コンテストのドレスコード

コンテスト形式によるアイデア探索を成功させようと思ったら、チームのドレスコードにも気を配る必要がある。負けられない看板を背負ったチーム、学会の名前で参加したチームや、サークル名を持たない、大学名をそのまま背負ったチームがコンテストに参加してしまうと、面白いアイデアは殺されて、他の参加者にも迷惑になる。

イデア探索手段としてのコンテスト

問題が漠然としすぎていて、どのアイデアが有望なのか現段階では見えないときには、コンテスト形式の問題解決手法が有効なことがある。

たとえば風力発電は、鳥人間コンテストみたいなやりかたで、コンテスト形式でアイデアを募集できると面白い。あるエリアを指定して、1週間なら1週間に期間を区切って、総発電量で優劣を競ってもらい、それを数年単位で繰り返せば、恐らくは「これ」という定番のデザインに収斂する。そのやりかたはたぶん、作りやすくて効率がいい、もっとも実用的な発電のデザインにもなっている。

プライベートチームにも手が届く規模でコンテストをデザインできれば、比較的短期間で有望なアイデアが固まってくる。こうしたやりかたは、大きすぎる問題に対して暫定的に優れたやりかたを導くための、いい方法なのだと思う。

負けるられることに意味がある

メーカーの「社運をかけた開発」や、権威を招いた学術会議が主導する開発は、何らかの成果を結果として残せないと次がない。こうしたやりかたのほうが、開発にかけられるコストは多いだろうけれど、失敗が許されないプロジェクトは、アイデアの探索が難しい。

負けられない試合に臨んだチームは、勝つアイデアよりも負けないアイデアを好む。優勝でなく努力賞を目指す。みんなが努力賞を狙った結果として、学生のコンテストならたどり着いたであろう「これ」という解答は、もしかしたらかえって遠ざかる。

コンテスト形式の問題解決は、プライベーター同士がアイデアをぶつけ合う。敗北を受け入れやすいルールは、アイデア探索の段階において、得難いメリットとして効いてくる。

気持ちよく負けられるルール

コンテストを設計する上では、「気持ちよく負けられる」ルールが大切になってくる。

気持ちよく負けられるルールというのは、たくさんの賞を作るのとは違う。「盛り上げましたで賞」みたいなものをたくさん作って、それをもらうことが目標になってしまうと、そのコンテストからはアイデアが期待できなくなってしまう。優勝以外は考えられない、勝利条件が分かりやすいシンプルな目標が設定されていることが大切で、「技術のすごさを審査員が点数化する」ようなやりかたからは、アイデアは逃げていく。

敗北のダメージが最小になるよう配慮されていること、再戦の機会を保証することも大切になる。メーカー対抗時代の自動車競技は、メーカーの面子がかかっていたから、負けられなかった。シャパラルやブラバムみたいに、面白いアイデアで勝利をさらうチームは、せっかくのアイデアが政治問題になって、優勝が取り消されたりした。負けられないチーム同士の戦いは、「これ」という定番が固まった状態で争うのなら楽しめるけれど、アイデアの探索が十分に済んでいない領域でこれをやると、泥試合になってしまう。

グループC時代のポルシェがよく行っていた、プライベーターにメーカーのワークスチームが肩入れするようなやりかたは、面白い解決策なのだと思う。ワークスの技術はもちろんすごいから他チームの目標になるし、それでもそのチームはプライベーターだから、敗北のダメージはメーカー本体にまでは及ばない。ハイキングで「当日は動きやすい格好で来て下さい」と注意するのと同様に、コンテストに参加する人たちには「敗北を受け入れやすいドレスコードを背負ってきて下さい」と注意すべきなのだと思う。

大きな問題を解決するときには、たいていはいろんな分野から権威の人たちが集められて、委員会が作られる。負けられない看板を背負った人たちが、あやふやなルールを戦って、会議室からは無数の努力賞だけが量産される。

優勝カップがほしいのならば、優勝を狙えるルールを設計すべきなのだと思う。