Advovative Doctor's Life Support

(タイトルはAdvocative の誤植)

メッセージの3要素

「正確さ」なんて2の次。誰かにメッセージを伝えるときに大切なのは、メッセージの発信者と受け手、 この両者の「思い」を共有すること。思いを共有できないメッセージは、単なる文字列。

伝わらなければ、意味がない。

思いが伝わるメッセージというのは、発信者の立場が分かりやすくて、 何かの意図そった編集がなされていて、 「受け手」の顔がはっきり分かるもの。

  • 立場: 八方美人は信用されない。発言者の立ち位置がはっきりしないメッセージには説得力がない
  • 意図: 単なる事実の羅列でなくて、それを並べることで受け手に何をしてほしいのか 意図のないメッセージは単なるデータにしかすぎない
  • 対象: 全人類対象のメッセージなんて、誰にも伝わらない。相手はどんな人で、どんな言葉を好んで使って、何を信じる人なのか。対象の顔を思いうかべないで書いた文章は、伝わらない

うちのサイトの場合。

  • 立場: そこそこ忙しい臨床べったりの医者。左団扇からは遠いけれど、免許既得権の恩恵は 当然受けていて、それは絶対に失いたくないと考えている
  • 意図: 意図することは「現状維持」。 結論は常に「昔はよかった」だし、 提案するのも「昔に戻すにはどうすればいいのか」。現状を批判した上で、昔に帰るための対案を出して、それを批評してもらうスタイル。お金が必要ならば、どこから引っ張れるそうなのかのアイデアを出して、国民負担の増加案とか、お上の批判は最小限
  • 対象: 読者として想定しているのは、「キャズム」で言うところの「アーリーアダプター」の人。 本文中には横文字を使うことを避けているけれど、「見だし」はあえてバズワードだらけにして、 「分かってくれる人」の共感を引っ張ろうと、姑息なことをしている

html を手打ちして研修医向けの文章を書いていた頃は、「伝わる」ことなんてあんまり考えていなかった。 読むのも同業者ばかりだったし、臨床の情報を発信しているサイトなんて、数えるほど。 「読みたい人だけ読んでください」。これで十分だった。

blog 時代になって、本当の専門家の先生方が何人も発信するようになって、うちのサイトもメッキが剥げた。

業界のレッドオーシャン化。同じ事をしていてもしょうがないから、変化をすることに。

他のサイトが正確なデータとか、詳しい情報などを競っているのを横目に、うちのサイトは 心理操作とか、コミュニケーションの話題に集中して、想定読者も微妙に変更。

blog を始めて1年経って、書いた文章も増えてきたころ、だんだんと「過去の自分」が現在を 縛るようになって、立場の一貫性といったものを考えるようになり、現在へ。

湾岸戦争PR の「原油まみれの水鳥」とか、掲示板上の人工ドラマ「電車男」の仕掛けに感心しながら、 一定の意図に基づいた情報の見せかたに興味を持つようになったのが、最近のこと。

メッセージに込められた欺瞞のエネルギー

  1. 分娩中に頭痛を訴え意識消失発作を起こした。
  2. 産科医は子癇発作と考えその処置を行なった。
  3. しかし経過が重篤で他院での処置が必要と判断した。
  4. 転送先を探すも18軒に断られ、19軒目の国立循環器病センターにようやく運ばれた。
  5. 患者は脳出血を併発しており死亡、子供だけは助かった。

新小児科医のつぶやき - その日が来たか・・・より引用。

医療blog 界隈には、現場を動かす専門医の、血を吐くようなメッセージが続々。

真実を伝えることはとても大切で、それはつまり、うちみたいなサイトが一番不得手なことなのだけれど、 日ごろウソばっかりついている奴からすると、どうしても「効率悪いな」と思えてしまう。

産科崩壊、医療崩壊の問題はここ2年ぐらい、もう何度も話題になってきたけれど、 医療サービスの供給者と受け手、両者の「思いの共有」は、未だに遠い。

専門の先生方のメッセージは正確さでは完璧だけれど、発信者の立場とか、 メッセージの意図がよく分からない、あるいは、 想定している読者にそれが伝わっていない気がする。

マスコミのメッセージは、不完全だけれど、伝わりやすい。

  • 彼らは「新聞や雑誌を買う」市民の代弁者として発言。彼らが信じているのは「忘却の力」だから、 一貫性はあえて捨てて、そのときの「市民の意思」を感じて、そこに立つ
  • マスコミは情報を編集する。「医師の怠慢がこの悲劇を生んだ」という物語が最初にあって、 その物語を広めるために情報を集める。一定の意図の元に編集された情報は、読者に「刺さる」。 リンク先の本文が、6400字。新聞の社説は1000字以下。読者への浸透力というのは、単純に考えて6倍以上
  • 新聞の対象読者は、みのもんたを信じてblog を見比べたりなんかしない人。うちとか、「はてな」、 ましてや「m3」あたりでいくら叫んだところで、マスコミを信じる人の耳には絶対届かない

「欺瞞」のないメッセージには力がない。欺瞞は「誠意」と言い換えたっていい。

たとえば、湾岸戦争のときの、「原油まみれの水鳥」。アメリカで撮られた写真で、そこには 何の真実も入っていなかったけれど、そのメッセージのもつエネルギーは強大なもの。

あれを発表したPR 会社は、たぶんあらゆる国民からの質問に対して想定問答集を作っていて、 あのメッセージが「ウソ」だと報道されることを避ける努力をしていたはず。ただの1枚の写真だけれど、 たぶん、あの裏でなされた「仕事」の量は莫大。

専門家のメッセージは正しい。でも、それだけ。

そこには欺瞞がないから、読者には誠意のない事実の 羅列としか受け止められない。

だから伝わらない。

クライシスマネージメントのすすめ

たぶん、「伝える」 力というものもまた再現可能な技術であって、誠実さとか、人柄とか、 そういった思考停止ワードを使った時点で負けているんじゃないかと思う。

PR 社会の現在、医療者側もまた、正しいことを追求するだけでは片手落ちで、 「伝える」技術を身につけないと、やっていけない。

ADLS:Advocative Doctor's Life Support というのは、 標準的な心肺蘇生手段「ACLS:Advanced Cardiovascular Life Support」 のもじり。 提唱的医師防衛手段とでも訳すもの。口先で鉄火場を乗り切る、そんな方法論を学ぶコース。

基本理念は3つ。

  • 同じ落第点であっても、患者の死というのは1点から40点の間であって、0点ではない
  • 同じ事象であっても、それがどう受け取られるかで「点数」は変わる。治癒しても落第することもあれば、その逆もありうる
  • 物理事象と認識事象との境界に介入する技術を用いることで、100点を取ることは無理でも、「40点を60点に受け取ってもらう」ことは可能

想定しているのは、こんなコース。

第一日目 開場 8:30 受付開始 8:40 コーヒー&ドーナツ:Pre-test review 開会 9:00 開会の挨拶、コース・スケジュールの概略 講義1 9:25 患者対応の基本的な考えかた 実技1 10:10 Case1:クレームを訴える患者家族との対話(こちらに非がない場合) 実技2 11:05 Case2:クレームを訴える患者家族との対話(こちらに非がある場合) 実技3 12:50 Case3:合併症を生じた検査の説明 実技4 13:50 Case4:死亡症例の説明 休憩 講義2 15:00 マスコミ対応のやりかた 休憩 講義3 15:50 法廷で行われること 休憩 実技5 16:50 Case5:マスコミの取材:個人と個人の場合 実技6 17:50 Case6:マスコミの取材:記者会見 終了 19:00

第二日目 9:00 2日目の案内 実技7 9:05 Case7:医療過誤症例:患者への説明 実技8 9:55 Case8:医療過誤症例:マスコミ取材への対応 実技9 10:55 Case9:医療過誤症例:弁護士との対話 11:55 昼食 テスト 13:45 筆記試験 13:55 Case Exam(Mega Code) 15:25 結果発表、閉会の挨拶 閉会 15:35

度胸とか勇気とか、そういったものは欠片もないチキンだったから、 リスクの高い検査をやるとき、いつも責任からどうやって逃げられるかを考えていた。

みんな、医師としての勇気で持って、リスクを取って病気と立ち向かう。 自分には同じ真似なんかできなかったから、防衛手段を考えて、「トラブルがあっても、自分だけは大丈夫」と 自己暗示をかけて、リスクの高い治療に臨んだ。

ものすごく後ろ向きな発想だけれど、危険地帯では、自分を守れてはじめて体が普通に動く。

今、危険度の高い科からは人が減っているけれど、循環器とか脳外、産婦人科なんかは、ほんの少し前までは 人気の高い科だったはず。潜在的には、まだまだ行きたい人、きっといると思う。

勉強になるよ、お金になるよ、リスク低いよ、と研修医を勧誘するのも一つの考えかただけれど、 「うちはリスクは高いけれど、ちゃんと回避手段を教えているよ」というメッセージを発信するのも、 ある種の研修医にとっては魅力になるんじゃないだろうか。

プラップジャパンあたり、やらないかな…。