想起のポイントを統一する

実際に試したことはないし、それを試みて成功している事例を耳にしたこともないのだけれど。

「あぁ」という体験のこと

自分は普段、患者さんのことを、病名と処方で思い出す。問い合わせに対して、その人の名前や住所を伝えられても、その患者さんのことを思い出せないのだけれど、たとえば「高血圧でブロプレスが処方されていて、」なんて情報が入ると、「あぁ」という想起がはじまって、その人のことを全部思い出す。

患者さん本人を目の前にしても、患者さんのことはしばしば思い出せないし、「あぁ」という体験は生まれない。本人というのは、生情報そのものなのに、「あぁ」が訪れない限り、薄い霧を隔てたような感覚が残ってしまう。たとえ患者さん本人がそこにいなくても、たとえば自分で書いた処方箋を見せられると「あぁ」がやってくる。その人の顔やしゃべりかた、おしゃべりの中で触れられたご家族のことなど、様々な記憶がよみがえることで、はじめて業務を行う準備が整う。

職種が変わると想起ポイントが変わる

「あぁ」のとっかかりは職種ごとに違う。事務の人たちは、名前とかカルテ番号で想起をかける。以前努めてた病院の事務さんで、患者さんの声を聞いたらその人が誰なのか、全部思い出せる人もいた。

想起のポイントが異なる人間同士が会話をすると、会話の前半部分が丸々無駄になる。「○○さんという患者さんがいて、○○市にお住まいで、○歳の男性なんですが」といわれても、自分にはなんのことなのかさっぱり分からない。「高血圧で…」と言葉がつながったとたん、「あぁ」となる。

逆のパターンも当然あって、自分が事務の誰かに電話をして患者さんのことを問い合わせるときには、病名だとか処方、外来日から入るから、彼らにはきっと、その情報が想起の役に立っていない。ほんの数秒だけれど、これをゼロにできると快適度は相当に上がるのだと思う。

電子で情報を全部飛ばせる時代になっても、状況はたぶん変わらない。莫大な情報を前にできたところで、それを処理する人間の脳は昔ながらで、全体の効率は人間要素が決定する。インフラの効率向上は、人間の効率不足を補えるとは限らない。

組織の文化を創るもの

外科医は手術創で患者さんを想起するとか、産科医は患者さんを分娩台に上げないと相手が誰だか分からないとか、ああいう都市伝説には一定の真実があって、そういうものが、恐らくはその専門科ごとの空気とか、考えかたを生み出している。これは病院だけでなく、企業のようなもっと一般的な組織においても同じなのだろうと思う。

想起の起点を、たとえば新人教育の過程で、あらかじめプログラムとしてその人に組み込むと、会話開始直後の数秒間が節約できる。

想起のポイントが共通する人間同士の会話は、それがずれている人に比べて快適だから、想起のポイントは自己増強的に組織の空気を変えていく。たとえば「絶対に名前から入る」という想起を共有すると、お客さんの名前を覚えることが職員の最重要課題になるし、「処方から入る」というやりかたを徹底すれば、疾患の解決により特化した文化が生まれる。「まずは分娩台に乗ってもらってから想起する」という産科の流儀も、憶測を挟まずに常に本人を目の前にしてから判断を行うという、確実さを最優先する空気を醸成する上ではとても有効であると言える。

「こういう考えかたをしましょう」とか、「お客さんのことを第一に」なんて理念を唱和するよりも、特定の想起ポイントを共有することで、その組織ごとの「らしさ」を、より確実に構築できるのだと思う。