老人を食べるしかない

年配のドクターが多い病院だから、「友達の友達」ぐらいのところに政治家がいて、 医局ではときどき、政治の床屋談議がはじまる。

大局無視の、田舎の財源について。

地方都市の現況

うちの県は、街作りが完全に破綻していて、県庁所在地の駅前でさえ、夜の8時も過ぎれば真っ暗。

もともと古い街並で、自動車時代のうんと前からある街だったから駐車場を増やせなくて、 飲み屋街だとか、ショッピングモールだとか、人とお金が集まる施設は中心街を見捨てて、 みんな郊外へ移ってしまった。

街の中心に残っているのは、シャッター閉じたままの古い商店と、平均年齢が恐ろしく高い、 駅周辺の、ちょっとだけ高級な住宅地。

駅前からちょっと歩いた場所には、新しいマンションが建築中だったりする一方で、 数年前に炎上した一軒家は、引き取り手もなく、廃墟のまんまになっていたりする。

自動車に見捨てられて、若者に見捨てられて、目立った産業もない、都市の「代謝」機能が 衰えてしまったこういう場所を、これからどうすればいいのか、市会議員の人とかそのあたりはさすがに 閉塞感実感していて、どうにかしたいんだという。

病院を作るつもりだったらしい

医局で話題になっていた政治家の人は、古い街並を一掃してそこに巨大な病院を作るんだなんて息巻いていたのだそうだ。

その方は、病院というものを金の卵を産む鶏みたいに思っていたらしくて、町全体を大きな病院へと 作り替えることで、県にはお金が流れ込んで、街が豊かになるんだと。

病院なんてもちろん、いくら作ったところで赤字を生むだけだし、どこか大学を誘致したところで、 そもそも人のいないうちの県で、そういうやりかたが成功するわけもないんだけれど。

医局で「こんなことになってるらしいよ」なんておしゃべりして、 で、今の時代、地方都市に出来ることは「老人を食べる」ことに尽きるんだろうね、なんて話になった。

お金は東京を目指す

田舎で暮らす若い人達は、そもそもそんなにお金持ってないし、買い物といえば、 イオンだとかジャスコだとか、郊外のショッピングモールですませる。 そういう建物は、たいていは本社が東京にあって、ショッピングモールも、コンビニエンスストアも、 若い世代の持つお金は、結局東京に吸われてしまって、県内には落ちてこない。

老人はお金を持ってる。たぶん土地もあるし、財産もある。そういう人達は、その代わり出歩かないし、 もうたいていのものは持っていて、消費するお金が少ないから、ほとんどの人は、 持っていたお金を使い果たすことなく亡くなってしまう。

亡くなったら、もちろん相続税が得られるけれど、これはもちろん国家の税金だから、 そのお金はやっぱり、県には落ちてこない。地方交付金みたいな形で、 お金はめるぐるんだろうけれど、「紐付き」のお金は、使えない。

田舎の町にできること

地方にお金が落ちることそれ自体、落ちたところで、果たしてそれを、 有効に使ってくれる人がどれぐらい居るのか、よく分からない。今までやってきたことを振り返れば、 どうせまた、無駄な県道増やして、せっかくの税金溶かしてお終いになりそうなんだけれど、 とにかく「県にお金を落とす」には、地域の高齢者を、生きているうちに身ぐるみはぐしかないよね、なんて結論になった。

要するにそれは老人ビジネスで、県立でも、地元企業でも何でもいいけれど、市の中心街を「老人の町」 へと改装して、老人のための商店、老人のためのサービス、高齢者向けをうたった、 利幅の大きい、質の比較が出来ない、「消費すること」以外の選択枝が許されない、 そんなサービスをたくさん提供して、その人が亡くなるときには、もうほとんど全ての財産が、 「老人の町」に吸われてしまうような、そんな地域を作らないといけないんだよね、なんて。

閉塞感はどこの地域も同じで、政治家の人達は、もちろん誰だってお金が欲しい。

持っているものも、目的も一緒なんだから、どこかでたぶん、田舎の町は、この方向に舵を切るのだろうなと思う。

飢えたタコが自分の足を食べるのに、どこか似ている。