現場の能力を「上」が把握するのは難しい

来年度の研修医がますます減りそうで、県内にある基幹病院の先生が、大学のことを憂慮していた。

来年度の研修医を獲得するために、大学は、たしかに多様な研修プログラムを準備しているみたいで、 たしかに大学の「上」にいる人達は、成果を見込んだ努力を行っているように見えるけれど、 外野から見たそのプログラムは、今の大学に残っている「現場」の力で運用するのは困難で、 たぶん計画倒れに終わってしまうだろうと。

大雑把に「上」と「現場」という言葉を使うと、「現場」が実際にどれだけの能力を持っているのか、 「上」が計画を立てたとして、「現場」は果たしてそれを実行できるのか、どれだけ詳細な報告を 上げたところで、「上」がそれを予測するのは、今も昔もやっぱり難しい。

医療の「現場」力

たとえば自分は「循環器内科」ということになっているけれど、今の病院にはカテ室がない。 心電図を読んだり、心不全の患者さんを診ることはできるけれど、心筋梗塞の患者さんとか、 専門的な治療が必要な患者さんについては、本格的な治療ができる施設にお願いしないと回らない。

心臓専門のセンター病院にしてからが、たしかに100人近い医師を擁してはいるけれど、 その中には外科医が居たり、不整脈の専門家とか、集中治療の専門家とか、 いろんな分野の人もいるし、すごいベテランから研修医まで、個人の能力は一定しない。

県にいる「上」の人達が、たとえば県内の「心筋梗塞を治療する能力」を把握しようとしたら、 それはたぶん、とんでもなく大変な作業になる。

医師の実数はつかめるだろうし、どの医師が、どんな専門を名乗っているのかも分る。 医師の経験年次だとか、病院内での役職だってすぐ分るけれど、いくら詳細に調べても、 そこからは「現場の能力」みたいなものは見えてこない。彼らはまた、県内のカテ室の総数だとか、 設備を把握することもできるだろうけれど、うちの病院の近くには、 稼働しなくなって久しいカテ室を持った病院が、少なくとも2ヶ所ある。

「上」の人達はだから、能力というものを、「結果」でしか把握できない。たとえばうちの県で、 年間1000人の心筋梗塞治療が行われたとしたならば、その年には少なくとも、「1000人分」の 能力は証明されたことになる。ところがこれが「500人」に落ちたとして、本当のところ何が起きたのか、 たぶん「上」には分らない。

状況把握の対象を、「お産」だとか「救急」だとか、範囲を広く設定すればするほどに、 恐らくは「上」が把握している能力と、現場が実際に持っている能力と、 お互いの数字はかけ離れていく。

「員数」と「実数」のこと

日本の軍隊には「員数」という考えかたがあって、「この場所にはこれだけの員数があってしかるべき」 なんて上が定義すると、それはもう、「それだけの数がいる」ことにされて計画が進んで、 現場には兵隊なんていないのに、員数上は規定数存在していたから、 無茶な計画が押しつけられては、現場は敗北を重ねたんだという。

第二次世界大戦当時、日本の首相だった東条英機には、ミッドウェイ海戦での敗北が、 すぐには伝えられなかったのだ。 海外に遠征した陸軍が敗北を繰り返す報告が上がってくる中、「連合艦隊はいったい何をしている」なんて東條が憤ると、 まわりの人から「ミッドウェイでとっくに沈んでます」なんて進言されて、絶句したんだという。

このあたりは「海軍将校某の陰謀だ」とか、「実際にはそんなことはなかった」だとか、 諸説入り乱れているみたいだけれど、実際問題、計画を練る人達だって、現場の能力を把握することは できなかったんだろうなと思う。

戦艦の「能力」一つ見たところで、完成したばっかりの、乗務員の練度だって低い状態だって1 隻だし、 単純に「沈没していない」というだけの、満身創痍の状態だって、書類上は「1」として送られる。 現場はもちろん「大損害を受けた」ことは十分分っているはずだけれど、「大損害だ」と言葉にすれば 簡単な何かを、「上」に伝えるためには数字にしないといけないし、数字になったその時点で、 情報はなくなってしまう。

情報の粒度をいくら細かくしたところで、情報が、「現場」から「上」への方向を 目指したその時点で、一番大切な何かは、やっぱり失われてしまうのだろうなと思う。

米軍には新品の戦車がない

アメリカ軍は、この20年近く、新しい戦車を作っていないのだそうだ。

今動いている戦車は全部「中古品」で、もう新しい戦車は作られない。その代わり、 国内には20平方キロメートルの敷地面積を持った、巨大な「再生工場」が2ヶ所あって、 戦車の再生を恒常的に繰り返しているらしい。

古くなったり、故障した戦車は、一度「解体工場」に送り返されて、部品単位にまでバラバラにされる。 エンジンから装甲版から、全ての部品は修理、再生されて、完全な「新品」の状態になるまで約半年、 そのつど装備のアップデートを受けて、また現場に戻される。

米軍の戦車は、だから中古品でありながら、それは何年経っても「新品」であって、 恐らくはそれ故に、米軍の「上」の人達が「戦車が10台ある」というレポートを読んだときの認識と、 現場の感覚として「戦車10台分戦える」という感覚と、日本軍の「員数主義」に比べれば、 その乖離は少ないんだろうなと思う。

「再生工場」を維持するのは大変で、米国以外の国には存在しないらしいし、 日本を含んだ他の国では、作った戦車は「作りっぱなし」で、書類上は「10台」と記載されていたところで、 いざというとき、果たして何台分戦える能力を現場が持っているのか、恐らくはその時になってもなお、 「上」の人達は把握できないんだろうと思う。

現場の把握は難しい

医師の人数を増やしたところで、現場の戦力がどう動くのかなんて、「上」の人達には把握できない。 今までの「作りっぱなし」のやりかたを繰り返す限りにおいては、 現場が持つべき能力を「上」が統治することなんて、不可能なんだと思う。

恐らくは米軍にしてからが、「上」の人達が「現場と情報の対応」に失敗して、 たぶん何度も大きな犠牲を払った結果として、こんな「再生工場」に行き着いたのだろうし、 ならば医療の現場で「再生工場」めいたものをどう作ればいいのか、 現場からはちょっと想像つかない。

「上」と「現場」とを上手にすりあわせる構造をひねり出すか、 そもそも「把握」それ自体が要らない仕組みを考え出すか。

員数主義貫いても、現場全滅するだけだと思う。