陰謀論と理解

子供の頃、テレビや漫画で描写される政治家の姿はといえば、「馬鹿」であったり「無能」であったり「金の亡者」であったり、いずれにしてもろくなイメージではなかったような気がする。何もできない子供だったくせに、政治家をどこか「見下して」いたものだから、ニュースで何が報じられても「そんなもんだ」とばかりに、そもそも政治報道に興味が持てなかった。

最近のニュース、特にネットのそれは、ずいぶんと政治報道が増えた。政治家のありとあらゆる振る舞いが報じられては、「あれは○○国を利する陰謀だ」とか、けっこう若い人が盛り上がってる。昔はネットがなかったものだから、そもそも体験の比較に意味がないのだけれど、「若い人たちが政治の話をしている」この状況そのものが、個人的には世の中がずいぶん変わったな、という感覚につながっている。

見下すことの意味

「相手を見下す」のは悪いことだけれど、肯定的な効果もあるのではないかと思う。

相手を見下して、最初から期待値を下げてかかると、至らない成果を見ても「所詮こんなもの」と思える。当初抱いていた期待と、できあがってきた「こんなもの」との間に乖離は少なく、結果としてそのことが、後ろ向きな信頼を生む。

相手に対する期待値が必要以上に高まった状況で、期待を下回る成果を目にした人は、その原因を相手の無能に求めず、何らかの陰謀に求めてしまう。相手の仕事や能力、職業の専門性に対する理解がない場合に、こうした傾向は強くなる。

田中角栄も中国の手先みたいな言われかたをされていたし、恐らくは国会議員なら、誰だってそうしたつながりから自由ではいられないのだろうけれど、今の民主党政治家みたいに、ここまで声高に陰謀が叫ばれたケースはなかったのではないかと思う。昔はネットがなかったと言われればそれまでとはいえ、こうした傾向は、成果が無惨であったこと以外に、そもそもの期待値が高すぎたことに原因があったのだろうと思う。

見下すのにはエネルギーがいる

陰謀は、期待のギャップを埋めようとして生み出される。相手を見下していれば、最初から期待のギャップが発生しにくいから、陰謀が生まれる余地をそれだけ少なくできる。

相手を見下すことは、その代わりけっこう難しい。

「政治家は馬鹿ばっかりだ」なんて口にするのは簡単だけれど、たとえば本物の国会議員が目の前に座った状況で、「こいつは馬鹿だ」と心の中でつぶやくのにはとんでもないエネルギーがいる。相手の顔を知り、距離を縮めるほどに、見下すことは難しくなっていく。

多くの人は、たぶん知らない誰かを見下すのにエネルギーを使う。高い期待と、期待を下回った成果と、そのギャップを埋めるのに「あいつは無能だった」と思うのと、「自分が知らない陰謀が働いている」と思うのと、たぶん後者のほうが消費するエネルギーが少なくて済む。陰謀論は無知だから生じるのではなく、そのほうが楽だから生み出される、遠回しな現状肯定なのだろうと思う。

いい人が陰謀を選択する

知らない人を見下すのは難しい。期待のギャップを前にした人は、見下せないから陰謀を選択することになる。

陰謀を選択する人は、社会ではむしろ「いい人」であって、万事に丸く、理性的で、喧嘩に遠いような人ほど陰謀論に毒されやすい。暑苦しく押しつけがましい、誰に対しても高圧的で、他人の意見に耳など貸さない人は、期待のギャップを前にしても、「これをやったやつは無能だな」なんて笑い飛ばして、さっさと次の話題を探しにでかける。

知識はむしろ、陰謀論を近づける。

「見下す」という動作は、相手をまずは自分の高さまで降ろして、さらにそこから下に押しつけないといけない。自身に対する期待値の低い人は見下すことが困難で、知識がありすぎる人というのは、知識の量が自身の期待値を下げた結果として、相手を見下せなくなってしまう。

勉強しすぎた人は、知識の絶対量にこそ自信を持っているかもしれないけれど、様々な分野の最高と対峙した結果として、正味の自分に対する期待値を下げてしまう。陰謀は、無知だから選択されるのではなく、相手を見下せない代償として選択される。知識の絶対量は、恐らくは陰謀を遠ざける役には立たないし、もしかしたら状況を悪くする。

理解は人を自由にする

「ある問題を解決するためにできること」を学ぶのが知識の習得であって、「ある問題をそれ以上悪くしないためにやってはいけないこと」を知ることで、ようやく理解に到達できる。

知識はしばしば人を不自由にする。相手の仕事に必要な知識を学んだ人は、当の専門家がどうしてそれをしないのか、ギャップを前に、陰謀を近づけてしまう。相手を理解することは、「あなたは案外不自由なんですね」という感想にたどり着く。結果として生まれた関係は、お互いから陰謀論を遠ざける。

知識を重ねて、どうすればそこから理解に到達できるのか。大昔、「研修医の促成栽培」というテーマにいろんな人たちが挑んだ結果として、結局近道はなかったのだけれど。