安全工学と技術の癌化

技術が成熟していくと、技術それ自体が生み出す富よりも、 その技術に対する間違った期待感とか、技術者の名声に対する 盲目的な信頼なんかを利用した商売のほうが、圧倒的に大きな利益を生むようになる。

ノイズがシグナルを駆逐する

たらいまわし」なんて言葉が生まれた大昔。夜間に救急外来を開いている病院なんて ほんの一部で、救急当直は戦場のような騒ぎ。一晩たって朝日拝んで、 気がついたら白衣血まみれだったりして。

就職したのは10年ぐらい前。この頃には病院も大きくなっていたけれど、 救急の現場にはまだまだ人が足りなくて、夜中になっても患者さんが列を作った。

救急に来る患者さん達は全てが「本物」。みんな具合の悪い人ばかりで、 待合室で人が亡くなったり、診察している最中に、 真っ青な顔した別の患者さんが倒れこんできたり。

様子がおかしくなったのは、仕事を始めて3 年目ぐらいのこと。

大きな公立病院が夜間救急を始めるようになって、 「救急外来」というものが、いろんな人に認知されるようになって、 患者さんの質が変化した。

「主訴:入院希望」 「主訴:飲みすぎ」

緊張しながら救急受けて、救急車のドアが開いたら、元気そうに歩いてくる人達。

最初のうちこそ笑って流せたけれど、そのうちだんだんとこんな人達が増えてきて、 救急外来のお仕事は、「診察」から「選別」へ。

「元気な救急患者」の人達はサービスにもうるさくて、こんな人達の影に隠れて、「本物」 がやってきて、病院で急変する。「本物」見逃してトラブルになって、 元気な人にたまたま病気見つけて、入院の話を切り出したら、 「お前は薬だけ出してればいいんだ」なんて、またトラブって。

12年目。

  • アメリカで成功した消火器内科の先生は、日本に凱旋帰国して、サプリメントを売りはじめた
  • がん患者さんの塞栓治療を専門にやっていた先生は、 治療効果が期待できない末期がんの患者さんだけに商売を絞った
  • 消火器外科の華、高難度だけれど成功すれば治癒が見えてくる「膵頭十二指腸切除術」は、 何度が高いわりには患者さんの満足度が得られなくって、やる人がほとんどいなくなった

技術の「シグナル」、技術が恩恵をもたらすはずの受益者は、今では文句やリスクばっかり。 「ノイズ」であったはずの人々、その技術が対象としていなかったり、 技術者の持つ技術じゃなくて、その肩書きとか、その名声なんかに興味を持つ人たちが、 シグナルに代わって利益をもたらした。

昔鍛えた「ノイズの中からシグナルを見出す」技術は、今では診療リスクの高い 「シグナル」を除外するために大活躍。

病院では、小児とか、若い人の急病は歓迎されない。大きな病院でもなかなか受けてくれない。 羽振りのいい近くの病院は、「元気な寝たきり老人」なんかを大量に入院させて、病棟をブン回す。 その人達が具合悪くなって、「ノイズ」が「シグナル」を発するようになったなら、 間髪入れずにうちみたいな施設に転送依頼。

技術者の楽園だった業界に、技術を理解していない人達が土足で踏み込んで、 その技術を本当に必要としている人達を「楽園」から放逐してしまう。

ノイズがシグナルを駆逐する。技術が成熟していく過程の中で、 技術 - ユーザー間の関係が変化して、目標を見失って迷走した技術は、 その技術が本来想定していなかった人たちに、何の意味もない成果物を 売りつけるようになる。

技術の癌化。こんな現象はたぶん、 大体同じ時期に、いろんな業界でみられているはず。

技術の癌化を生じた「安全」

  • それが誰かの役に立つこと
  • 「パズル生産性」が高いこと
  • 外界から隔絶されていること

医療を含めた様々な技術業界は、たいていこんな条件を満たしていて、 それぞれの業界が外界から隔離された「細胞」として、お互い弱いところを補間しあって、 「理系」という一つの生態系を維持してきた。

生体組織を作っている細胞のどれかが癌化すると、周囲の細胞もその影響を受けて、 そのうち生体を維持することができなくなってしまう。

技術系の業界を迷走させる原動力になっているもの、漠然と「市民」的なとしか 表現できない得体のしれない力を生じたのは、たぶん「安全という技術」の癌化なのだと思う。

「安全」は役に立つし、実世界を見渡すだけで問題山積み。学者が食べていくための「パズル」の 量には不足がなくて、いいことづくめ。

「安全の癌化」の原因となったのは、恐らくは言葉の問題。「安全」を記述するための言葉は 耳にやさしすぎて、安全工学にかかわる技術者と、そうでない人達とを隔てるのに 十分な力を持てなくて、非専門家の進入を容易にしてしまった。

十分丈夫な細胞膜を持てなかった安全工学は、それゆえに感染を生じて癌化してしまい、 安全と責任というキーワードはすべての技術者にとっての抵抗できない弱点となって、 いま「理系という生物」全体が揺らぎつつある。

  • アメリカの麻酔科医は、手術前に患者さんの胸部単純写真や心電図を見ないで、 それを読影した専門家のサインだけを確認する。実物を一目見た時点で、 それに対して責任を生じてしまうから
  • ワクチン接種を広めようにも、学校は「ワクチンのお知らせ」を配ってくれない。 これもまた責任問題。お知らせ配ろうと思ったら、医療者が学校にいって、自分で配布するしかない

安全問題が難しいのは、「間違わないようにする」なんて本質を把握するのが 一見簡単で、そのくせ絶対避けられないヒューマンエラーとか、未来予測が 確率論的にしかできない人体であるとか、コストの問題であるとか、 実体としての安全を実装するのに要する技術が恐ろしく複雑であること。

本質と実体との乖離が激しすぎて、技術者が本来の技術の受益者を見放してしまう構図が 癌化という現象。

たぶん医療だけではないはず。

「癌化した安全」を治療するには

癌細胞の治療手段というのは、大雑把に外科的に切除するか、 内科的に何とかするか、どちらかのやりかた。

切除した組織が持っていたニッチは、周囲組織が代替手段を提供したり、 あるいは医師が薬で何とかしたり。

外科的なやりかたを行うなら、それは市民団体の言うがままに制度を作って 大事故をおこしてみせるとか、マスコミ様が病院叩いて、気がついたら救急医者は 一人も残っていませんでしたなんて、ひどい結末ばっかり。

もしも「化学療法」を実践するなら、それは要するに分裂毒の注入。 「シミン」の活躍で誰が利益を得ているのかを明らかにしてみたり、 市民団体を支援する人達の人格攻撃を行ってみたり。 何をやるにしても、あんまり楽しくないやりかた。

内科にはもう一つ、「癌細胞と共存する」という考えかたがあって、 これは癌細胞に流入する微小血管を ターゲットにする治療方法。

癌細胞が成長するにも血流が必要で、 癌は周囲血管組織から微小血管を誘導して、自分が増殖する血流を得るのだけれど、 血管新生を阻害する薬を用いることで、癌の増殖だけを止めるやりかた。

作用は限定的で、効果のある腫瘍とそうでないものとがあるけれど、 副作用が少なくできそうで、いろいろ試みられている分野。

「癌化した安全」の成長を止めようと思ったならば、 いろんな技術畑の人達が、自分達の言葉で 安全というものを記述して、それを発信すべきなんだと思う。

立場が違っても、そこにはきっと共通する何かがあって、 それは決定論よりも確率論に重きをおく立場であったり、 安全確保とコストとの天秤を頭に思い描くセンスであったり、 多様性を拒むやりかたよりも、冗長性を美しいと思う感覚であったり。

対話の力なんてもうほとんど残っていないのだけれど、 狂信者じみた議論をぶち上げる市民団体を笑うだけでは、 やっぱり癌の進行は止まらない。

精神論とか、人間ドラマとか、安全とか責任といったものを面白おかしく 報道する人達と、工学としての安全を育ててきた人達と。最後は結局物語の勝負。

実世界を記述する言語としての科学の力は、ちゃんと使えば、 マスコミが描く人間ドラマなんかよりも、よっぽど面白いはずなんだけれど。