講習会覚え書き

最近参加した、某講習会での感想。新しいことを教えてくれる講習会というよりも、ある程度知っていたことを整理して、ひとかたまりの知識として提供してくれるようなものだった。有償。

スライド棒読みはそこそこ満足できる

  • 研究発表よりも資格講座に近い講習会だったから、スライドは教科書の抜粋で、その分野の参考書も、講習会で使われたパワーポイントも、ハンドアウトとしてあらかじめもらうことができた。その結果として、講習会は「パワーポイントの朗読」に近い形式になってしまうことになったけれど、それでも案外、「何かを聞いた」という満足感が得られた
  • スティーブジョブズのプレゼンテーションは、あれは全く新しい何かを予告無しに紹介するという、プレゼンテーションとしてはむしろ特殊な状況であって、講習会みたいな場所で、ジョブズと同じことをやろうものなら、たぶんメモ取りが追いつかなくなる。プレゼンテーションの話者が場を上手に盛り上げるほどに、頭に残る知識は減ってしまうのではないかと思う。そういう意味では、パワーポイントを朗読するようなやりかたは、必ずしも悪い例ではなく、ある程度確実な効果が期待できる次善の策として、十分に通用するのではないかと思った
  • ジョブズのやりかたは、それでも参考になるのではないかと思えた。慣れている演者の先生は、演壇から自分たちの側に歩み寄りつつ、スライドを見ないで、スライドの内容を言葉で伝えた。話されている内容こそ、ハンドアウトに書かれた内容をそのままなぞっていたけれど、それがいかにも上手に見えた。同じような「朗読」であっても、スライドの文字をレーザーポインターで追いながら文章を読む演者の講演は、いかにも朗読しているように見えて、演者の立ち居振る舞いは、印象をずいぶん変えた

脱線にもやりかたがある

  • 自分たちが普段学んだり、あるいは実際に利用したりする診療ガイドラインは、必ずしも現場でそのまま使えるものだとは限らないし、その内容に賛成する立場の人もいれば、反対する立場の人もいる。演者の先生がガイドラインを伝える講演を行った際にも、その演者は、必ずしもガイドラインの立場に賛成しているとは限らない
  • 伝えるべき内容と、演者の立ち位置とは、異なっていても全くかまわないはずなのだけれど、けっこう戸惑った。「私はこの勧告にはあまり賛成できません」という前置きを置いてから、講習テキストに対して少し批判的な立ち位置で講演を行った先生がいて、話それ自体は熱意があって上手だったのに、聞く側としては、せっかく何万円ものお金を支払って購入した教科書を、買ったその場で批判されているような気分が残って、最後までそれがぬぐえなかった
  • このあたり、「有償/無償」が印象を微妙に左右しているのではないかと思った。お金を支払って購入したものは、それが自分の判断かどうかはともかく、自分にとって価値のあるものになる。それに対して批判したり、あるいはその教科書から脱線しようと思うのならば、演者は逆に、その教科書に賛成している人以上に、教科書の論理に通じていないと厳しいような気がした。教科書の論理や、それを書いた人の意図するところを肯定的に紹介して、初めてそこから、脱線が聴衆に対する面白さとして効果を発揮してくれる。最初から脱線前提、本筋は各自勉強、という立ち位置は、特に有償の講習会の場合には厳しい印象を持った

経験の提示は難しい

  • 大筋はパワーポイントスライドの朗読、その隙間を補完する形で、たとえば箇条書き形式の病名を紹介する際に、ちょっとした経験談を挟み込んだりするだけで、講習会の満足度はずいぶん上がる気がした
  • その代わり、ちょっとした経験談が、スライドの流れと離れてしまうと、講習の印象がずいぶん変わってしまう。講習会だから、聞く側はメモを取りながらスライドを見ることになるのだけれど、演者の先生がたの経験談には、たまに「どこにメモを書いていいのか分からない話」が出てきて、それがどれだけ面白い逸話であっても、なんだか流れが切られたような印象を生む
  • 特に「例外の提示」が難しいのではないかと思った。大筋の流れがあって、「実際にはこんなふうに実践されているようです」と具体例を提示する分には、経験提示は話を盛り上げ、聞く側をお得な気分にしてくれる。逆に「こういう例外を経験したことがあります。気をつけて下さい」という体験談は、演者が提示した経験がごくまれな例外なのか、それとも今学んでいるガイドライン自体が穴だらけで信用ならないものなのか、例外の提示だけでは判断できない
  • 例外の経験を提示する際には、たとえば「このガイドラインが想定している疾患に、こうした症状が加わった際にはこんな例外を想像したほうがいい。当院でも2年に1回程度ある」だとか、あるいは「ガイドラインの流れで9割以上の疾患については網羅されているものの、残りの可能性として以下の疾患を考慮しなくてはいけない」だとか、呈示された症例と、講習会を通じて学ぶ一般的な傾向との間に、何らかの橋渡しがあるとありがたい
  • 症例は症例、一般的な傾向は、あくまでも統計的に検証されなくてはいけないもので、ここを安易に「橋渡しする」ことは、マスメディアがよくやらかしては叩かれるやりかたそのままなのだけれど、聞くことしかできない側としては、橋渡しをされて、初めてたぶん、講習会の流れの中で、自分が今聞いた体験談の居場所が定まる。知識の置き場所なんて自分で決めるのが筋なのかもしれないけれど、講習会というものそれ自体、ある程度見知った知識に新しい置き場所を与えるための場なのだから、演者の側に過剰なぐらいのサービス精神がないと、聞く側は案外、物足りなく思う

まとめ

  • 講習会の品質というものには、たぶん「面白さ」と「伝わりやすさ」という側面がそれぞれあって、面白い話は必ずしも伝わりやすさを生まないし、スライドをただ朗読するだけの、面白さを捨てたようなやりかたが、それでも案外伝わりやすくて、聞く側の満足度もそこそこ高かったりもする
  • 伝わりやすさを高めていく際には、知識の居場所をきちんと定めて、聞き手を混乱させないことが大切になる。ひたすら朗読するだけのやりかたは、たとえつまらなくても混乱の余地が発生しないし、脱線したり、あるいは例外経験を挟んだりするやりかたは、面白さを増すための方法としては効果が期待できる反面、もしかしたら伝わりやすさを減じてしまう危険がある
  • 笑いどころではきちんと笑い声を挟んだり、芸人が脱線しても司会者が必ず流れを元に戻す、バラエティ番組のあのぬるい空気は、尖っていない代わり、とても分かりやすい。あれをそのまままねするのは少し違うけれど、「面白い講習会にしよう」という意気込みは、必ずしも「いい講習会」にはつながらないのではないかと思えた