「サイレントマジョリティーの声」の実装案

反響をもらえるのはごく一部

いろいろな文章を書いていても、反響をもらえるのは一部。

自分の議論展開というのが、本当に賛同を受けているのか、あるいは単なるトンデモとして 笑われているのか?

今はもう開き直っているけれど、こういうものを書きはじめた頃は怖かった。

掲示板を作って、コメント欄を作って、ブックマークへのリンクをはって。

いろいろな筆者-読者間のコミュニケーションチャンネルを作っても、 実際にそれを利用してくれるのはごく一部。

blog の表ページを見に来てくれる読者の人が、だいたい1日 2000人ぐらい。

実際に反響をもらったり、ブックマークを張ってくれる人というのが、そのうち40人ぐらい。

これでもこの1年ぐらいで、「声」は画期的に多くなった。html を手打ちしていた頃は、 書き込みなんて、年に10件ぐらい。

それが賞賛であれ罵倒であれ、本当にうれしかったものだ。自分と意見の合わない人の コメントを削除する贅沢なんて、それが許されるようになったのは、本当に最近の話。

多くのオンラインシステムでは、ユーザの90% は読むだけ。9%は、ほんの少し書き込みをする。 目立ったアクションのほとんどは、残る1%のユーザによってもたらされるという。

文章を書き込む必要のあるメディアでは、この割合は、たぶんそんなに大きくは変わらない。

もっと大勢の意見を聞くには

blog とソーシャルネットワークの時代。反響をいただける機会は本当に増えて、 個人で何かやるぶんには、もう十分。

問題なのは、政治的な問題とか、医療従事者が何かまとまった態度を示さないといけないような問題、 それこそ僻地医療の問題とか、産科崩壊の問題とか、そういったもの。

様々な立場の専門家の先生方が状況を分析して、確かにコメント欄もにぎわっていて。 ネット上には、たしかに「医療従事者一般としての立場」みたいなものは 出来上がってはいるのだけれど、 それが本当に全員の意見の反映なのかどうか。

今の時点では、誰にも分からない。

「ネット上ではこんな意見が大勢だが、サイレントマジョリティーの意見を総合すると、きっとこうだ」

最近流行の「サイレントマジョリティーメソッド」に正面から対抗するには、 無理やりにでも「もの言わない人々」の意見を聞き出す方法論が必要。

「物言わない」原因

大多数の人が沈黙してしまう理由というのは、たぶんこんなもの。

  • 単に面倒くさい
  • 無名の個人が常連の意見に反対すると、何か仕返しされそうで怖い
  • ネット世界はローカルルールが見えにくいので、「空気読め」と言われるのがいや
  • コメント欄の文脈を外れた意見は言いにくく、総論賛成、各論反対のような立場を書きこめない

文字のような面倒なメディアを使わない、 ルールというものを徹底的に放棄する、個人の属性要素を消して、読者一人一人の立場を 公平に保つ、そんな実装。

実装案

  1. blog のエントリーを読んだ人は、誰でも「文章内に線を引ける」機能を実装する
  2. 線の種類は1種類、マウスを右クリックしながら、面白そうな場所をなぞるだけ
  3. blog には「閲覧モード」「編集モード」「集合知モード」の3つを選択できるようにしておく。 最初の状態は編集モード
  4. 閲覧モードは筆者のエントリーだけが読め、編集モードで線を引き、 集合知モードはみんなが引いた線を全て重ねて見ることができる

ものいわない人の意見を集めるためには、今までの文字文化では無理。

「エントリー内に自由に線を引いてもらう」というやりかたは、 コメント欄の文脈とか、コメントをする人の属性といった ものを表現できない。

重要なところに線を引こうが、印をつけようが、 あるいは同意できないところをグシャグシャに塗りつぶそうが、 それは読者の自由。

「それはルール違反だ」と反論しようにも、ルールなんてなければ、 そもそも反論の方法が用意されていないから、 やられたらやられっぱなし。

その代わり、多くの人がなんとなく線を引くことで、「みんなから逸脱した人」の 行動は、集合知に是正される。

集合知モード」でblog のエントリーを見ると、 文章の中にはいくつかの印が固まった「」と、それをつなぐような形で 何本かのが引かれているように見えてくるはず。

この「点」や「線」というのは、筆者の意図した結論とは独立した、「みんな」が重要と思った部分。

たとえ筆者の結論が変わらなくても、この点や線の部分を文章から除いてしまうと、 「みんな」の立場からはその文章は意味を失ってしまう、そんな部分。

「みんな」に対する反論を行うためには、あたらなエントリーを立ちあげるか、あるいは コメント欄で反論するか。いずれにしても、そこにもまた「みんなの線」が引かれるから、 物言わない大勢とのコミュニケーションが成立しうる。

いたずら書きもひどいことになるのだろうけれど、そこは数を重ねて平均することで、ノイズを排除する。

反響の大きなエントリーは落書きだらけでグシャグシャになり、明らかに筆者の意図とは別のところに 「線」や「点」が集まったりする一方で、みんなからの注目を集めないエントリーは、 たとえコメント欄が盛り上がっていたところで、「集合知モード」はきれいなまま。

こんなサービスがあると面白いと思うんだけれど、どんなものだろうか?