動作に最適なデザインのこと

オリンパスの新しい内視鏡セットが届いた。ディスプレイがすべて液晶画面になって、 内視鏡の光源とか、制御システムなんかも小型に、使いやすくなった製品。

今度のバージョンは、ディスプレイも、入力用のキーボードも、すべて3関節あるアームを介して、 空中に浮かんでいる構造。術者の姿勢にあわせて、あるいは共同作業する助手のポジションにあわせて、 ディスプレイやキーボードの位置は、3次元的に自由に変えられる。

理不尽な「片持ち」デザイン

使いやすくて便利になったその代わり、新しい内視鏡セットは、構造的に相当無理をしている印象。

古い世代の見た目は「タンス」。本棚みたいに箱を組んだ上にディスプレイが乗っていて、キーボードや 内視鏡を懸けておくための台なんかは、すべて「箱」に接続されていた。壁が箱を作って、 機械の重量は、壁全体で支える構造。

構造は頑丈で理にかなっていて、たしかに自由度は少なかったけれど、 人がそれに合わせさえすれば、この10年ぐらい、不自由なく使えていた。

新しい世代は、すべての荷重を背の柱だけで支える構造。4つの車輪を持った台車があって、 その一番端から太い柱が立てられて、ディスプレイもキーボードも、すべてそこから1m 近い長さのアームを介して、 空中に浮かんでいる。機械を格納するための棚板も、すべて柱からの「片持ち」で 支えられている。あらゆる荷重が、「てこの原理」を介して増強されて、柱にかかる、不安定な構造。

もちろんお金に糸目をつけない医療用の器具だから、実物は極めてがっちりと組まれてて、 片持ちの棚板に体重をかけたぐらいではびくともしない。ディスプレイもキーボードも、 関節を固定してしまえば、まるで机の上で作業しているかのように頑丈なんだけれど。

「壁」を失って得られたもの

無理な構造には、たぶん多くのメリットがある。

ディスプレイもキーボードも自由に動かせるから、術者の姿勢には無理がないし、 人間が「機械にあわせて」何かする必要がほとんどない。棚板も片持ちで、それを支える「壁」に相当する パーツがないから、配線に何かトラブルがあったときなんかも、すぐに機械の裏側に手が入る。

「壁を持たない」片持ち構造は、たぶん人間から無理な仕事を減らしてくれる。

人間の手は、肩を中心に、円を描くように動く。何も考えないで手を伸ばすとき、 手は直線運動をしないで、「弧を描く」ように動く。箱形の、タンスのような構造物は、 こんなとき、自然な動作を邪魔してしまう。

片持ちの棚板には、よけるべき壁が存在しない。机の上に置いてあるものを取るのと同じ感覚で、 何も考えないで手を伸ばせば、必要な道具に手が届く。

「タンス」と「片持ち」が生み出す差異というのはごくわずかなもので、今の時点ではそれが すばらしいとは実感できないんだけれど、今の機械を何年間か使い続けてから、もう一度「タンス」に 戻ったとき、もしかしたらすごく不便に感じることができるのかもしれない。

動作最適と構造最適

理想的な構造と、理想的な機能とは、とくにその構造物に対して人間が関わるときには、 必ずしも両立しない。

今度バージョンアップされた機械というのは、構造的には明らかに「後退」していて、 無理な構造を、やたらと強力なパーツで固めて、問題を理不尽に解決しているデザイン。 おそらくそんな理不尽さと引き替えに、ユーザーは自然な動作を購入することができたはず。

背中側に「柱」をおいて、すべてのパーツを、そこから片持ちでのばしたアームで支える構造というのは、 要するに脊椎動物と同じ。生き物の形。

人間もまた、手や足は脊椎に接続されているし、内臓や筋肉なんかもまた、 すべて脊椎から「ぶら下がる」ようにして配列されている。腹側に接続されている臓器は存在しないし、 だからこそ手術はほとんど腹側から行うことができて、術者は人体のあらゆる場所に手を入れて、 必要な治療を行うことができる。人体の構造もまた、昆虫みたいな外骨格デザインに比べれば、 構造的に最適とは言い難い部分があるのだろうけれど、その代償としてたぶん、 目に見えない様々な利点がもたらされているはず。

「構造的な理不尽さと引き替えに手に入るものは何なのか?」と自問すると、 なにかおもしろいデザインに結びつけるかもしれない。