喧嘩する上司の見守りかた

どんな組織でもたぶん、問題に対してチームが一丸となって当たる時期と、お互いが功を取り、過失を押しつけあう分裂の時期とがある。

問題が大きな状況においては、どれだけ仲の悪い人たちも団結する。そうでないと、自分たちが問題に食われてしまうから。成功が見えてくると、今度は誰が功を取るのか、お互いに裏切るタイミングを探りはじめる。

利害が完全に一致するなら、チームにはそもそも団結の必要がない。あえて「団結」というプロセスを経るのなら、そこには当然利害の対立があって、成功には、「功」の部分と「失」の部分とが入り交じる。問題の解決が近づくにつれて、チームの和は、どうしたって遠のいていく。

上司の喧嘩は、だからしばしば成功が近い徴候でもあるのだけれど、問題の大きさに上司が屈して、問題解決そっちのけで、責任の被せ合いになっていることがまれにあって、これがおっかない。

ニュースでは、 政府が東電を叩き、保安院が内閣を刺す。メディアを通じて見えてくるのは、指揮官同士の、指揮管制そっちのけのつかみ合いであって、問題解決の糸口はいっこうに見えてこない。こんな状況の真下で、現場は粛々と作業する。士気を保つのは本当に厳しいだろうなと思う。

問題の解決はまだまだ遠いのに、チーム「一丸」期から「分裂」期へと移行してしまうと、問題はもう解決しない。上司は「絶対」を求めるようになって、要求された絶対を達成できなかった人間には責任が被せられてしまうから、問題の解決に向けてがんばること自体が、後ろから誰かに刺されるリスクに直結していく。

成功に絶対はないけれど、失敗なら、手を出すのを止めてしまえば、いつかは必ず達成できる。絶対を求める上司が部下をなじる組織に身を置くのなら、「できません」と宣言してから手を置けば、上司の望む「絶対」は達成できる。現場がそういう気分になると、成功は加速度的に遠のいていく。

この状況は、自動操縦のない旅客機で、機長と副操縦士、機関士が操縦そっちのけで殴り合いを始めたのに似ている。現場たるキャビンアテンダントは、水平飛行もおぼつかない旅客機にしがみつきながら、ただただ操縦室を眺めることしかできない。自分の仕事をやろうにも、機体が揺れて、立っていることすらおぼつかない。

危機対応の初動に遅れると不信を招いて、謝意を表明するタイミングを逃してしまうと、上司が引き受けるべき責任は、時間とともにどんどん大きくなっていく。

今の状況は、大きくなりすぎた責任を、もはや引き受けられなくなった上層部の人たちが、お互いに必死になってそれを押しつけあっているようにも見える。

それが誤解であるといいのだけれど。