曖昧さという対立軸

上司にとって、曖昧な指示は武器になる。

臨機応変に」やってくれだとか、「患者さん第一に現場の判断で」考えろといった指示を出すことで、上司は部下に対して「当たりくじだけ持ってこい」と命じることができてしまう。

あいまいさは便利

成果を厳しく問われない場所ならば、曖昧な指示は武器として役に立つ。無難なくせに内容のない、耳あたりのいい言葉を運用すると、上司は責任を回避しつつ、部下の成果を独り占めできる。

部下の側が曖昧な指示に抵抗しようと思ったら、「自分では無能すぎてこのケースを判断できません」という立ち位置で、全ての判断を上司にゆだねることになる。現場の誰もが無為に立ちすくんで、上司は無能な現場を叱って、組織の空気は悪くなっていくけれど、部下の側が結束している限り、上司はまともな指示を出さざるを得なくなる。

ピラミッド型の組織において、部下の数は上司よりも多い。現場の結束は、「まじめな」誰かの裏切りによって壊されて、「臨機応変に」やれという上司はたいていの場合、その場所に安住できてしまう。

厳密な判断に脆弱性が生まれる

弱い立場の側が、強い立場の誰かに喧嘩を仕掛ける際には、「判断の基準を厳格にして下さい」という方向で攻めるのが有効な手段になってくる。具体的には、あなたの判断は曖昧な根拠に基づいているから信頼できない、もっと厳密な判断の基準を示してほしい、という攻めかたになる。

良い悪いの議論は、水掛け論になってしまう。悪と叩かれた強い立場の人たちが、「私はそれを良いものだと考えています」と表明してしまうと、議論はそこで膠着する。停止のダメージはゼロだから、立場の高低が勝敗を分けて、結果として立場の弱い側は勝てない。

良い悪いという価値軸ではなく、「もっと厳密に」とか、「それは曖昧に過ぎる」という指摘を行うと、水掛け論を回避できる可能性が高まる。「厳密」にしても、「それは見解の相違だ」と返されると厳しいけれど、「根拠を示して下さい」と質問されて、それを無視することは、ダメージを受け入れることにつながる。

曖昧な部分が少ない、厳密な根拠に基づいた判断を行うということは、相手に対して脆弱性をさらけ出すこともつながる。厳密な基準に基づいた判断を貫きます、という立場を表明してしまうと、その人の振る舞いは予測可能なものになってしまう。その人に突きつける証拠を吟味することで、あらかじめ「これ」と定めた結論を言わせることが容易になってくる。

相手の厳密を運用する

「厳密」が、強い立場の側から宣言された段階で、いくつもの攻め手が生まれる。その人が過去に行ってきた判断は、新しい厳密な基準に基づいて検証されることになるし、あるいは逆に、「私たちはこんな証拠を持っています。判断して下さい」と、相手の判断回路を利用して、攻める側に有利な結論をその人の口から言わせることもできてしまう。

医療の業界におけるEBM、証拠に基づいた医療という考えかたは、そういう意味での成功例なのだと思う。医師の側がそれを認めて、「論文で検証されたやりかたを自分の直感よりも優先させよう」と表明して以降、今までは「弱い」立場であった製薬メーカーの人たちは、「こういう論文が出ました。あなたはこの薬を使うべきです」という、広告というよりも命令に近いパンフレットを持ってくるようになって、「証拠」を添えられた薬が販売されれば、現場はそれを使わざるを得なくなった。

判断の厳密性が宣言されてしまうと、議論のルールは大きく変わる。水掛け論で時間切れを狙う勝利戦略は通用しなくなる。立場の高低も事実上失われる。必要なのは証拠の量と資金力で、資本をそこに集中できる側が、ほぼ確実に勝利する。

用意できる資本が少なくても、目的を限定すれば、投資に見合った効果は回収できる。「どんな病気にでも効く」薬の効能を証明するのには莫大な資金がかかるけれど、特定の疾患の、特定の時期にだけ効く薬の効果なら、比較的少ない資金で証明できて、証拠ができたその薬は、特定の場所における必然として使われることになる。

効果をふくらませるのに必要な資本は、たいていは強い側から徴収できる。医療を動かすのもそうだし、役所や大企業を動かす際にも、恐らくは同じやりかたが応用できる。

手続きのコストを考える

武道で技をかけるときに、相手を崩して、柔らかい体を棒のような状態に持って行くのが肝心なんだという。一度相手を固くしてしまえば、あとは崩して投げられるのだと。立場が強い人たちの強みというものも、そうした柔らかさに似ているところがあって、判断から柔軟さを追放できれば、操作はそれだけ容易になっていく。

「厳密なのはいいことだ」という価値軸に反論するのは難しい。柔軟さにあぐらをかいていた側は、一度それが破られてしまうと、どんどん厳密に、厳密な方向に押されてしまう。強かった側は厳密に潰されて、厳密から自由な人たちは、小さく手広くお金を奪っていく。

テレビ局に圧力をかけようと思ったのならば、社会の公器を自認するところから「これを報道する、これを報道しない、の根拠を公開して下さい」という攻めかたをするのがいいのだと思う。判断の根拠が提示されたその段階で、今度は「じゃあ条件に合致したこれを、取材の上報道して下さい」と持って行くといい。

そうした何かが報道されることはたぶんないけれど、報道する、しないの交渉のテーブルを相手が設けてくれたその段階で、すでに大きな譲歩を勝ち取っているわけだし、それがスルーされたら、今度は「ダブルスタンダードだ!」と怒りを表明して、また「判断の根拠を示して下さい」からやり直せばいい。

「どうやったら相手の手続きコストを増やせるだろう?」と考えることが、弱者の戦略を発想するための近道になる。「厳密」以外にも、恐らくはいくつもの価値軸が武器として役に立つ。