少しだけいいものが選べない

豊かになると、いろんなものが相対的に安価になっていく。ところがある業界が細っていく過程のどこかに、「少しだけいい製品が選べなくなる」という状態がたいていあって、ものが安くなることと、選択肢が減っていくこととはわけて考えないといけないのだろうと思う。

薄い財布と便利な鞄

abrAsus という国内の皮革メーカーがいろいろと面白い製品を出している。すごく薄い財布だとか、小さく折りたためる財布だとか、特定の目標を達成するために、伝統的なデザインにギミックが工夫されている。

「ちょっとした工夫」には購買欲がかき立てられるのだけれど、お財布は買うと15000円ぐらいする。今ならば、このぐらいの金額は支払えるし、紳士ブランドものの何かを買おうと思ったら、この価格は決して飛び抜けて高価であるとも言えないのだけれど、ホームセンターで1000円しない「普通のお財布」が売られている横で、じゃあ「ちょっとした工夫」に15000円という金額を「ぽん」と支払えるかと言えば、やっぱりためらってしまう。

スーパーコンシューマープロジェクト」という企画がある。文具のヘビーユーザーに声をかけて、その人が本当に使いたいものをデザインしてもらって、それを改良して、製品化するまでの過程を全て公開している。

この企画で作られたいくつかの商品は実際に市販されていて、どれもたしかに、よく考えられている。道具を使い倒す人たちの声は面白くて、制作の工程や、デザインの考えかたにはいちいち共感できて、それを達成するための工夫だとか、それを行った結果としての、既製品にはない、定番とは少し異なったデザインだとか、そういうものが魅力的に思える。

魅力的なものは手に入れたくなるのだけれど、たとえば「撮れるカメラバッグ」の価格は2万円する。本革のバッグで、しかも国内の職人さんが手で縫ったものだから、2万円は決して高いわけではないんだけれど、大ざっぱに似たようなデザインのショルダーバッグなら、「本物じゃない」ことや「機能が劣る」ことに目をつぶれば、たぶん半値以下で手に入る。

欲しいなと思えるちょっとした工夫が盛り込まれた製品は、ありきたりな製品の価格が安くなった結果として、ちょっとした工夫で価格が何倍にも跳ね上がってしまう。

昔はなんでも高かった

たとえば「スーパーコンシューマープロジェクト」で売られている「文具王手帳」は15000円するけれど、今から20年ぐらい昔、「スーパー手帳の仕事術」で大々的に宣伝されたファイロファックスという英国製のシステム手帳は、当時14000円した。単なるファイルカバーなのに、代替品もどれも高価で、システム手帳にのめり込んだ人たちは、14000円のファイロファックスを何冊も買って、リフィルを保存したりしていた。

今はもちろん、システム手帳は安価になって、プラスチック製の簡単なものならば、500円も出せばどこの文具店でも手に入る。もう少しいい製品にしても、合成皮革のそこそこ使える製品が2000円程度で買えるから、手帳に14000円支払った昔は、ずいぶん遠くなった。

「文具王」のシステム手帳は15000円で、この価格はファイロファックスの昔なら高価だとは感じなかっただろうし、様々な工夫に支払う金額が1000円で済むのなら、いっそ「お得」だと思ったかもしれない。

ターボ全盛の20年前、家庭用乗用車の最上級グレードにはたいてい過給器がついていて、スーパーチャージャーやターボのついた乗用車は、通常グレードに20万円も上乗せすれば購入できた。燃費はそんなによくなかったし、今から思えばドッカンターボだったけれど、乗り回してる同級生がいて、あれは面白かった。

最近になって、トヨタカローラにターボモデルが追加されるようになった。15年ぶりぐらいのことなのだと。これはTRDのディーラーオプションという位置づけで、チューニングのベースになった1.5L モデルと比較してしまうと、100万円近い価格アップになる。

昔のターボは、ノーマル100馬力のところが160馬力、制御系や、下手するとエンジンブロックが別物だったりしたものだけれど、今のターボはずっと控えめで、エンジン本体にはそんなに手が入らない。当たり前のようにターボモデルが掲載された昔を思うと、今のターボモデルは高価にも思えるけれど、これなんかもたぶん、少量生産品であることと、なんといってもカローラの基本価格自体が、昔よりもはるかに安くなってしまったことが、こうした感覚に聞いてしまっているのだろうと思う。

価格の低下と選択枝

昔を思えば、今はいろんなものが安価になった。昔と今とで物価が違うし、自分の金銭感覚だってずいぶん変わってしまったから公平な比較は不可能だけれど、昔なら手が出なかったいろんなものが、今ではホームセンターをちょっと探せば、相当に安く手に入るようになった。これは「豊かになった」と言えるのに、その一方で、ちょっとした工夫が施された、「ちょっといいもの」に手を伸ばそうとすると、それがずいぶん難しくなった。

価格が安いこと、同じお金でたくさん買えることはたしかに「豊か」と言えるのだけれど、一方で、選択できる商品の幅は狭くなって、これは「豊か」という感覚にはどこか遠い。

ホームセンターに置かれている爪楊枝はどれも安価で、うちの地域で売られている楊枝は、全てが中国製だった。ちょっと高くてもいいから国産があったらいいな、なんてあちこち探したのだけれど、リアル店舗をどれだけ探しても、「国産」という選択枝自体が存在しなかった。

いまはもう、こうした生活必需品に「ちょっといいもの」を求める人なんて少ないのだろうし、業界の流れとして、選択枝の減少は一種の必然なのかもしれないけれど。