電子カルテをネットワーク化してほしい

個人情報の問題が大きすぎるから実現は難しいけれど、 やっぱりいつかは、電子カルテをネットワーク化して、医師同士、あるいは 患者さんが、いろんなカルテを相互に参照できるようになってほしいなと思う。

思考を拡大する道具としてのコンピューター

「知的生産の技術」以降、ジャーナリストであったり研究者であったり、様々な人達が、 情報を整理したり、並べ替えたりするやりかたを工夫しあって、そうした人達は当然のように、 真っ先にコンピューターを取り入れた。

それが書斎に入ってきた当初、コンピューターは、単なる便利な計算機か、 せいぜい「清書」の道具以上のものにはなり得なかった。ハイパーカードだとか、 データベースソフトだとか、たしかにそれが「便利だ」と喧伝されたこともあったけれど、 結局のところ入力があまりにも大変で、昔ながらの「カード」と「システム手帳」に 回帰した人が多かったように思う。

知的生産は、あくまでもノートやカードを使って行うものの延長だった。 コンピューターの出現それ自体が、人の考えかたを大きく変えることはなかったし、それが求められたこともなかった。

ネットワークでパソコン同士がつながって、どこかのタイミングで、何かが劇的に変化した。

もしかしたら速い人は「パソコン通信」時代からそうだったのかもしれないし、 自分なんかは、掲示板文化だとか、メーリングリストの時代を経てもなお、 「袋ファイルとシステム手帳」を使っていたけれど、いずれにしても、今は変わった。

自分でない誰かの思考を、自分の考えかたに援用するやりかたは、いつの頃 からだか当たり前になって、今ではもう、昔のやりかたなんて思い出せない。

ネットワーク化することで、パソコンには「人の認知を拡大する道具」としての意味が生まれた。

電子カルテのこと

今使われている電子カルテは、もちろんネットワーク化が為されていなくて、 病院の中でこそ、お互いのカルテを閲覧できるけれど、 「テレビによく出る○○先生はどんなカルテを書いてるんだろう」とか、 調べられないし、そんな機能は最初から想定されていない。

病院における電子カルテは、だから「ネットワーク」時代以前のパソコンそのままで、 それはたしかに優秀な「清書」を行ってくれる道具ではあるけれど、職場は何も変わらない。 あれだけの計算能力を持った機械が病棟に何台も入ってきたのに、 病院で行われている知的生産のやりかたは、自分が研修した10年前と、 何一つ変わっていない。

計算機の能力は上がったし、電子カルテのソフトだってずいぶん変わったんだろうけれど、 「電子カルテ以前」と「以後」と、聞こえてくるのは「仕事が飛躍的に面倒になった」なんて感想ばっかり。

近所の基幹病院は、昨年から大規模にコンピューターネットワークを整備して、完全な電子化を果たした。

近隣病院で撮影したレントゲンフィルムを読むことすらできなくなって、外来医師はキーボード入力に 忙殺されて、どう頑張っても20人以上の患者さんを診察できなくなったんだという。

やっぱりblog にしてほしい

今ある電子カルテは、単純な「清書」の道具であったり、 人間がやっていた事務手続きの一部を代替する道具であったり、 それはたしかに便利ではあるけれど、紙カルテでも十分に代替可能で、 文化を変えるだけの力を持つにはまだ足りない。

電子化の恩恵を最大に発揮するためには、やはりネットワーク化は欠かせないし、 それに必要な技術は、もはやすべてそろっている。

電子カルテを「blog」にしてしまえばいいのだと思う。

  • 医師は全員、自分がいる病院のサーバーにblog スペースを与えられて、 自分が担当しているすべての患者について「日記」を書く
  • 患者さんの名前と、診断名の数だけ「タグ」があって、時系列の日記は、タグを通じた並べ替えができる
  • 医師がログインしてカルテblog を書くときには、「患者名」タグは全て平文で表示される
  • blog は外部からの閲覧が可能だけれど、ログインしていない人が読むときには、「タグ」は暗号化されている。 外から見る人は、名前の分からない患者さんに対して、医師が行った診療内容と思考過程、処方した薬が読める
  • 誰か別の医師に自分の患者さんを紹介するときには、当該医師の日記に「トラックバック」を打てば、それが紹介状になる。 紹介状の文面をblog 上に書いておく。トラックバックをもらった相手は、そこから患者さんの紹介状を読んで、 リンクをたどって、その人の画像データや検査データにアクセスできる
  • 紹介の返信であったり、意見なんかは、blogの「コメント欄」を通じて書ける

いろんなメーカーの電子カルテがあるけれど、お互いやりとりするのはテキストデータとリンクだけだから、 画像や検査データの保存形式が異なっていても、恐らくは大丈夫なはず。

こんなやりかたができると、通常の紹介状に比べて圧倒的に多い情報を載せられるし、 相談がクリック一発でできるから、恐らくは紹介とか、相談の閾値が下がる。

患者さんの名前が分からないことを除けば、基本的に全ての情報が公開される。 医師のID とパスワードの一覧が流出した時点でとんでもないことになるのは明らかだけれど、 どうにかして、「ネットワーク化」が為された社会を見てみたい。

「頭がよくならざるを得ない」環境のこと

電子カルテのネットワーク化がもたらす最大の利点というのは、恐らくは全ての医師が 「有能にならざるを得ない」環境が生まれることなのだと思う。

「紹介状書くのに便利」だとか、「気軽に仲間に相談できる」だとか、 ネットワークに何か文章投げて、そこから出てきた反響を使って何か学習しましょう、 というやりかたを期待すると、blog というメディアは、間違いなくその人を裏切る。

反響は学習に寄与しない。人の個性というのは想像以上に個性的で、その人が好む情報は、結局のところは、 自分自身で探しに行って、それを消化吸収しないと役に立たない。

知識だとか、何かいい教科書の抜き書きなんかを紹介していただいたところで、「それだけ」から 何かを生み出せることはほとんど無くて、結局その分野を学習し直したり、 教えていただいた本を自分で買って読んだりしないと、次の文章にはつながらない。

ネットワークの学習効果というのは、お互いのやりとりだとか、反響ではなくて、 ただ単純に「発信する」という行為それ自体に発生する。

自分のために書くメモと、誰かに読んでもらう、外部に発信するための文章とでは、頭の使い方がまるで違ってくる。

誰かに読んでもらうためには、表現のあいまいさは排除されないといけないし、 自分がはっきりと理解していないことは、他人が読んでもつまらない。

何か本を読んで、面白い部分に線を引く。あとからそれを抜き書きしてblog で発信する。 こんな単純なやりかた一つとっても、blog に書くときには、線を引いた文章の語尾を直さないと、 面白い文章として生きてこない。

どんなに面白い文章であっても、それは文脈の中にあってこそ輝いて、単体としての力を保てるものは少ない。 文脈からそれだけを取り出して並べた文章は、なんだか「死んだ」ような、つまらないものになってしまう。 語尾を少しだけ変更する、ただそれだけのことが、その文章の面白さを伝えるためには欠かせなくて、 ほんの数カ所の単語を変えるだけのことなのに、それをやるためには本を読むこと以上に頭を使う。

カルテというのは本来、訴訟にでもならない限り、自分のメモでしかない、ごく個人的なものだったけれど、 全ての医師、あるいは患者さんに「開かれた」状況で書くカルテは、恐らくは今までと同じやりかたではいられない。 恐らく医師は、今まで以上に「頭を使って」、有能な状態を維持したままカルテを書かざるを得なくなる。 最低限、医師は自分が行っている行為の根拠を知っていないといけないし、「面白い」カルテを書くためには、 その分野のことを相当深く理解していないといけない。

個人情報保護の技術が難しそうだし、「ネットワークカルテ」の機能それ自体は、今行われている blog メディアと何も変わらない、新味のないものになってしまうけれど、 「みんなに読まれる」が当たり前になることの、学習へ寄与する効果は、もっと取り上げられてもいいように思う。

「カルテがつながる」と、全ての医師に対して、「頭がよくなる」ことを強制する環境が出現する。

すごく面白いことがおきるはず。