クレーム対処について

クレームに正しく対処するためには、そのクレームに対して「正しく恐れる」ことが大切になる。

恐れかたは、少なすぎても、多すぎても、トラブルを生む。正統なクレームに「毅然とした対処」を行うことはトラブルを生むけれど、ちょっとしたクレームに対して大きすぎる反応を返すこともまた、同じぐらいに間違っている。クレームを恐れることは大切だけれど、必要な大きさだけ正しく恐れて、恐れた大きさに見合った対処を行わなくてはいけない。

不快には種類がある

同じ不快の表明であっても、それが主治医の人格や、病院での接遇に対する不快なのか、あるいは医師の技量や治療方針に対する不快なのかで、対応は異なってくる。

人格や接遇に対する不快が表明された場合には、まずはその不快に対して謝意を表明しないといけない。不快に対して最小限の妥協を遅滞なく行った後、「その状況を維持します」と表明するのが正しい対処になる。不快を突っぱねれば間違いなくトラブルになるし、こうした不快に対して大きく反応しすぎると、今度は治療ができなくなってしまう。

医師の技量や、治療の方針に対する不快が表明された場合には、一切の妥協してはいけない。病院は常に「ベストを尽くしている」ことが前提であって、ここで妥協を表明することは、病院側が「ベストを尽くしていなかった」と受け止められてしまう。病院側は常にベストを尽くしており、それに対して不快や不安が表明されたのなら、その人と交渉を続けることは間違いなくトラブルに結びつく。治療に対する不快が表明された際には、速やかに他の施設を当たってもらうように誘導しなくてはいけない。

病状の説明や、病気それ自体に関する説明は、丁寧に行わなくてはいけない。病気自体に関する説明は、それがどれだけ面倒であっても必ず有限で、丁寧に対処すればいつか終わる。際限もなく終わらない可能性にいらだってしまうと、相手を不快にしてしまう。たとえば肺炎の患者さんを5人受け持てば、肺炎の話を5回繰り返すことになるけれど、これは我慢して同じ話を丁寧に繰り返さなくてはいけない。

何らかの譲歩を求めて、「とりあえず不快を表明する」タイプの人は難しい。不満が無くても瑕疵を探索するし、瑕疵を見つければ譲歩を求める。どこに突っ込まれるのか予測できない。譲歩を求める相手に対して心がけることは、一刻も早い「妥協の表明」になる。「特別扱いしろ」という相手に対して、「特別扱いをさせていただきます」と速やかに表明してみせなくてはいけない。ごくわずかだけ下がってみせることで、相手の瑕疵追求の意志が和らぐ。下がりながら応対して、その後また元の場所に戻る。下がり続けてはいけない。追い詰められてしまう。

知らないことには「知らない」と返答する

自分の施設ではやっていない、あるいは不得意な治療について、患者さんやご家族から「この治療はできないのですか?」と問われた場合には、「できません」と答えなくてはいけない。「それはよくない治療法です」とか、「やってやれないことはありません」といった答えかたは危ない。

やっていないことに詳しい人は少ない。詳しくないことに対して、主治医が「専門家の言葉」としてあやふやな感想を述べてしまうと、言葉が一人歩きをはじめてしまう。もしも何かのトラブルに巻き込まれてしまうと、そうしたあやふやな感想が、「あの病院は患者を囲い込んで治療機会を奪った」といったトラブルの種になってしまう。

西洋医学の範囲を超えた、民間療法を強く希望する患者さんと話すときにも、注意すべきことは変わらない。自身がどれだけ西洋医学に詳しくても、対峙する民間療法がどれだけいい加減なものに見えても、知らないことに対して、白衣を着た人間があやふやな感想を述べてしまうと、将来的にトラブルを招く。「自分はそれに対してこう考える」を述べる際には、「これは個人としての感想ですが」のような前置きを入れて、医師としての立場を明示的に遮断してから「こうだと思います」を表明しなくてはいけない。

リスクは近くで対処する

相手を怖いと感覚した人間は、相手に「恐ろしさに見合った賢明さ」を期待してしまう。それがトラブルの種を生む。

原因がよく分からない患者さんを診療した主治医は、分からないその状況を、恐ろしいと感じる。「恐ろしいから」入院の決断をためらって、「患者さんは具合が悪くなったらまた病院に来てくれるだろう」と、具合の悪い相手にある種の賢明さを期待する。結果として患者さんは、「専門家である主治医」から帰宅を指示されて、専門家の言葉を信じて、状態が悪くなるまで自宅で我慢してしまう。

口うるさい患者さんのご家族が来院したときなどは、「あの人と喋るのは、資料がちゃんと揃った後日にしよう」という思いが頭をよぎる。口うるさいご家族は、同時にたぶん、もっとも大きな不安を抱えた人でもあって、不安に対する対処を怠った結果として、取り返しのつかないトラブルを招くことがある。

主治医が厄介な状況を感覚したそのときに、主治医の感覚はすでにいびつになっている。危ないと感覚したそのときには、だからむしろ危ない何かに近寄る態度で対処を行うと上手くいく。

知識は大切

シューティングゲームの攻略講座では、画面を埋め尽くす無数の敵弾を、奇数弾、偶数弾、固定弾、ランダム弾といった分類を行って、それぞれに対する対処が解説される。

弾幕を生き延びるためには、弾の種類をきちんと見分けることが大切になる。反射神経や動体視力に劣った人であっても、弾幕の種類をきちんと見分けることで、どれだけ派手な弾幕であっても、その中で注意を払うべき敵の弾は、実はそんなに多くないことに気がつくことができるようになる。

画面を埋め尽くす派手な弾幕に惑って、大きく避けてしまうと、壁際に追い詰められて自滅する。画面を埋め尽くす弾幕の中から、見るべき敵弾だけに注意を絞ることで、取るべき行動は自然に決まる。

相手の表明した不快がどんなものに属し、それがどんな性質を持つものなのか、理解して対応することで、極めて大きく恐ろしげに見えたクレームは、正味の大きさは決して大きなものではないことが分かる。

クレーム対処の名人は、相手を言い負かすようなことはしない。さっさと謝り、頭を下げつつ、その実その人の居場所や立場はあまり変わらない。名人のゲームリプレイ動画は、敵弾が自機だけを避けているかのように見え、自機はほとんど動かない。大きな敵が画面に入ると、弾を増やす前に倒されて、名人の画面には、案外弾数か少なくなったりもする。同じことなのだろうと思う。