単純を達成するための複雑な道具

やりたかったことは本当にシンプル。文章書いて発信して、 読んでもらったり、時々ほめてもらったり。できることなら研修医向けの教科書作って発表して、 Web 世界でみんなの「秘伝」を共有できたらいいな、なんて。

こんなページを始めたばかりの頃は、まだ自分のやりたいことを上手に 言語化できなかったけれど、目標にしていることはたぶん、今も昔もそんなに変わっていない。

ネットの知識もずいぶん増えて、文章を書くやりかたも少しだけ上達して、 文章発信とか、コミュニケーションとか、やりたいことはずいぶんシンプルに、 輪郭がはっきりしたものになってきた。

目標は単純になった。にもかかわらず、その「単純」を実装するために 必要な道具は、なぜだかどんどん複雑になる。

なんか間違ってる。

LaTeX の頃

研修医の頃はワードプロセッサ。「医師のパソコン」といえばマッキントッシュだった10年前、 まだパソコンは、気軽に試すには高価に過ぎて、手が出なかった。

表ページで公開しているマニュアル類は、最初の頃はワープロで作った。カシオのワープロ叩いて、 感熱紙に印刷しては、みんなに配ったり、あれこれ添削してみたり。

パソコンを買ったのは6 年目。

患者さんのサマリーなんかをパソコンで入稿することが義務ずけられて、 半ば強制的に購入したのは富士通のノートパソコン。非力な機械だったけれど、 結構長く使ってた。

パソコンの中にはWord が入っていたから、素直にそれを使っていれば、 もしかしたら今みたいな苦労しなくてすんだんだけれど、 本屋さんで参考書を漁ってたときにLaTeX の参考書が並んでたのを発見したのが、 今から思うと致命的な間違いだった。

  • LaTeX を使うことで、世界中のあらゆる文字が、あらゆる表現手法で印刷できるようになる
  • PDF もHTML も、LaTeX みたいなマークアップ言語なら、お互いの置換は簡単

「人間サイドは文章を打つ行為だけに徹して、変換するとか表現するとか、 文章の本質に関わらない部分は、全部機械にやらせましょう」なんて考えかたには 大いに共感できた。たしかにそれはシンプルで、かっこいい考えかただと、そのときは思った。

それからは地獄。

「Hello.World」なんて、Word なら一瞬で画面に出せるのに、LaTeX だとインストールだけで3 日がかり、 画面に文字を出すまでに、参考書と首っ引きで1 週間。

普通の人のパソコンにはdviout なんて入ってないから、他人様のパソコン画面に「Hello.World」を やるためには、それからまたずいぶんかかった。

当時はまだdvipdfm が普及してなくて、もうすこしでAdobe Acrobat 買うところだった。

LaTeX2HTML

この時点で素直に引き返せばよかったのだろうけれど、自分はどういうわけだか、 そのままLaTeX 使い続けた。

ホームページを作るのがちょっとしたブームになってたころ、自分もやっぱり 何か作りたくなったけれど、手元にはTeX で書いた文章の山。 TeX は理論上、たしかにHTMLと互換性があって、簡単な変換ソフトを書くだけで、 いとも簡単にHTML ソースが作れるなんてうたわれてたけれど、実現するのは大変だった。

TeX は、PDF 作るのだって十分に大変なのに、LaTeX2HTML インストールして、 それを使ってHTML作るのは、それに輪をかけて大変。

ワープロからパソコンに乗り換えたばかりの頃は、そもそもTeX ですら荷が重すぎて、 Perl の知識が必要なLaTeX2HTML とか無理だった。ホームページの最初の頃は、 だからPDF のリンクをいくつか張っただけの、読めるところなんてほとんどないページ。 みんなが作ってた、ブラウザから文章読めるようなページにはすごくあこがれてたんだけれど、 荷が重すぎた。

LaTeX2HTMLがパソコン上で動いてくれたのは、2台目のパソコンを購入してから。

その頃にはもう、ずいぶんたくさんのTeX 文章が手元にあって、結構大きな規模のサイトになった。

この頃たしかに、「一つの文章からPDF とHTML」をやっとの思いで実現できたけれど、 「それを使ってコミュニケーションする」部分については、LaTeX2HTML では手が出なかった。

blog ツールのこと

やりたかったのは、文章を書いて発信することと、それを使ってコミュニケーションすること。

文章発信とコミュニケーションの両立は、LaTeX の思想には入ってなくて、 その頃にはもうずいぶん慣れたから、Wiki なんかも試してみたけれど、 やっぱりなんか違った。

blog ツールの導入は、やっぱり大変だった。データベースの設定なんて やったことなかったし、MovableType の細かい設定は、複雑なタグを 理解しないと怖かったから、家にはまた参考書が増えた。

Markdown というマークアップツールを入れて、文章はそこそこの表現を、 ごくシンプルに実装できるようになった。

Blog にはもちろん、エントリーごとにコメント欄がつけられて、「はてなブックマーク」 みたいなコミュニティへの入り口も簡単につけられたから、 おかげさまで多くの人が来てくれて、いろんな人と知りあえた。

手元には、blog ツールでしか閲覧できないたくさんの文章と、 LaTeX で作った、やっぱりたくさんの文章。

blog はどうしても時系列の呪縛から逃れられなくて、かといって スタンドアロンのHTML 文章は、今度は「それを使ったコミュニケーション」から遠い。

なんか系統が違う文章が同じサイトに同居してるのはシンプルじゃなくて、居心地が悪い。

統合できたらいいな、なんて馬鹿な色気出したのが、今回の失敗。

「単純を達成するために複雑な道具を要請する」問題

MovableType の新しいバージョンは、blog という枠を超えて、 ページ管理システムの新たなありかたを世に問うような、 なんだか崇高な思想に裏打ちされた実装。

本社のページを覗いても、「時系列との決別」みたいなことが書かれていた。 新しいバージョンは、日記として時系列に書ける部分と、単独ページとして、 時系列を超えて存在できる部分とを同居させられるようになっていて、 あり方の違う文章を一つのアプリケーションで管理しつつ、 全体としてコミュニケーションサイト作れるようなものを目指してた。

思想的にはすごくシンプルでかっこいい。まさにやりたかったことそのまんま。

で、やってみてドツボにはまった

MT4 は、なんだかサーバー上で動かすだけでも大変なアプリケーション。 管理画面はやたらとリッチな反面、必要な機能がどこにあるのか全然わからないし、 クリックしたから反応返るまで数秒かかって、ダイアルアップ時代のホームページみたいな 使い心地。

過去との決別を明言したためなのか、旧バージョンのノウハウは役に立たない。 複雑で、やっとの思いで覚えたタグはもう使えないし、テンプレートとか すべて書き換わってて、自分が見ているパーツはいったいどこに記述されているのか、 モジュール化が徹底されていて、そのモジュールがどこに記述されているのかが 全くわからなくて、手が出せない。

MT4 が実現しようとした、あるいは他所様のサイトでは実現しているであろう世界は たしかに単純でかっこいいんだけれど、それを動かすための道具は複雑に過ぎ、高機能に過ぎた。

単純なことをやるために、あるいは「単純」に近づくほどに、 どういうわけだかそれを実現するための道具はどんどん複雑になって、 「単純」はいっこうに見えてこない。

「シンプル」目指して、ソフトはどんどん複雑になった。 もはやページレイアウトひとつ自分ではいじくれなくて、また分厚い参考書を注文したけれど、 Amazon から返事が来る前の段階で、なんか心が折れた。

LaTeX Web コンパニオンをマスターした頃、TeX で文章書いて そこからLaTeX2HTML が自動生成したホームページをみるのはなんだかかっこよくて、 内心鼻高々だったんだけれど、Web の見た目は貧相だった。

当時はまだ初心者で、俺はバックグラウンドで苦労してるなんて自己満足があったから、 見た目のチープさは、むしろ「清貧」に見えていたけれど、冷静になって見直せば、 LaTeX2HTML が作るホームページは、正しいんだけれどやっぱり味気ない。

MT4 を極めると、もしかしたらそれは、もはや単なる Blog ツールではなくなって、 すべてのページを SQL データベースに格納して、読者の求めに応じた形に合わせて、 すべてのページを動的に生成できる、今まで書いた日記文章も、 もっと前に書きためたLaTeX 文章をも統合管理できる可能性が見えてくるんだけれど、 読者からみたそれは、やっぱり単なるblog 。

自分が本当にやりたかったことは何なのか、 ある機能を実現することと引き替えに、その「複雑さ」は本当に受容できるものなのか、 今から思うともっと考えるべきだったなと思う。

複雑さを受容することで、いろんな人と知り合いになれたし、コンピューターにも 無駄に詳しくなりはしたけれど、それはやっぱり、本来受容しちゃいけない複雑さだった。

そしてEmacsMuse へ

動いてくれないMT4 に煮詰まりながら、なんだかこんなことをTwitter 上で つぶやいてたら、「それ全部EmacsMuse でできるよ」なんて指摘をいただいた。

このあたりを読んでると、なんだかまた、そこに「夢」をみてしまう。

今更あの失敗を繰り返したくないのは間違いないんだけれど、 「 Muse 記法で幸せになりました」なんて表明してるの見ると、すごくうらやましい。

ここでEmacs なんかに手を出したら、それこそ泥沼から抜け出せなるのは、 きっと間違いないんだろうけれど。