治癒イメージの描きかた

研修医の頃、重篤脳梗塞の患者さんを受け持った。上司に「どうしますか?」なんて治療の方針を尋ねたら、 「立派な寝たきり老人にして返す」という返答をいただいた。

あれからいろんな上司に「どうしますか?」を訪ねたけれど、科によって、その人の性格によって、 返ってくる答えは様々。すごい返答。熱い返答。誠意のない返答。答えはいろいろだったけれど、 「どう」の中に入るのは、みんな行為のイメージ。患者さんの治癒という、 結果をイメージしながら戦略を考える人は、やっぱり少ない印象。

みんな精霊さんを信じてる

みんなたぶん、どこかできっと、「精霊」の存在を信じてる。主治医の努力をどこかで見ていて、 超常の力を発揮して、受け持ち患者さんに治癒をもたらす精霊。

外科医はみんな、悪そうなところを全部とったら、あとは精霊さんが何とかしてくれると信じてるし、 麻酔科の人達は、血圧とか脈拍とか、外から見える数字を一定期間、「正しく」保つことに 成功すれば、そこから先は精霊さんの仕事だと割り切ってる節がある。

内科はたぶん、病気を直すのに「いいこと」を重ねた先に、治癒があると信じてる。 患者さんが向かう先はわからないけれど、とにかく「いい」を重ね続ければ、 きっと精霊さんが導いてくれるみたいな。

その患者さんが退院するときの姿、ゴールを想定して何かやる人は、たぶん今でも少ない気がする。

最近よく流れる医療崩壊を特集するテレビ番組で、ベテランの先生がインタビューに答えてた。 患者さんのことを、もっと診て「あげたいんだけれど」なんて上から目線。自分がやってることは 「いいこと」だと心から信じて疑わない、精霊さんに取り憑かれた人の立ち位置だと思った。

借金取りは絵を描かせる

借金を取り立てる人たちは、債務者の支払い能力を評価するとき、 その人に「絵を描かせる」のだという。

「絵」というのは要するに、「借金を全部返済して自由になった自分」のイメージを描く能力。

絵を描ける人、たとえば「まだ親戚からいくらか借りる当てがある。親を説得して、 実家の土地を担保に当面の利子分を支払うから、その間に何かお金になる仕事を 世話してくれれば、6年間で何とか元本だけは返せると思います」なんて返答が できる人は、そんな言葉がたとえ口から出任せであったのだとしても、 まだ見込みがあるんだという。

絵を描く能力がない人、嘘つくこともできなくて、「どうしていいのかわかりません」なんて人は、 もう生命保険で支払ってもらうぐらいしか、出来ることはないんだとか。

高齢で体力もなくて、重症度の高い患者さんが入院するときは、「絵」をイメージできないと、 もう絶対退院できない。「いいこと」を続けると、その人は少しだけ持ち直すんだけれど、 「いい」をいくら重ねたところで、基礎体力のない人は、やっぱり治癒まで持って行けない。

患者さんのご家族はもちろん、こんな時、「入院する前の元気だった頃」が治癒イメージになっているから、 そこまで行かないうちは「治癒」とは認めてくれない。

医師が「絵」を書くことに失敗して、到達できない目標目指して、ひたすら「いいこと」を重ねる状況は 結構あって、公立病院の奥のほうなんかに、もう何年も入院している人が時々潜んでる。

もっと妄想を語ったほうがいいと思う

高齢の人が入院したときとか、その人がもともとどれだけ元気だったとしても、 その人はやっぱり「悪く」なる。筋力は落ちるし、下手をすると身内の顔もわからなくなる。 回復が「不十分」と判定されたら、身内はもちろん引き取らないし、 施設を探そうにも、今はどこもいっぱいだから、待ち時間数ヶ月とか珍しくない。

患者さんの体格とか筋肉量、病気の重篤度とか、あと身内の人たちと患者さんとのおしゃべりとか、 そんなものを見るだけで、いろんなことを妄想する。

入院当初は、にこにこ元気に歩いて帰る患者さんのイメージというのは浮かばなくて、 むしろ病棟で転棟して寝たきりになっているイメージとか、その非を責められて、身内から 詰め寄られる自分のイメージとか、退院を切り出してもご家族が黙ってしまって、 ものすごく嫌な空気になった面談室のイメージとか、ろくでもない妄想が浮かぶ。

こんなイメージは、そもそも治療には無関係だし、イメージの出来は予後を左右しないけれど、 浮かんだイメージというものは、出来ればなるべく早いうちに、病棟スタッフとか、患者さんのご家族と共有したほうが いいような気がしている。この数年間は、当たり障りのない範囲で、自分の妄想をご家族と 共有するやりかたをしているけれど、案外何とかなっている。

患者さんが落ち着いてくれば、もちろんイメージはどんどん変わる。無限に多様化した悪いイメージは、 病気の軽快とともに少しずつ「よく」なって、特定の退院イメージに向かって収斂していく。

入院当初のお話は、だから悪いイメージばっかり。それで「こいつは無能だ」と判断されたらそれまでだけれど、 生じうる可能性をあらかじめ共有できると、万が一の急変があったときでも、そのときのイメージがみんなに 「キャッシュ」されて残っているので、後の対処がすごく楽になる。

治癒イメージの静的生成

現場が長いベテランは、患者が急変しても慌てない。部長以外の誰もが「もうこれは死んだな…」とあきらめるような 状況であっても、ベテランは、祈る代わりにわずかでも時間を稼げる治療手段を探し出して、作り出した時間で 目の前の問題を解決し、わずかな前進を積み重ねて、患者さんを力技で治癒へと導く。

あの状況で、どうしてそういう対処が出来るのか尋ねると、 「あの状況なら、まだまだこういう解決手段があると分かっていたから冷静でいられた」なんて、 その場でやらなかったいくつもの解決戦略を教えてくれる。

その人が状況ごとに作り出せる「キャッシュファイル」の量それ自体が、 鉄火場を乗り切るための体力として効いてくるんだと思う。

4月をまたいで、地域の基幹病院の人員構成が少し変わった。専門科の数は増えたんだけれど、 各々の科に所属している先生の数は少なくなって、科によっては「一人」とか。こうなるともう 入院患者さんは診られない。

医師一人が持っている治癒イメージの量には上限があるから、 人が減ってしまうと、急変の可能性がある人には対処できない。 がんセンターみたいな本当の専門施設には、だから「心身共に健康な肺がん患者」とか、 極めて厳格な適応満たした人じゃないと入院できなかったりとか、時々すごく矛盾したことが起きる。

自分が今いる施設なんか、一般外科と一般内科しかいないのに、最近はパーキンソン病とか、 胸部大動脈瘤とか、明らかに専門家が診るべき疾患を持った患者さんが、「よろしくお願いします」なんて 紹介される。

ローテーション研修制度は、技術は教えるけれど、イメージの描きかたなんて教えない。専門医全盛になって、 医師の専門分野はますます細かくなるけれど、細かくなるほどに経験の多様性は少なくなって、 治癒イメージのキャッシュファイルは作りにくくなる。

医師の能力が十分に高ければ、あるいはイメージなんて動的に生成できるのかもしれないけれど、 あらかじめ作ってあるイメージ呼び出すのに比べると、動的生成はいかにも不安定。

MovableType のバージョンを上げた。「再構築が速くできます」なんて言葉に魅力を感じて、 「すべてのファイルを動的に生成する」オプションにチェックを入れたら、過去ログが吹き飛んだ。

動的生成はあきらめて、すべてのファイルを静的HTMLで保存して、旧blog は更新を止めた。