さんの雰囲気みて、 お話を半分聞いた時点で、医師がこのあと取る道筋は、「流す」ルートと 「調べる」ルート、どちらか両極端に決まる。

「3日前から熱が出て…」なんて病歴は、流すときには「じゃぁ4日様子見ても大丈夫でしょう」 なんて解釈するし、調べるときには「いよいよ大変ですね」としか思えない。 最初に決めた行動指針は、その後の情報にバイアスをかけてしまう。

医師がとりうる行動ルートもまた、患者さんが20時に来たのか、夜の2時に来たのか、 朝5時に来たのかで、やっぱり異なってくる。

「診察してほしい」だけなら、当直中の医師の心境なんてどうでもいいけれど、 「検査してほしい」とか、「とりあえず抗生物質ほしい」なんて、ある程度 目的意識を持った人なら、このあたりの理解が大事。

最初のルート選択に介入できないと、後から挽回するのは無理だし、 最初に適切な介入を行えれば、その人の行動を支配できてしまう。

圧力で意志を制限する

人に圧力をかける方法は、大きく3とおり。

  • 要求を強弁する
  • 訴訟とか、市民圧力みたいな他者の力を使う
  • その人の専門性に訴える

職業ごと、あるいは社会的な立場ごとに最適な圧力のかけかたというのがあって、 正しい種類の圧力を加えられれば、その人の行動をより決定論的なもの することができる。

医師という職業は、病気の見逃しが怖くて、常に訴訟の圧力におびえていて、 おまけにもう一つ、ものすごくプライドが高い。

見逃したら訴えるとか、患者の権利みたいなものを振りかざされるのは 怖いけれど、この種のプレッシャーにはみんな常に晒されているから、 みんな多様な対処の仕方を編み出している。

ていねいになる人もいるけれど、最初からその患者さんを放り出して、 「自信がないので他当たって下さい」みたいなやりかたになる人もいれば、 検査フルコース出してデータ渡して、「後はあなたの責任です」みたいな 対応する人もいて。

嫌がらせには十分効果的であっても、どういう結果になるか読めないから、 コントロールの役には立たない。

強弁も同じ。みんなプライド高いけれど体力ないから、強弁で迫ると行動が歪む。 結果の不確定要素が増すだけで、相手をコントロールする用途には使えない。

行動コントロール目的で医師にプレッシャーをかけるなら、たぶん一番正しいのは 「症状」という専門性に訴えるやりかた。

  • 突然発症して増悪している
  • 少しもよくならない
  • 今まで生きてきて最悪の症状

たとえばそれはくも膜下出血であったり、解離性大動脈瘤の発症であったり。 「見逃すと絶対死ぬよ」なんて教育受けてきたいくつかの病気を引っ掛けるのは、 いつもこんな言葉。

どんなに元気そうな患者さんであっても、こんな言葉を聞いただけで、 たいていの医師は震えあがって、どんなに些細な所見も重たい病気に結び付けるし、 詳しい検査をオーダーする閾値は下がる。逆をやれば、振舞いは逆。 いずれにしても、コントロールは容易。

荒事に慣れていない人なんかは強弁で不安定になるから、 退院の話切り出すときにはやさしい言葉のほうが有効だったり、 警察の人なんかは「喧嘩になれば100% 自分が勝つ」というバックボーンがあるから、 強弁が実質無効。だからこそ、強弁は効果があって、結果の予測可能性が高まるから、 ヤクザの人達はやっぱりすごむ。

コントロール回避のやりかた

救急外来でいつも問題になるのは、麻薬系鎮痛薬の中毒になった患者さん。

本当の病気を経由して中毒になった人と、本物の麻薬を経由して、 お手軽に入手できる病院の麻薬を利用したくなった人と。

こんな人達にとって、「医師をコントロールする」というやりかたには とても切実な需要があって、みんな知恵を絞る。

こんな人達にとって重要なのは、なるべく低いコストで注射を手に入れること。 検査とか、ましてや入院なんかは望んでいないし、目の前の医師に頭を使われては困るから、 来院するのはいつも夜。

「慢性膵炎」と言われていて、今日はこちらに遊びにきていて、突然痛くなりました

ほとんどの人がこんな訴えで、そのわりには紹介状もなかったり、 「すぐ検査を手配しますから」とか、「点滴しましょう」なんて切り出しても、 やんわりと断られたり。

当直帯に入った医師がとる行動というのは、「流し」か「調べ」かどちらか。 実際のところそれで全然困らない。その人が医師の行動回廊に乗っからないという時点で、 その人には相当な違和感を抱く。

最近はいろんな病名を騙るようになってきたり、一人じゃなくて付き添いの人が来たり、 「友達の医師」を自称する人がついてきたり。バリエーションいろいろ。

こんな人を疑ったときは、謝り倒して注射を断るのだけれど、 プロの人達は、医者には「強弁」とか「訴訟」みたいなやりかたはコントロールしにくいことを 知っているから、たいていすぐ帰る。そうでない人達は、外来で激昂したり、 最悪殴られたりして、本当に困る。

まとめ

高い信頼性が要求される仕事であったり、その人の行動が、誰かにとって大きな利益を生む 立場の人であったり。どんな方向であれ、それがプレッシャーである限り、 それに晒された人の行動はより決定論的になり、その人に情報を入れるほかの誰かの意思が、 その人の行動を操作する、そんな状況が簡単に作り出せてしまう。

医師にはたとえば「死にたいです。お金ありません。身内いません。入院させて下さい」なんて 訴える患者さんの入院を断ることができないし、痛いとか苦しいとか、 それが患者さんの言葉である限り、基本的に100% 正しいというスタンスを崩せない。

言葉を疑えないから文脈を読むしかなくて、それはある程度は有効なのだけれど、 体力が残り少なかったり、相手の目的に応じた「適切な圧力」なんて 使われた日には、それに対して抗う術なんてない。

その気になればサインひとつで麻薬を処方できる仕事のわりには、 医師の振る舞いには「セキュリティホール」が多くて、それを埋めるのには 気合とか注意なんかじゃ不可能で、医師の行動を決める「コード」、 医師法に手を加えてもらわないと無理。やれば間違いなくコストがかかるし。

「医者からもらった薬が分かる本」ならぬ、「医者から好きな薬をもらう本」 なんて作って配ったら、あるいは厚生省に対する適切な圧力になるんだろうか…。