状態を動作で記述すること

アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 」 という本の感想。続き。

  • チェックリストを作ることの効果というものは、「正常」を言語化できることにあるのだと思う
  • チェックリストを作るときには、たとえば「○○が正常に接続されていることを確認する」だとか、正常という言葉をリストから追放することが求められる。それを許してしまうと、「正常とは何か?」という疑問に対して、「正常であることだ」という間抜けな答えしか返せなくなってしまう
  • 正常であることを、「異常でないこと」でしか記述できない人は多い。ある定状状態にあって、それなりにきちんと動いている何かを見て、どうしてそれがきちんと動いているのか、突き詰めて考えている人は少ないしだろうから
  • 医療において健康という状態は、「病気でない」ことでしか記述できない。医学的に正しい健康食品というものは存在しないし、西洋医学の薬というものは、基本的に病気でない状態にするためのものであって、十分健康な状態にある人を、もっと健康にする薬はおそらく存在しない
  • 乗用車のエンジンみたいな精密機械にしても、生体にしても、生態系や、社会のようなもっと大きな系にしても、正常を記述するのは難しいし、それができる人は少ないのだと思う。正常という、見れば明らかなその状態は、系の末端から全体像まで全てを理解していないと言語化できない
  • 正常を記述できない人であっても、正常に動いている系を眺めていることはできるし、マニュアルがあれば異常を認定することもできる。もしかしたらそれを修理することも。ところがマニュアルに載っていない何かが発生した場合、正常を記述できない人は、それを異常と認定できないかもしれないし、少なくとも状態を正常に戻すための方法を考えることはできないのだと思う
  • 正常は当然の状態であって、当然に見える何かを、無理矢理言葉に落とし込むためには制約を導入する必要がある。ここで大事になるのが「状態を動作で記述する」というルールになってくる
  • 気道が正常とは、口を開いて指が縦に3本入ることだし、点滴ラインが正常とは、輸液を腕より下に下げたら血液がスムーズに逆流することだと定義できる。状態を動作で言い換えることで、正常の言語化は達成される。それは完璧には遠い、暫定的な答えでしかないにせよ、十分実用的ではある
  • 「正常」という言葉を廃して、全ての形容詞を動作で言い換えることが正常の言語化であり、チェックリストが「完成した」ということなのだと思う。そうしたチェックリストを作るためには考えなくてはいけないし、その思考によって、けっこう大切な何かが得られる。そういう意味で、チェックリストはその系を保守管理するエンジニアその人が作るべきであって、お仕着せのものを鵜呑みにすべきではないのだと思う
  • 系の振る舞いを描写するのに必要なあらゆる形容詞を、徹底的に動作に落とし込むことで、その人は嫌でも専門家になれる