ヒトデはクモより強い

医局のお話。

医局が独立国家だった時代があったんだと思う

白い巨塔」時代の大昔には、大学病院だとか、大病院だとかの偉い先生方は、 どういうわけだか地元警察とか、国会議員なんかに知りあいがいて、 自分たちが率いている組織に何かトラブルがあったときには、実体としての政治力が 役に立ったんだなんて。昔話だからこそ、笑い話で済むようなお話。

恐らくは大昔、医局に所属することには、目に見えない形でのメリットがあった。

「研究ができる」とか、「大きな病院で働ける」、「学位がもらえる」みたいなものは、 「見える」メリット。「見えない」ものは、「その医局に所属している」ことそれ自体が、 その医局員の力を増幅する効果みたいな。

「我々の組織を甘く見るなよ」と言えることは、交渉の席ではすごい武器になる。

ヤクザの社会は、怖い人達が集まって「組織」を作って、あの人達は、 「集まった個人」以上の力を発揮する。「絶縁状」は重い刑罰で、ある組から縁を切られると、 もはやその人は「ただの人」になってしまう。医局にもたぶん、同じような効果があったんだと思う。

そこに属する人に服従を強制する代わり、「医局が考える人材」、医局にとってかわいい人材でありさえすれば、 医局は恐らくは、その医師に一定の保護を与えて、「看板」を運用することを許したから、 それが医師の忠誠心を引っ張り出した。

時代が進んで、いろんな物事がオープンになって、医局はどこかで、「見えない力」を 手放したような気がする。交渉の席に乗り込んでくのとか、トラブルにくちばし突っ込むのとか、 基本的に面倒くさいし、そんな力は、公式には「無い」ことになってるし。

ダークサイドを伴わないきれいな組織は、往々にして「いざ」と言うときに役に立たない。 裏側の力に対して、医局の人達がそれに無自覚になったとき、たぶん組織としての医局は力を失ったんだと思う。

民間医局は役に立つのか ?

大きな病院、とくに公立の病院は、トラブルが起きると、今も昔も「個人の問題」に矮小化して、 トラブルに巻き込まれた医師を切りにくる。

公立病院の冷たいやりかたに対抗する組織として、医局は昔から機能してきたけれど、 「医局の力」なんてものは、たしかに公式には存在しないから、今はどうなのか分からない。 分からないから、怖いから、公立病院からは人が逃げ出す。みんな民間の、小さな施設に逃げ込む。

民間病院が「守ってくれる」なんて、だれも一言も宣言しないけれど、民間病院には人が集まる。

小さな病院は、勤務する医師の数が少ないから、誰か1人が抜けただけて、外来に穴が空いたり、 当直が回らなくなったり、病院全体に影響が出る。人と組織との隔たりが少ないから、 その医師が、病院長にとって「かわいい」人間であり続ける限り、病院にはたぶん、 その医師を保護することにメリットが発生する。「その時」が来たら、だから民間の小さな病院は、 たぶん医師を守ってくれる。

恐らくは医師の最近の振る舞いは、こんなわずかな打算というか、 淡い期待というか、そんなものが駆動している気がする。

恐らくはこれから先、グッドウィルの医師版みたいな医師派遣会社が台頭して、 医師の保護と、労働条件の適正化をうたって、医師確保に走る。会社組織に所属する医師は、 ある程度までは増えるんだろうなと思う。

今のところはその代わり、まだあんまり成功していない印象。

市場は大きいし、利幅も大きいはずだけれど、医師の人件費は極端に高価だし、 基本的に自己中心的な人間の集まりだから、「会社」が忠誠心を引っ張るのは、たぶんすごく大変。 そのあたりは医局と同じで、会社から「絶縁」されたところで、医師には今のところ、 なんのデメリットも生じないから。

アルコホーリクス・アノニマスのやりかた

一定の「規格」を満たした医師であることを要求する代わりに、 「互助」と「保護」とを保証するやりかたとして、アルコール依存症患者さんの互助組織、 アルコホーリクス・アノニマスのやりかたを真似できたら、面白いと思う。

あの組織には「頭」に相当するものが無くて、組織を運営している母体になっているのは、 集会の効果と、その開催手法をまとめた本しかないらしい。「本部」に相当するものはあるけれど、 本を読んで、そのやりかたに賛同したその瞬間からその人は「会員」だから、 本部の人達もまた、どこにどれだけの会員がいて、どんな活動をしているのか、把握していないんだという。

クモとヒトデは、おおざっぱな形は似ているけれど、「組織」としての構造は、まるで違う。

クモの頭を潰したら、クモはそれで死んでしまうけれど、ヒトデには頭が存在しない。ヒトデを半分に切り裂くと、 ヒトデは2 匹に増えるだけで、死なない。

複雑なことはできないけれど、生存可能性に優れていて、部外者がそこに介入することが困難な、 「ヒトデ」みたいな組織形態は、医局みたいな、実はすごくシンプルな機能しか持たない組織を、 生存可能性と忠誠心とを高めるためのやりかたとしては、案外うまく行きそうな気がする。

具体案

「頭」を持った組織を止めて、「あるべき医師」の最低ラインと最高ラインを示した文章だけを用意する。 最低これだけは働くけれど、一方で、頑張りすぎて潰れるのも本人の責任みたいな、下限と上限とを持った文章。

医師としての下限と上限を宣言した上で、自分がその「真ん中」であり続ける努力をすることを 受け入れる代わり、何かあったとき、同じ「真ん中」にいた仲間の助け、裁判の時、 「私たちも同じ条件で勤務をしています」なんて証言するだとか、弁護士を手配するだとか、 そうした互助が得られるルールを定めておく。

努力の一方向性は弱点になる。「ヒポクラテスの誓い」みたいな、体力の限界越えて頑張りましょうというやりかたは、 宣言としてはかっこいいけれど、「保護」には遠くて、誓いを誰かに運用されてしまう。医師会みたいな条件闘争の やりかたもまた、ごく一部の戦う人達に「ただ乗り」することを許してしまって、「要するにおまえら 楽して稼ぎたいんだろ」みたいな、外野の突っ込みに対して防御できない。

努力の方向を定めない、組織に「頭」を作らないやりかた。組織は作らずルールだけ作って、 ルールを守ることを宣言したその瞬間から、その人は会員になる。

入会も、退会も自由なその代わり、その代わり、何かあったときは、その人の行動が、 本当にルールに沿ったものであったのか、「仲間」から検証を受けることになる。

サボりすぎた上での過誤なら保護の対象にはならないし、あるいは逆に、頑張りすぎた、 明らかにリスク取りすぎた上での過誤もまた、「熱心な私」であることをを優先するあまり、 患者さんに不当に高いリスクを積んだわけだから、保護の対象から外れる。

「下らないルールにこだわる屑どもが」なんて、こんなルールに賛同する連中を見放して頑張るのも自由だし、 もっと「おいしい」話に乗っかって、楽して大儲けするのも自由。

あくまでも「真ん中」で居続けることに賛同した医師同士の互助会にしか過ぎないけれど 一定割合以上の医師が、こんなガイドラインに賛同すると、自然と条件闘争が始まる。

「この労働規約で行くと、我々のガイドライン守れないから、仲間の保護が受けられません」なんて言いかたが、 「闘争」の武器になる。雇用する側が、「なら、君はいらないよ」と突っぱねようにも、近隣に住んでる 他の医師が、同じガイドラインに乗っかっていたら、ある程度の条件を呑まざるを得ないはず。

頭が存在しない、医師が医師を裁き、お互いを守る、こんなやりかたは、 次世代医局として結構面白いことになると思うんだけれど、誰か規約書かないだろうか。

「基本頑張るけれど、疲れたら休む。仲間が困ってたら助ける」

こんな内容を、ちょっとだけ難しそうな言葉で書けば、それでいいはずなんだけれど。