取り違え回避のやりかた

今住んでいる地域には「持ち帰り」に対応してくれる回転寿司屋さんがあって、ときどき利用する。 この地域には、そもそも外食産業がそこぐらいしかないから、いつも忙しそうにしている。 うちには子供がいないから、お願いするのはもちろん「ワサビ入り」の、普通の寿司だけれど、 「ワサビ入り」を注文したのに、受け取りに行ったらワサビがなかった。

今までの状況

そこにお寿司を頼むと、最初に注文する寿司を聞かれて、最後にいつも「ワサビはどうしますか ?」なんて尋ねられる。

同じ応対を繰り返すのが面倒だったから、最近は、注文をするときに「ワサビ入りで」なんて頼む。 今まではそれで、「ワサビはどうしますか?」がスルーされて、ワサビ入りのお寿司が出来上がっていた。

今回、いつもの通りに「ワサビ入りで」なんて頼んだのに、そのあともう一度「ワサビはどうしますか?」と尋ねられた。 そこで「ワサビ入りで」なんてお願いして、相手も「ワサビ入りですね」なんて返事したのに、ワサビは入ってなかった。

バックグラウンドで起きていたこと

恐らく電話の応対をしてくれた店員さんは、相当に忙しい思いをしていて、自分なりに、手順を「改良」していたんだと思う。

  • ワサビ入りの、「普通の」お寿司を頼む人は、店員さんが尋ねない限り、ワサビのことなんて気にしない
  • 子供がいる家だと、「ワサビ抜き」であることは大切だから、恐らくはそういう家は、最初から「ワサビ抜き」なんてお願いする

たぶんこんなことが何度か繰り返されて、店員さんの頭の中には、 「ワサビの話題を相手が振ってきたらワサビ抜き」なんて回路が出来上がっていたんだと思う。

人間は、同じ作業を繰り返していると、認知にかける労力を節約しようとする。

マニュアルどおりの、最後に「ワサビの有無」を確認するやりかたよりも、恐らくは「ワサビの話題が出たらワサビ抜き」 の覚え方のほうが、頭の仕事量は、もっと少ない。

そんなやりかたをしても、たぶん高い確率でミス無く回っていて、そこにたまたま、うちみたいな「例外」が 入ってきたものだから、店員さんは、ミスを修正できなかったのだと思う。

データベースは判断を行わない。間違った情報を入力されれば、間違った出力を返してしまう。

この事例はたしかに「ミス」だけれど、たぶんその店員さんにとっては、 「データベースに間違った情報を入力された」帰結でしかないのだと思う。

わさびの入ってないお寿司をつまみながら、「これからはわさびの話をこちらからするのは止めよう」なんて、 うちではとりあえず、ユーザーサイドで対策をすることにした。

認知のモード

たぶん「人間モード」と「機械モード」と、人間は認知のやりかたを状況に応じて使い分ける。

  • 「人間モード」は時間がかかるし、脳の負担も大きくて、間違えも多い。その代わり柔軟な対応ができて、 間違えの修正も容易
  • 「機械モード」は、認知がハードワイアされた状態で、正確で、すばやい判断が可能。 その代わり、想定されていない情報がそこに入り込むと、間違えて、修正できない

注文を受けた店員さんは、おそらくは「機械モード」で仕事をしていて、注文を受けたときに 自分たちが「わさびの話題」を出したその時点で、恐らくは「ワサビ抜き」の出力が確定していた。 注文のあと、「ワサビの確認」があって、「ワサビ入りの復唱」も為されたにもかかわらず、 結果は変更されなかった。

ミス回避のやりかた

人は容易に「機械」になる。そのことを前提にしないミス対策、 「指差し確認」だとか「ダブルチェック」みたいなやりかたは、 手続きを面倒にするだけだと思う。

手順書を作るときには、「機械になった人」を意識しないといけない。 たぶん「機械モードに入れない」手順を作るやりかたと、「機械人間でも結果が変わらない」やりかたとがある。

「機械」を回避するためには、たぶん応対マニュアルの中から、「ワサビ」という言葉を削除すればいい。

店員さんは、注文を受け付けたあと、最後に「ほかに何か言い残したことは ?」なんて質問をするルールにしておく。 「ワサビは ?」とか尋ねちゃいけない。

お客の答えは「ワサビ」かもしれないし、あるいは「マグロ増やしてくれ」だとか、 「お前のその態度が気に入らない」だとか、客の数だけさまざまだから、店員さんは、 手順を改良して、機械化することができなくなってしまう。

電話の応対は疲れるし、恐らくは店の効率も少しだけ悪くなるだろうけれど、「ワサビといったのにワサビが抜かれる」 状況は、回避できると思う。

「機械でもいい」やりかたを目指すなら、お店は「ワサビ入りのお寿司」というメニューを削ればいい。

最初からワサビの入っていない、ワサビが別になった寿司しか販売しないお店であれば、 原理的にミスは発生しない。お客もいなくなるかもしれないけれど。

サクシンサクシゾン

最近起きたサクシンの誤投与は、電子カルテ出たときから「危ない」なんて言われていて、 「電子カルテはやばい」なんて話をするときには必ず引用されていることが、 ついに本当におきてしまったな、という印象。

本来が文脈依存で薬が選択されないといけない、「医療」というお仕事に、 薬品名での入力を求める電子カルテのやりかたは、そもそも根本的に間違っていて、 最初から「どうぞ殺して下さい」感ありありで、電子カルテが嫌いな人たちは、 だからこそ「あれ危ないから」なんて叫んでたのに、偉い人達は「IT で何でも解決するんだ」なんて 自信満々で、病院には、型落ちのパソコンが何百台も導入された。

サクシン」と「サクシゾン」は、どうソートしても隣に並んで、 覚悟決めないでサクシンを使うと、患者さんは本当に死んでしまう。

このへんは、電子カルテの構造的欠陥ではあるんだけれど、 その代わり「間違えると死んでしまう」、紛らわしい薬の組み合わせは、今のところは 「サクシン」と、あとはせいぜい「アルマールとアマリール」ぐらいだから、 ここだけ回避できる仕組みを入れておけば、醜いけれど、おおむね安全な運用は可能だった。

事件がおきて、たぶんこれから「根本的な解決を」とか、IT 叫んだ人達がまた叫んで、 何億円ものお金が、各病院の「アップデート」費用としてむしり取られるんだろう。

電子カルテで処方するときは、文字変換じゃなくて、POBoX みたいな推測変換積んでほしいなと思う。 カルテの側から「おいお前、ここは当然この薬だろ…」なんて、圧力を返すようなやりかた。

POBoX による入力は、「昔の焼き直し」みたいな文章を書くときには極めて快適なんだけれど、 過去の文脈を外した単語を打ち出すと、いきなり使いにくくなる。新しい単語を打ち込んで、 PoBoX に新しい「文脈」を覚えてもらう労力が、馬鹿にならない。この「馬鹿にならなさ」加減が、 医師に「馬鹿なミス」を回避させるような気がする。

手書きカルテの温かみ

「手書きの暖かみ」みたいなものは、あるいは何らかの情報を伝える媒体になってたのかなとか思う。

電子化されて、「活字」になった文字は、人間の「機械」部分をフックする。判読するのに頭を使わないといけない、 汚い手書き文字ならば、そこに「解読」という作業が必要だけれど、誰が打ってもドットの狂いすら見つからない、 きれいなフォントで印刷された処方箋は、単語が「一塊の記号」として認識されてしまう。

手書きの文字ならば、サクシゾンサクシンと「解読」してしまう可能性は低いだろうけれど、 その人が「サクシゾン」という先入観を持って「サクシン」という活字を読むと、 恐らくそれは、容易に「サクシゾン」と認知される。

ちょっとした変更で簡単にできる間違え防止なら、Twitter みたいに、薬品名の前に 「アイコン」をくっつけるだけでもずいぶん違うだろうし、トイザらス方式で、 「サクしゾン」と「サクシン」でも、少しは効果があると思う。目がちかちかするだろうけれど、 「し」のフォントを赤にすれば、システムの変更しなくても、似たようなミスは減らせる。

医師の仕事から処方を追放する

最終的に目指すべき場所というのは、医師の仕事から「処方」を追放することなんだと思う。

すべての治療がマニュアル化できれば、たとえば「急性呼吸不全」なんて暫定的な診断が下されたとき、 医師は処方箋を書く必要もなく、薬局から「急性呼吸不全セット」のお薬詰め合わせが上がってくるようなやりかた。

現場の仕事から創造性が消えるから、恐らくみんな反対するだろうけれど、「創造」の余地がなくなれば、 そこからミスが創造されることもなくなる。

自分が研修していた病院では、「1 年生が使える薬」、「2 年生になったら使える薬」、 「部長を起こさないと使えない薬」というのが決まっていて、救急外来で当直するとき、 特定の薬が使いたかったら、夜中でも部長をたたき起こさないといけなかった。

恐らくは研修医だけで救急外来を回さざるを得なかった時代の名残なんだろうけれど、 たしかにミスは起きようがなかったし、「恐い」薬を使うときには、必然的に、 研修医には「その薬を使う理由」が説明できないといけなかったから、「人間モード」で 仕事せざるを得なかった。

こういう工夫は素朴すぎて、「IT 」みたいなハイカラなやりかたが好きな人は笑うんだけれど、 もう少し見直されてもいいと思う。