NHK 特集 「戦場 心の傷」

戦争が兵士に負わせる心の傷を特集した番組。大雑把に、前編は男性の、後編は女性の、 それぞれ心に負った傷に焦点を当てて、番組が作られてた。

以下覚え書き。

リアルな舞台での訓練

  • アメリカの新兵訓練施設には、周囲の風景だとか建物、通行人の風俗みたいなものまで 再現した「イラクの街」が作られていた。「テロリストを建物に追い詰める」だとか、 「救援物資を届けたら爆弾テロに巻き込まれる」だとか、状況ごとにシナリオを作って、訓練を受けていた
  • 訓練に使う道具は極めてリアルだった。兵士の装備や武器はもちろん本物、建物だとか、 「テロリストが爆破した車」なんかもまた、本当に爆破した車を使ったりして、「本物みたい」を 通り越して、「そのもの」をそのまんま使っていた
  • 本番さながらの訓練を積むことで、「ぶっつけ本番」の混乱を避けることができたり、 人が人を殺す、人間が本来持っているためらいみたいなものを乗り越えることができたり、ひいてはたぶん、 戦闘によるPTSD みたいな症状を緩和することができる。「的を狙って銃を撃つ」みたいな訓練は放送されなかった
  • 番組後半の、PTSD になった女性を取材したパートでは、ライフルを持った子供に狙われて、 その子供を射殺してしまったことを悔いるお母さん兵士が取材されてた。非常に苦しんでおられたけれど、 恐らくは今頃、訓練キャンプでは、「ライフルを持った子供を殺害する」シナリオが、 訓練メニューとして取り上げられているんだろう

苦しむ人

  • イラク帰りだったかアフガニスタン帰りだったか、帰還してPTSD になった兵士のインタビューは 怖かった。「今でも夜が怖いんだ」なんて、PSTDに悩みながらも大学に通う元兵士が、 インタビュアーに「友人」を紹介していたけれど、「友人はときどき衝動的になるから気をつけろ」なんて、 取材班に護身用のナイフを渡してた
  • 「ときどき衝動的になる」、元兵士の友人は、筋骨隆々とした大男で、両肩に入れ墨入れてて、 女装して、ワンピースを着てた。机いっぱいに蒸留酒の空き瓶並べて、昼間からお酒をあおってた。 たしかにあの人になら、刺されても文句言えそうになかった
  • ああいう人達を見てしまうと、日本の自衛隊とか、よく我慢してるというか、抑えてるなと思った。 帰ってきた自衛隊員の目の前で、「自衛隊員辞めちまえ」とか反戦デモしても、たぶん殴られないだろうけれど、 アフガニスタン帰りの海兵隊を前に同じことしたら、その場で射殺されても文句言えない気がした
  • 戦争体験に伴う過剰なストレスと、それによって生じるいろいろな症状は、第一次世界大戦の頃から 報告されていたらしい。精神医学が発達していなかった頃は、そういう兵士に対する治療は「電気ショック」で、 スタンガンみたいなものを背中に当てて、入院中の兵士を無理矢理歩かせる「治療」が放映されてた。 今はもちろんそんなことはしないはずだけれど、PTSD にかかった兵士を治療する病院が放映されて、 そこをを卒業するための最終試験は、「テロリストを殺す」ことだった
  • イラクの風景がスクリーンに映されて、逃げ惑う市民に混じって、ライフルを持ったテロリストが こちら側に向かって走ってくる。「患者」はライフルを持たされて、テロリストを射殺できたら、 「治療完了」みたいなルールだった。昔の軍人精神の名残なのか、 それとも何か心理学的な裏付けの下に行われてるのか、よく分からなかった

葛藤が少なそうな人

  • アメリカ人は、戦争に行って人を殺すと、かなり高い確率でPSTDになって苦しむ。 治療をする必要があるし、逆に戦場に行くときには、よく考えられた訓練を受けて、 「人を殺せる」心の準備もしないといけない。ひどい話ではあるけれど、「相手方」はどうなんだろうな、と思った
  • クルド人の「名誉殺人」だったか、少し前に話題になったグロ動画では、村人が総出で、若い娘さんを殺してた。 対立する村の若者と不義密通をはかった村の娘さんが広場に引きずり出されて、村の人達総出で追い詰めて、 両手で抱えるぐらいに大きな石を頭にぶつけて、その人を殺す
  • みんななんだかうれしそうで、もちろん動画を撮影している人も止めなかったし、 村の人達は、各々手に持った携帯電話で「写メール」撮りながら、娘さんの頭を潰してた
  • 「戦争の心理学」という本では、「人は人を殺せない」ということが前提になっていて、 相手と自分との距離感が遠いほど、遠くの敵ほど、殺しやすいということが理論の基礎になっている
  • 戦争ではだから、ナイフよりも銃のほうが、銃よりも航空機とか、戦艦のほうが、「人殺しに対する葛藤」が 少ないし、実際PTSD になる人が少ない。「人を殺せる人間になる」訓練もまた、 殺す相手との精神的な距離感を広げるよう、広げるように行われる
  • そういう理屈で「名誉殺人」を考えると、よく分からなくなる。昨日まで一緒に暮らしていた村の娘を、 身内の人が中心になって追い詰めて、「石で頭を叩き潰す」やりかたで、その人を殺す。 心理的には恐ろしくきついやりかたをするはずなのに、フセインがそれを禁止する前までは、「名誉殺人」 はよく行われていたんだという。村中みんながPTSD になっても不思議じゃないのに
  • 「あいつらは文明とは無縁の連中だから」みたいに、彼らを例外処理しようにも、あの人達は動画を撮影して ネットにそれをアップしたり、携帯電話を使いこなして、写メールを撮ったりできる程度には「文明人」であって、 携帯電話を片手に持ちながら、反対側の手で石を持って、娘さんの頭を潰せる
  • ああいう人達を見ると、「人は人を殺せない」なんて考えかた自体、一種の教育による後天的なものなのかなと思う。 「人は人を殺せない」を、人類共通の資質として拡大するのは危険な気がする
  • 「取材」することなんてできないだろうけれど、アフガニスタンとか、イラクのゲリラとして 戦っている人達、今「テロリスト」として名指しされてる人達に、どれぐらいの割合でPTSD が発生しているのか、 興味がある。戦いかたもまるで違うから、単純な比較もできないんだろうけれど、発生頻度が少ないような気がする

正義の比較に意味はあるのか

戦争は地獄

  • ベトナム戦争アスキーアートに出てくる海兵隊兵士は、人を殺すための訓練を受けて、 「あいつらは人間じゃない」なんて思いながら、遠くから機銃を乱射した
  • 人を殺すことに葛藤があって、それを乗り越えるための、人殺しになるための訓練が必要だった ベトナム戦争のアメリカ兵士と、「おまえは裏切り者だ」なんて定義されたそのとたん、 今まで一緒に暮らしてきた相手の頭を、石だとかバールのようなもので叩き潰して、 それを写メールに撮影したり、「襲撃成功」なんて勝利宣言したりできる人と、 どっちのほうが「人間的」なんだろうとか、考えた
  • 内ゲバ」の昔、最終的に100人以上の人が犠牲になったらしい。 鉄パイプを片手に、撲殺に近い殺されかたをして、たぶんお互い見知った人間同士だったのだろうから、 「相手との距離」が極端に近い状況での殺人。あれに参加した人達は、その後PTSD を発症したりしなかったんだろうか
  • 「背中を押してくれる正義」の強さみたいなパラメーターが、各々背負ってる「正義」ごとにあるような気がする
  • 正義の名の下に、笑いながら人を殺して、そのまま葛藤なく日常に戻れる人が背負ってる正義は「強い」し、 アメリカ軍兵士みたいな、人を殺せるようになるために、巧妙にデザインされた訓練が欠かせなくて、 訓練を経てもなお、戦闘によるPTSD が問題になるような正義は「弱い」
  • お互いの「正義の正しさ」を、戦争で比較するのは、やっぱりナンセンスだと思う。正義の 力比べは、要するにお互い背負った「正義のイカレ具合」を比較しているに過ぎないわけだから
  • 軍隊は、葛藤なく人を殺して、戦闘のあと、葛藤を残すことなく日常に帰るような兵士を求めて、 そういう訓練を作り出す努力をしている。で、今のところはまだ、それを実現するに至っていない
  • 軍隊のやりかたとか考えかたは、「軍隊が人を殺す装置である」という前提を受容する限りにおいて、 最大限に人間的であるような気がする
  • 葛藤なく人を殺して、葛藤なく日常生活に戻れる人が、たしかにいる。「あいつは裏切り者だ」の 号令一下、誰かをバールで撲殺して、人を殺したその手を掲げて、何ら葛藤なく「戦争反対」を叫べる 人達のマインドセットは、軍隊が求めている「理想的な兵士」の正解に、たぶん一番近いところにある

「人間的」ってなんだろうとか、番組見てちょっと思った。