医療過誤に至る物語
船の中から船の動きを知るのは難しい。
動きというのは相対的なものだ。それを測定するには、 何か動かないものを見なければならない。外の景色とか。星の動きとか。
自分自身で自分のことを知るのは難しい。
自分が考え、行動していることは果たして正しいのか。行動方針を決めて、それを観察しているのは自分自身。判断の基準になる「絶対正しいもの」なんか、自分の中には存在しない。だから難しい。
過誤というのは、おきる時までは自覚されない。思い込みを、その人の力だけで覆すのは不可能に近い。
いやな予感は当てになる
- 治療を開始したけれど、なんだかすっきりしない
- 方針は正しいけれど、このケースは完全には症状がとれない
- 退院前だから検査は止めておこう
- 患者さんの全ての症状は同じ原因で説明可能だ
- 今日は「呪われてる」先生の当直日。うちの患者大丈夫かな…
病棟で感じるいやな予感は、大抵当たる。
予感があると、病気は悪い流れに入る。
病気が治るのかどうかとはべつに、病気には「いい流れ」と「悪い流れ」の2種類の経過がある。
いい流れとは、予定調和の物語。
経過や症状から原因を推定して、検査所見はそれを裏付け、必要な治療を施せて、後は治ったり治らなかったり。
よしんば治らないような病気であっても、医学的には現時点で「正しい」ことができている。
意識と感覚とが協調している状態。心に葛藤は生じない。
残念ながら、悪い流れもまた予定調和だ。ただし、水面下では「感覚」と「意識」との せめぎあいがおきている。
- 初期の判断に間違った思い込みが混じっていたり、入院時の派手な検査所見に判断を引っ張られたり。すっきりしないけれど、意識は間違えを認めない。
- なまじ考えて行動しているから、患者さんの症状は部分的にはよくなってしまう。
- 誰かの助けがあれば間違いに気がつくけれど、判断をする主治医の意識には、「助けが欲しい」という自覚が無い。完全に治らない理由は「これは○○だから」とすぐ説明が入り、自分の間違いに思い至らない。
- 感覚は「検査したい」という欲求を訴えるけれど、間違いを認めたくない意識はそれを止める。退院が近いからとか、医療コストが…とか。
- うまくいっていれば絶対しない「検査結果の見直し」をしても、意識には間違が見つけられない。なおさらドツボにはまる。
- 「呪われた先生」はベテランに多い。何かの葛藤を抱えている主治医は、ここぞとばかりに速く帰るから、そんな日に限って自分の患者が急変する。
「ああ、やっぱり」と納得できるものから、「呪われた医師の当直日」みたいなオカルトじみたものまで。 予感にはいろいろなものがあるけれど、それを感じる理由は同じ。
オカルトなんかではない。意識が知覚していなくても、感覚が「悪い流れ」を感じているから 警告を出す。これが縁起が悪いとか、いやな予感がするという現象。
物語は同じパターンをとる
物語世界では、主人公を取り巻く状況や、 その行動には一定の規則が存在する。
たとえば、桃太郎と金太郎とは置換可能だ。
- 両方とも田舎の村の不遇な家の出身。
- 生まれたときから非凡。
- 何らかの試練を乗り越えて、悪を倒す。
- 最後は民衆、あるいはその時代の殿様からほめられる。
桃と金とは置換可能。鬼が島から帰った金太郎が足柄山 に凱旋したって意味は通るし、幼少の桃太郎が悪い熊を投げ飛ばしたって、鬼が島には問題なく行ける。
それぞれの要素が、どのような人物によって、 あるいはどんな方法によって実現されるのかは、問題ではない。
大切なのは、その要素を実行するのが誰かではなくて、動作する順番のほう。 物語では、それぞれの要素が出現する順序というのは、決まっている。
出来事が起きる順序は偶発的ではない。
扉をこわす前に強盗に押し入ることはできない。 鬼が島から帰った桃は、もう団子で動物を釣るような真似をしてはいけないし、一度立身出世した金は、熊を投げ飛ばしちゃいけない。これをやると、物語の構造が崩れてしまう。
順番は、物語のジャンルごとに定まっている。 魔法物語とミステリーとでは順番が違うけれど、それぞれのジャンル内では、だいたい同じ。
過誤の物語の構造
入院してから悪い転帰に至るまでの 行為というのも、いくつかの要素に分けられる。
- (間違った)原因の発見
- それを部分的に裏付ける検査所見
- 部分的に解消する症状
- 早期退院などの何らかの圧力
- 他人に相談しずらい状況
- 患者の不安の訴え、家族からのプレッシャー
- 入院からの経過の見直しと、間違った納得
- 「つく」、あるいは「呪われた」当直医
- おせっかいな誰かの指摘
- 間違いの気づき、あるいは悪い転帰
過誤物語の構成要素は、たぶん本当はもっとあるけれど、 とりあえず思いついたものだけ。
これらの構成要素が、 1から10まで全部そろうことは少ない。
- 1から3は順番にくる。検査が全く外れていたり、症状が悪くなったりしたら、過誤物語はそれ以上に進まない。
- 4~6は、順番はばらばら。ただし、どれも入院中に無言のプレッシャーとなって主治医を罠にはめる。
- 8~10の「悪い予感」は、やはり順番に訪れる。プレッシャーに焦ってカルテを見直して、「やっぱり間違いない」と納得した頃に患者が悪化、誰かが助けてくれて…という経過をたどる。
予感で事故を回避する
過誤がおきるためには、その前に必ず「過誤の物語」の経過をたどる必要がある。
全ての過誤が同じ機能経過をたどるなら、それを予期することができる。
いやな予感とか、縁起が悪い行いといったものにはたぶん それなりの理由があって、過誤がおきる前にあった「予兆」みたいなものを収拾すると、 けっこう面白いかもしれない。
ジンクス。因縁。縁起や予感。物語の文脈から考えると、昔からの言い伝えと言うのは 真実を含んでいて、幸運のお守りとか、護符といったものもまた、現代社会でも 効果のあるものを作れると信じてる。
たとえば、このあいだ入ったラーメン屋。
きれいな店内。愛想のいい店員。清潔な厨房。材料一つ一つ、 水の一滴に至るまでの、店主のこだわりをつづったポスター。
今思えば、全ては「まずい料理の物語」の前兆だった。
そのときは期待高まりまくり。
出てきたのは血の味のするスープ。
たしかに、素材の味は生きてたよ。
でも、とんこつラーメン食べたい客は、生の骨髄飲みたいわけじゃないんだけどな…。
お守り代わりに、その日はクラビットと酒飲んで寝た。
今ところ無事。