ベッドサイドに情報を集める

入院患者の病気に関する情報、処方内容や病歴、臨床経過、温度板といったさまざまな情報は、すべて入院している患者さん本人のものだ。

自分の持ち物を離れたところに放置する奴はいない。病院ではなぜか、カルテや検査結果、病棟オーダーといった情報は患者さんの手を離れ、ナースルームで管理されている。

カルテを置く位置はどこがベストだろうか。正解は多分、患者さんのベッドサイドだ。

現状の病棟運営システムでは、ナースルームに情報を集約する。この方法は効率が悪い。

医師/看護師の業務は、すべて入院患者を診察してから何かを判断、オーダーや記録を行うか、あるいは「○○さんに心電図モニターをつけてください」などとお願いをする。

何人かの患者さんを診察してから廊下を歩いている間にも、記憶はどんどん薄れる。ある患者さんについて「とてもいい考え」が浮かんでも、ナースルームまで歩くまでの数分間、その記憶を常に保持するのは極めて難しい。結果、「あれもしよう、この検査も入れよう」などと患者について考えていたことの何割かは実行されること無く、医者は再びベッドサイドにいったときに、患者の顔をみて忘れ物を思い出す。

情報の伝達が遅いのも問題だ。患者さんを診察してから何かのオーダーが通るまでには、診察->ナースルームに帰る->オーダー用紙に記入->ナースが受ける->ベッドサイドへ->オーダーが実行されるといったプロセスを経なくてはならない。病棟ナースが巡視したときに医師の出したオーダーを読んでいるとは限らず、患者さんにしてみれば「医者が出て行って、看護師が来てくれたのに何もしてくれなかった」ということになる。

全ての情報をベッドサイドにおけば、こうした問題は解決する。全てとは、文字通り全てだ。枕元には病名と患者名を大きく記載、ベッドの足元にはカルテとオーダー用紙を常に開いておく、ベッド下には今までとった検査や画像をすべて保管する。

こうすることで、医師と看護師との情報の共有はリアルタイムでなされる。もちろんオーダーが読まれるまでにはタイムラグがあるが、誰かが枕もとまできたときにはいやでもオーダーが目に入る。少なくとも、「巡視に来たが、そんな指示は知らなかった」ということは無くなる。

患者さん自身をカルテの1ページとして扱うことで、医師の記憶喪失に伴うミスは減る。何しろ目の前で診察した瞬間にオーダーが書ける。不必要なアイデアが増えるという可能性もあるが、記憶の欠落はアイデアの重要さには関係なくランダムに生じる。カルテにノイズが増える欠点よりも、必要な情報が欠落することがなくなる利点のほうが上回る。バイタルサインや過去のカルテもそこにあれば、患者さんをいきなり引き継がなくてはならないような状況であっても話の通りは早くなる。

患者さんのプライバシーは無くなる。他の主治医どころか、廊下を歩いている一般の人にまで病名やカルテは見放題。癌の告知を受けたくない人、実は大変な重症の人などでも、目の前に自分のカルテが転がっていれば見てみたくもなるだろう。

無茶なシステムの提案に見えるだろうが、実際に運営した実績がある。災害医療の現場だ。

阪神大震災当時、病院が崩壊した状況で応援の医師が全国から集まり、被災民の救急医療に当たった時のこと。当時の病院は水道も止まり、ナースステーションも文字通り潰れてしまい、また職員の数が圧倒的に足りなかったため、病棟に入院した患者については「一瞬でも手の空いた医者がその隙に回診する」というルールであったという。

眠るひまも無いほど忙しかったため、患者さんと病名など一致するはずも無い。このためカルテは患者さんのベッドサイドに置いてあり、診察した端からカルテにオーダーを書き込んでいく。看護師さんも普段は救急外来に駆り出されているため、手が空いたら病棟に駆け込み、片っ端からオーダーを受け付けていく。

医療スタッフは全国から交代でやってくる。みんな現場に出ているので引継ぎなど出来るわけも無く、ベッドサイドに患者名と問題点、「ここまでやったら退院」「こうなったら後方病院へ搬送」といった大雑把な方針を書いておくルールになっていたらしい。

自分がまだ学生だった頃の話なのでうろ覚えだが、プライバシーの問題はさておき、職員の時間が全く足りない現場で、ミスを生じる可能性を最小限にする方法として、この方法は非常に有効だったらしい。

従来型のカルテの改良品としての電子カルテは、こうした経験の延長には無い。

患者さんの情報を呼び出すには、いちいち患者名を「クリック」しなくてはならない時点で、情報共有のリアルタイム性は失われる。ベッドサイドに全ての情報をぶちまけておく方法は、誰かがベッドに近づくだけで否が応でもオーダーが目に入ってくる。

こうしたことを技術的に実現するのは簡単なはずだ。患者さんのベッドに近づいたらオーダーが勝手に起動するとか、電子メールよろしくオーダーが入った瞬間にベッドに一番近い職員のPDAにアラーム音が入るなどが考えられる。

ただ、こんなことをしなくても、ベッドサイドでオーダーを出したときにベッドに旗でも立てるようにすれば、全く同じ機能がローテクで実現できる。巡視中に旗の立っているベッドにいけば、目の前にオーダーが書いてある。

現在、無線LAN内臓の電子オーダーシステムを毎日怒りに震えながら使っているが、100BASE-TEthernetを導入しているにもかかわらず、温度板と看護記録とを呼び出すだけで56kモデム時代のアダルトサイトよりも遅い。こんなものに画像つきの電子カルテを載せた日には回線がパンクするのは目に見えているが、数年以内に導入予定らしい。

仕事の効率を考えたら狂っているとしかいいようが無いのだが、医療情報部の方針はかわらない…。

電気仕掛けは加速度的に早くなるので、後10年もすれば回線のボトルネックも解消するのだろうが、現在はまだまだ使えない。

従来型の伝票システムでさえ十分効率的に運用されているとはいい難い。効率アップのアイデアも、まだまだいくらでもありそうだし、何よりもこれ以上の無駄金を使うことなくシステムを改良できる点で、捨てたものではないと思うのだが。