クレームの対策について

息子 お母さん、明日の遠足のお菓子代、300円頂戴。 明日は雨よ。

遠足前日。担任の先生との約束では、お菓子代は200円まで。 息子は友達と共謀していて、当日にはみんなで、少しだけ多くのお菓子代を持って行こうと 画策している。

母親は別の情報を持っている。PTAからの通達で、遠足は雨なら中止。 明日の天気予報は、80%の確率で雨。お小遣いの話以前に、そもそも遠足が行われるのかすら疑わしい。

母子の会話は、成立しているようで成立していない。

「明日は雨」といわれた息子は、「自分の要求がスルーされた」ということしか分からない。 息子が取れる戦略は一つしかない。もっと大きな声で「300円」と繰り返すのみ。

母親は常に正しい。経済を握っていて、情報量も莫大。 雨なら遠足は中止。だから、そもそも お小遣いについて議論することは無意味。

「だから、明日は雨!」

このバカは何故気がつかないんだろう…と、母は同じ言葉を繰り返す。

ねじれの位置から脱出できない会話はエスカレートする。最後は息子は泣き出し、 母親は息子を張り倒す。明日が雨になろうが晴れようが、いずれにしても 明日の遠足は楽しいものではなくなってしまう。

現場は理不尽なクレームの連続だ。

患者さんが一人や二人なら、少しの医学知識さえあれば、誰だって名医になれる。

一般内科の「腕」は、皿回しに似ている。1枚や2枚の皿を回すのなら、ちょっと練習すれば すぐできる。プロと呼ばれるには、20枚とか50枚の皿を回す必要がある。 1枚でも割ってしまえば、プロとしての名声は地に落ちる。

たくさんの皿を回しつづけるコツは2つ。

皿を動かさずに自分が動くこと、皿がグラグラになる前に、自分の方から 皿を回しつづけることだ。

まずはこちらから歩み寄る

昔一緒に働いていた同僚に、患者さんからのクレームをいなすのが非常に上手な男がいた。 ディープ関西圏の、某病院出身。

忙しい救急外来。待たされた人のクレームは多い。

売り言葉に買い言葉。当時の自分は良くトラぶりそうになったけれど、 そんなときによく助けに入ってくれた。

関西の患者さんの意思表示は過激なんだそうだ。

外来の壁を蹴るのは挨拶代わり。待ち時間が長くなると平気で外来ブースに怒鳴り込んでくるし、 週に1回は事務長がロビーで誰かに土下座をするらしい。

続かない奴は本当に3日で辞める病院。そんなところにいたからなのか、異様に人間ができていた。

外来では、患者さんと、医者との距離は大体2メートル。お互い頭に血が上って、胸倉つかみあう 議論に発展しそうになったときとれる行動は2つだ。相手に来させるか、自分から距離をつめるか。

トラぶりそうになったとき、彼はいつも、その距離を自分から縮めにいった。そうすると、相手の激昂が 不思議とおさまってしまう。

怒りは閾値で発動する

売り言葉に買い言葉の状態は危険だ。

今までは曲がりなりにもコミュニケーションをとれていた患者さんは、 怒りが始まると急速に「理解が悪くなる」。こちらがいくら論を尽くして説明しても、 怒りがおさまらない相手に 「理」が通じることはほとんどない。

多分相手も同じなのだろう。

こちらがいくら「分かりやすく」要求を伝えようとしても、 受ける医者は、ポイントのずれた返答を返すばかり。

話はこじれる一方。最初は「ごめんなさい」ですむはずだった話はどんどん大きくなり、 そのうち弁護士が出てきて、最悪警察沙汰になる。

何かを要求する側と、クレームを受ける側。

お互いの求めるものの違い。状況判断に使える情報量の違い。対立する利害。 立場の違う相手同士、そもそも友好的な会話を成立させようとするほうが難しい。

それでも、相手が「怒り」の状態に入る前であれば、なんとか交渉のチャンネルというものは 確保できる。一度そういった状態に入ってしまうと、交渉を継続すること自体が困難になる。

「怒り」という感情は、個人の不快感が一定の閾値を越えたときに発動する。

その時の不快感の総和が閾値以下であれば、どんなにバカな応対をしても大丈夫。 患者さんは不快を覚えても、それが売り言葉に買い言葉の悪循環を生むことはない。

一方、一度でも閾値が越えると、その関係を戻すのは難しい。こちらが冷静になればなるほど、 理を尽くせば尽くすほど相手の怒りを煽ってしまい、収拾がつかなくなる。

単なる「不快の集積」が「怒り」の感情へと変わるとき、その直前には、 必ずお互いが実際に向かい合う場面が生じる。

不快感を蓄積させている相手の心情は、爆発寸前の風船そのもの。

この風船を爆発させるのか、あるいはわずかでもガス抜きができるのかの選択権は、 幸いクレームを受ける側にゆだねられている。

相手と直に面談するとき、その相手をどこかに呼びつけるのか、あるいは自分が迎えに行くのか。

呼びつけることによる相手のストレスの増加の幅は読めない。 わずかなものなのかもしれないし、その行為が相手の心情に止めをさしてしまうかもしれない。 こちらが歩み寄ることによって、ストレスはわずかだけれど確実に減ることが期待できる。

怒りの感情というものが確率論的な振る舞いをするならば、わずかな変化はただの誤差だ。

ところが怒りは閾値に従う。閾値ギリギリのわずかな差は劇的に運命を変える。 医者がほんの数歩を歩くだけで、その生存確率はかなり高くなる。

遠足の話の中で、母親がとりあえず子供の小遣いの交渉に耳を傾けることを約束していたら、 あるいは子供に泣かれずにすんだかもしれない。

何がほしいのかは指摘されるまで分からない

最初の遠足の話。「300円」と騒ぐ子供は、本当に300円がほしかったのだろうか? 争点にしたかったのは金額の絶対値だったなのか。それとも、 「他の子と一緒であること」だったのか。

仮に300円もらったとして、約束した他の子供がみんな100円しか持ってこなかったら、 あるいはみんな500円持ってきたりしたら、果たしてその子はうれしいのだろうか?

クレームの種類はいろいろある。誰もが怒り、そのとき手に入る情報の中で、最善と思う 要求を突きつけてくる。院長出せ。訴えてやる。賠償しろ。事実を明らかにせよ。いろいろ。

要求する側がそのときもっている情報は少ない。情報が少ないから判断できない。 少ない情報の中で要求を作らなくてはならないから、それを受ける側としては その要求は「不当な」ものに写る。

人間、本当に「やる気」になった時は黙ってやる。相手を訴えたり、最悪殺したりする人は、 相手に警告など出さない。いきなり来て、黙って刺す。

訴訟ざたのトラブル。相手が黙っているときのほうが怖い。 「返答によっては訴える」という言いかたをされたときは、 逆に訴訟になることは少ない。

「訴えるぞ」という人にとっては、 訴訟はすでに目的ではなく、たんなる交渉のカードの1枚に過ぎなくなっている。

相手の人も、ただ訴えるという解決法がベストではないことが分かっているから交渉に 来ている。「訴えるぞ」というクレームは、裏を返せば「もっといい知恵を教えてください」 という相談に他ならない。

とにかく自分の不快な気分を解消させる「何か」がほしい。クレームというのは、つまるところ これがすべてだ。

具体的な「何か」がなんなのか。それは、クレームを受ける相手から指摘されるまで分からない。

イメージを解決可能な問題へ帰着させる

クレームの対処というのは、圧迫面接の相当きついバージョンみたいなところがある。

マイクロソフトの入社試験は1日がかりで行なわれる。 「富士山を動かすには何日かかるか」とか「南に1Km, 東に1Km, 北に1Km行ったらもとにもどるような場所は地球上に何個所あるか?」 のような奇抜な問題が出題されるらしい。 これは遊びでやっているわけではなく、無能な人材を雇ってしまうことは良い人材を雇いそこねるよりも悪いということから、絶対に無能な人間を雇わないようにするための工夫らしい。

マイクロソフトのパズルのような問題は、問題の定義のしかたから解答までのプロセスを見ているそうだ。 だから、問題点はなんなのかの前提条件をいわずに、いきなり答えをいっても合格にはならないらしい。

相手にも漠然としたイメージでしかないものを、どうやって実現可能な具体的な計画として提案できるか。

大事なことは、とにかく全ての情報を共有することだと思う。

トラぶりそうなときに心がけているのが、全ての情報配信を「プッシュ型」へと変更することだ。

普段の仕事は黙ってやる。相手からの面談希望とか、 説明希望があるとき、まとめて話す。 「プル型」の情報配信だ。

鉄火場になりそうな時は逆。

状態の変化だろうが、今自分が考えていることだろうが、部長からの指示が変わったことだろうが、 なんであれ変化があるとき、常に自分から相手へ情報を発信する。けっこう、どんなに下らないことでも 電話している。

相手に聞かれた事だけを答えるやりかたは、相手の状況把握が 十分でない時には役に立たない。不十分な状況把握からは、不十分な 情報要求しか出せない。

全ての情報には、発信者の思考の断片が紛れ込んでいる。 相手に聞かれたことを答えるのではなく、 「自分はこう考えていて、今あるデータからこういう 判断を下すつもりだ」ということを患者さんや その家族、あるいは同僚や上司に積極的に発信することで、 お互いの情報のみならず、その 思考過程をも共有できるのではないかと信じてる。

クレームの対処という仕事は、同情とか共感とか誠意とか、そんな情緒的なものではなくて、 もっと技術的な問題に帰着するような気がする。

今回の産科の先生の巻き込まれたトラブルは、もはや全面戦争の様相だけれど、 いい結果になればいいなと思う。同業者を代表するような先生方が何人も コメントを発表しておられるのはすばらしい事だけれど、このことは 医者側の退路を断つことにもなっているように見える。

よもや医者側の「負け」は無いのだろうけれど…。